『本編3
部』の中で、2部の序盤辺りに入れたいストーリーなので、全体公開にしておきます。ギル達と行動を共にするようになって、まだ日がかなり浅い頃のストーリー。
†Remember Me†
''Please review the past. You will notice that only small things have had a major impact on our destiny.'' (過去を見直してみるがいい。ほんの小さなことが、我々の運命に大きな影響を与えてきたことに気付くだろう〕
「また''出た''らしいよ、ロンドン塔に」
「あー、それインスタで流れてたね」
ロンドン市内のカフェで、ティーンエイジャーの女性二人が、怪談話で盛り上がっている。
そのテーブルの横で、アールグレイを堪能していたエリザベスは、皿の上にカツン、とティーカップを乗せた。
「どうしたの?」
横に座っていたジェシカが、その様子に目を丸くする。右目は前髪で隠れているものの、研ぎ澄まされた刃のような顔立ちには、赤茶髪のショートヘアがこの上もなく映えている。
「さっきから、ロンドン塔と繰り返し聴こえているが。何かあるのか、あの『監獄』には」
窓から差し込む日光に目を細めながら、彼女は口を開く。
「知らないとは意外だな。あんなに長いこと、俺達から逃げ回っていたのに」
「やかましい」
更にその横に座っている、粗暴に立てた金髪と、左頬の十文字の古傷がある青年の言葉に、エリザベスは鼻を鳴らした。
それから、紅く鋭い眼差しでギルバートを睨みつける。
「貴様がいると、紅茶も不味くなる」
「俺達だって好きで護衛してねえんだが?お嬢さん」
エリザベスの傍に離れて座っている、スーツ姿の大男が、軽く咳払いをした。彼はエリザベスの従者である、ウェアウルフだ。
事を荒げるな、とでも言いたげな態度に、ヴァンパイアの女王は目を逸らした。この二人とは、何度も交戦した挙句、毎回瀕死にさせられてきた。双方に事情があったとはいえ、まだ気持ちの整理がついていない。
ジェラルドは、エリザベスが自力でこのハンター達に馴染めるよう、なるだけ仲裁には入らないと決めていた。
「カフェって、リラックスする所でしょ?ギルバート」
呆れ気味に二人を見ながら、ジェシカが腕を組む。
「何でそんな平気なんだよ、ジェス」
眉間に皺を寄せる同僚に、女狩人は軽く肩を竦ませてみる。
「あたしには、ギルと違って''憎む対象''じゃないからかな。確かに教会長には、未だに詐欺の慰謝料代を請求したい所だけど、見合った給料さえ貰えればそれでいいわ」
ジェシカは、肉親を奪われた過去を持つギルバートとは違い、代々有名なヴァンパイア・ハンターの出生だ。
それ所以か、立場が変わろうと無駄な詮索はしない。血を求めるだけの、ヴァンパイアの中でも最下位にあたる''レブナント''に、目前で父親を惨殺されたこの憎悪を、この派遣ハンターに理解して欲しいとは思わない。いや、思えない。
彼は小さくかぶりを振った。
「...まあいいさ。じゃ、早く一服して教会へ戻ろう...って、聞いてんのかお嬢さん」
「分かっている。ただ、気になってな。そんなにロンドン塔には幽霊の噂話が絶えんのかと」
ジェシカは、イングランド育ちのギルバートに、目で合図を送る。
「あんたもイングランドに住んでたなら、オカルト大好きな民衆だってことくらい、知ってるだろ?」
「生憎と、庶民と触れ合う機会はほぼ無かった。その手の流行には疎い」
「出来ればでよろしいのですが、ロンドン塔にはどのような噂話があるのです」
ようやく落ち着いてきたと判断したジェラルドが、二人のハンターに質問する。すると飛び出してきた話の一つに、エリザベスの心臓が大きく跳ねた。
「アン・ブーリン?」
お母様。
それは、彼女がまだ二歳くらいの出来事だ。男児が生まれないという政治的な意図で、父王は母親を打ち首にした。
何でも、夜中にロンドン塔の廊下や礼拝堂で、侍女を引き連れたアンの幽霊が姿を現すのだとか。
あまつさえ、中庭を馬車で走り回る噂まであるようだ。ただ、その全てに共通している点は『首がない』ということ。
「まさか、信じないわよねこんな話」
ジェシカの言葉に我に返ったエリザベスは、当然だと返答する。そもそも、死んだヴァンパイアが幽霊になど、聞いたことがない。
