これまでのブログで、私の経験を綴ってきたように、統合失調症の患者の言動は、周囲の人間に対してはかなり理不尽である。


その内容があまりに理不尽なため、もともとは健常者である家族までもが精神を病んでしまう可能性もある。


理不尽に思えるのは統合失調症の患者の言動を、自分たち健常者の価値観や常識で解釈しようとするからである。


我が家の場合、統合失調症の弟も常におかしいわけではないので、家族自身も弟が病気であることをたまに忘れてしまうところがある(母は常に忘れている)。


彼らは病気なのである。ゆえに、彼らを健常者の価値観で説明することは不可能と諦めた方が良い。


患者からの理不尽に対する事前対抗策として、統合失調症という病気について、知識を蓄えておくことは、自ら(患者と接している人間)の苦しみのレベルを低減するためにも必要である。


現在では、統合失調症に関する新たな知見も出てきており(学者や研究者向けではないという意味で)、一般の人向けに優しく解説された本も出回っている。


この手の本は、公共の図書館でも借りられる。

インターネットではなく、図書をお勧めするのは、情報の信頼度は、図書が1番高いからである。


ちなみに、私の認識では、情報の信頼度は低い方から、インターネット、テレビ&ラジオ(個人的見解が入るため低い)、雑誌、新聞→ → →図書である。


※信頼度の低いメディアほど知識と言うよりも情報が多い。


できれば出版年の新しい図書の方が最新の知識や情報が紹介されているので良いと思う。


また図書のタイトルは、「精神病」とひとくくりにしているものよりも「統合失調症」に焦点を絞ったものの方が良い。


本の中で自分が経験してきたことや、弟の不可解な行動に合致するような症例が紹介されていると「このような理不尽や不可解な言動はこの病気にはあることなんだな」と理解できる。


そうすると自らが抱える孤独感ややるせなさ等々は少なくとも軽減されるし、統合失調症に対する理解度も深まり、渦中にあった自分の視点も少し客観性を帯びてくる。


現在では、統合失調症患者の家族同士が集まって、経験の共有や共感によって、家族自体が癒されたり、情報を交換する場を設けている病院もある。


ただ私の家族は今もってそういったチャンスには恵まれていないため、そういう機会を設けている病院はそれほど多くは無いのだろう。


現在では、統合失調症は、良い薬が開発されたこともあり、昔ほど恐ろしい病気ではないと言われている。


現在の認識では、最新の医学や薬学の知識や方法で患者本人が社会と関わりを持つ事は可能である。


しかし、現在紹介されているようなやり方で、誰もが社会復帰できるレベルに回復するほど簡単な病気でもないのが、この病気の難しいところである。


弟の場合は、病気から来るものと、元々の性質、あるいは成長過程で形成された人格が、エピソードで紹介した通り、よろしくない方向に行っており、色々な意味で八方塞がりとなっている。


ただ、せめて家族が自らの命と精神を守るためにできる事は、やっておいた方が良い。


統合失調症の患者と接していると、自分自身を含め家族の自己評価は低くなりがちになるかもしれない。


しかし、世間的にどう見られようと(患者に相対している家族たちは)いわゆる「ありきたりな普通の人生」なら、経験しないようなものすごい体験をし、またそれをなんとか乗り越えて来ているのである。


これは誇っていいことである。


だからこれまで統合失調症患者と向き合ってきた自分自身に対しては「大変よくやってきた」「よくがんばっている」と褒めてやっていいくらいである。


患者と接していると、日々、言動に振り回されがちになるが、自分の命も、人生も諦めてはいけないと思う。