弟が受験名目で父の部屋を分取る少し前から、弟にとってはすぐ上の姉である私を弟は目の仇にするようになった。


その頃、私は高校を卒業して、一般企業で働いていたが、弟は、母を相手にごねたり、ちょくちょく暴れるようになっていた。当時、実家で5人で暮らしていたが、早朝出勤でその分早く帰宅する私とは違い、父と姉は帰宅が遅かった。


姉妹から見れば3人兄弟の中で、末っ子長男である弟がごりごりの男尊女卑の思想を持つ母から特別に可愛がられているのは、誰の目にも明らかだったが、弟は母に対して「〇〇(次女)ばっかり可愛がりやがって」と母に言い募り、さらに「自分(弟)を大事に思っているなら、それを証明するために私(次女)を殺して来い」と言うようになっていた。


当然、母はそれ(次女の殺害)を断るが、その母の対応に納得しない弟は母を小づいたり暴力を振るう。それを止めるために、私(次女)が割って入るとさらに弟の暴力が加速するという地獄の悪循環である。


この幾度となく繰り返された地獄のやりとりは、母、私、弟の3人がいる時に高い確率で発生していたため、私は会社が終わってもできるだけ外で暇をつぶしてくるか、家に帰ってきても弟には悟られないように細心の注意を払って2階の姉妹部屋に上がり、物音を立てず息を殺して生活をしていた。


そのうち1階の居間には常に弟がいるようになっため私は居間に入ることもできなくなり、家族と一緒に食事(朝食•夕食)をすることもできなくなった。


家族とは隔離状態になっていても、2階の父親の部屋のベランダには蛇口があったので、喉が渇いたら水も飲めたし、朝会社に行く時には顔も洗えたが、母のごり押し(※)で姉妹部屋の隣の父親の部屋を当面、大学受験名目で弟が使うことになってしまったため、それ以来、2階の水道が使えなくなり、好きなときに手も洗えず顔も洗えず、とても不便になった。


「母よ、何してくれとんねん。」💢


(※)受験名目で弟に父親の部屋を明け渡したのには、息子を溺愛する母がかなり絡んでいるようで、父も納得はしていない様子だったが、期間限定ということでごり押しされた様子だった。


そのうち不潔嫌いな私は会社から帰ってくると、植木水やり用の外の水道で顔と手を洗ってから家の中に入り、会社に行く前には外の水道で朝の支度をする習慣ができたが、外の水道で顔を洗ったり歯を磨いているときに、隣の家の人と目があった時はとても気まずかった。姉妹部屋の側には幸いなことに物干し場があったので、母に洗濯物を取り込まれないうちに、タオルを確保することも日課になった。


2階に上がってから、うっかり水を使いたいとなると、音がしないように神経をすり減らして何分もかけて階段を降り、さらに音を立てないように玄関の扉を開け、外にある植木水やり用の蛇口を使うしかない。トイレも1階にしかないので、おいそれとは行けない。


家族の中でもこんな目に合っていたのは、私1人だけだった。


弟の目にはどう映っていたのかは知らないが、私は(強烈な男尊女卑思想の)母親にとっては「がっかりな2人目の女の子」だったため、母親からは構ってもらえず、ほぼ放置されて育ったと感じている。


例えば、小学生の時、風邪をひいて高熱を出しても、母が病院に一緒についてきてくれる事はほとんどなく、診察券と、健康保険証と現金を持たされフラフラの状態で1人で病院に行っていた。一方で、今も弟は精神科に行く際は必ず母同伴である。


私のどこが母親から可愛がられているのか、間違いなく弟の目は節穴である。


今思い返せば、相当おかしな状況なのに、家族はまだ弟の異常性を「きつい兄弟喧嘩&慢性化してる」位の認識だったように思う。バイアスがかかりすぎである。


もっとも父や姉に自分が置かれている状況を言葉で詳しく説明した記憶が私にはほぼない。父や姉に相談したところで、何かが変わったかどうかは、今となってはわからないが、家族間でしっかり話し合わなかったと言うのも問題をこじらせた原因だと思う。それより何よりも1番まずかったのは、母が家族に強い(厳命し)た箝口令である。