処女王は、冷めきらない内に残っていた紅茶を飲み干した。
風に流されていく雲が月を隠す。
自分にあてがわれたイングランド国教会の個室のベッドに腰掛けながら、ヴァンパイアの王女は小さくため息を吐いた。
日中の噂話が頭から離れない。
たかだか庶民の噂話でしかないというのに、何故か心が躍る。
エリザベスは、母親の顔を覚えてすらいなかった。その容姿を知ったのは、残された肖像画が理解できるようになった頃合いだ。
彼女は徐に立ち上がると、ゆっくりと目蓋を閉じていく。
血生臭い陰謀と暗殺が渦巻く世界、それが全てだった。
腰まで流れる白金の長髪が、エリザベスの足と共に揺れる。
その時窓が開いたかと思うと、冷気が彼女を大気へと連れ去った。
「おう、二人共お疲れ」
ハンター教会の談話室で、外回りを終えてきたギルバートとジェシカに、同僚達が挨拶を交わす。
「今夜の収穫は?」
「雑魚のレブナントが一体だけ。至って平和な夜だ」
黒いロングコートを翻し、得意気に日本刀を納刀するギルバートを横目に、ジェシカが呟く。
「早く報告書書いてよね。提出出来ないから」
そのやり取りに、談話室に笑いの渦が広がっていく。
深夜のロンドン塔は、不気味な程静かだった。風の音すら、何かの悲鳴にも聴こえては消える独特な空間。
月光に照らされた美しいヴァンパイアは、いつになく可憐で耽美に見える。
エリザベスは、周囲の人間や現代機器に自身が映らない黒魔術を用いていた。
これは、人間に語られている一部の、ヴァンパイアは鏡に映らない、という伝承に基づいた魔術である。その伝承によると、どうやらヴァンパイアには魂が無いから、との記載があったが実際はそうでは無い。
入口を見張っている警備員の横を何なくすり抜け、扉に手をかけたが案の定閉まっている。
その音に警備員が振り向いたが、彼女の姿は見えておらず、半ば恐怖を浮かべつつ、視線を泳がせていた。
他に手薄で入りやすそうな場所はないか。そう考えて、彼女は地を蹴り、塔の窓辺の淵を飛び回っていく。
身に纏うコートとスカートのシルエットは、まるで絵に描いたかのようにしなやかにはためいている。
ふと、上層階の窓が目に止まった。
遮光用だろうか、本来なら波打つ筈の無いそれが、奇妙に動いている。何となく軽く手で引いてみると、キィと短い音を立てて開閉した。
思わず生唾を飲み込むと、躊躇いなく塔の中に足を踏み入れた。
「懐かしい。あの頃のままだ」
両脇に灯る蝋燭の影が揺れる。細く婉麗な手が、ひんやりした石壁を撫で下ろしていく。此処に自分が存在していたのは、もう500年も前の話。だが、建物はこうして残っている。
ロンドン塔に関しては嫌な記憶しかないとはいえ、私情とは別でとてつもなく嬉しく、思わず笑みが溢れていた。
暫く歩いていると、長い廊下の角を何かが横切った。
見間違いだろうかと、顔をしかめる。
コツコツと響くヒールの音が、少しずつ速くなっていく。
影が横切った方向を向くと、そこにはまた廊下。何もない。
エリザベスは肩を落としながら、嘲笑した。
どうかしている。
『ヴァンパイアが幽霊になど、呪術を用いらない限り不可能』だ。それも『肉体のある状態に限られている』。
踵を返そうとした瞬間、背後から足音が鳴った。
「誰だ」
来た道を見返したが、やはり何もない。もう一度、角先を見つめてみたが、ロマネスク様式の廊下が続くだけ。
何気なく側の窓に目を移すと、月が煌々としている。噂は噂か。そう思い、帰ろうとした途端、下の処刑場で馬の嘶きが聞こえてきた。
すぐさま窓に歩み寄ると、エリザベスは思わず目を見開いた。
噴水を中心に、霧のようなぼやを吹き出しながら、馬車が走っている。その馬車の窓からドレスを着た首の無い女が座っているのが、ハッキリと見えたのだ。
「お母様!」
気付いた時には、塔の外へと飛び出しており、着地と同時に周囲を見渡したが、噴水の音だけが流れている。
間違いない、あれは。
エリザベスは小走りしながら、馬車が過ぎ去った後を追っていた。刹那の光景だったが、脳裏に焼き付いて離れない。
肩で息をしていると、冷たい水が頬を伝っていた。何となく、指先で触れてみる。
涙だ。
一滴、また一滴と、涙は地面に落ちて、白い吐息は暗黒の空へと吸い込まれていった。
ジェラルドは、主の個室の前で何度もノックを繰り返していた。
しかし中から応答はなく、またエリザベスがいる気配もない。日中出かけたせいで仮眠を取っている、最初はそう考えたがどうも違うと狼の直感が告げている。
不意に、中でガサガサと音がした。
「姫殿下」
たった今ロンドン塔から急いで戻ってきた処女王は、内心ギョッとして扉に顔を向けつつ、深呼吸をする。
「バーリー卿か。何の用だ」
人狼の騎士は、小首を傾げた。
扉越しにも関わらず、外気の匂いが鼻腔を刺激する。しかもそれは、嗅ぎ覚えのある匂いだ。
「...いえ、日中の外出が気になりまして。お加減は如何ですか?」
その低音の声に、バレていないことを祈りながら大丈夫だと伝える。出た方が説得力が増すだろうか、そう感じたが、何百年かぶりに泣いた上に、恐らく外の匂いが染み付いているだろう。
彼女は気遣いに礼を言うと、今夜はゆっくりするとだけ言い放ち、そのまま男爵を追い返した。
「バーリー卿、急を要する話とは?」
ロマンスグレーのスーツ姿の男性が、中指で眼鏡を正しながら、小綺麗なデスクに現れた見上げるような体躯の、猛獣のような目付きをした男に問いかける。
ジェラルドは今日一日のやり取りを、この教会を取り締まっている責任者である、ヴァレンティヌスに伝えた。
「それで教会長。貴殿の見解は」
ヴァレンティヌスは、唇を曲げながら顔の前で手を組み合わせた。
「ロンドン塔には、確かにあの方の母君、アン・ブーリン様の幽霊目撃情報が多数ございます。しかしバーリー卿、陛下は''あの事''をご存知なのですか」
あの事、という単語に黄色い眼が怪訝に動いた。
「存じません。父王のヘンリー様、並びに王妃であったアン様からも、堅く口止めされていましたから。ただー」
「当人が知らない真実を、異母姉の暴君は知っていた。そうではありませんか?」
メアリー1世。エリザベスの異母姉、先王でもあった彼女は、イングランドを圧政していた流血女王。
『血塗れメアリー(ブラッディ・メアリー)』の忌み名がある彼女は、度重なる迫害行為の末、失脚を余儀なくされた。
その際、メアリーを支持していた者達に、いつか自分が求められ復活する日が来ると、強力な黒魔術を施した品々をばら撒き、眠りに就いたという。
『不死にも様々な形がある』と言い遺して。
彼女の蘇生を阻止すべく、エリザベスは永き眠りから覚醒したが、皮肉にもその遺言通り、封印は解かれ始めている。
「先ずは、何の目的であの場に向かったのか、そして本当に今夜あの場に足を運んだかの立証が必要ですな」
「殿下は、わざわざ黒魔術を用いて外出なさっていたとみて間違いないでしょう。でなければ、私の目を盗んでこの場から出るのは叶わぬ夢。帰宅と同時に、教会のヴァンパイア避けが効いたのか、それとも丁度魔術の効果が切れたのかは不明瞭ですが」
二人は暫くエリザベスの行動を監視することにし、''専属のハンター二人''にも協力するよう、要請することを約束した。
ギルバートは、ヴァンパイアの個室に繋がる廊下で、またしても急遽な子守に、苛立ちを隠しきれなかった。頭をガシガシと掻きながら、側で簡易なテーブルとソファに座り、ノートパソコンを使っている相棒の周囲をうろつき回っている。
「もう!トラか何かなの?気が散るんだけど」
キーボードから手を離し、ジェシカが溜息混じりに言い放つ。
「いくらなんでも扱き使い過ぎだろ、あのじじい!」
女狩人が眉を上げる。
「ワオ、今の録音しとけば良かった」
軽口を叩きつつも、内心は疲労に押し潰されそうだった。ヴァレンティヌスから、二人に勅命の任務が下ったのだ。
''暫く、エリザベスの動向を監視するように''と。
また、この件はバーリー卿も認知している為、何かあれば彼に聞くといいとの、他力本願とも思える追記もあった。
「でも、何でまたこそこそ監視なんて。もうこっちで引き取ってあるのに...」
「どうか非礼をお許し願いたい。ギルバート殿、ジェシカ殿」
急に、廊下の先から声が聴こえて来たかと思うと、ジェラルドが深々と会釈した。
「やめてくれよ。そういうのは、あんたのご主人様だけにしろ」
「ねえ、バーリー卿。どうして突然監視なんか」
ウェアウルフは、心底申し訳無さそうに、ヴァレンティヌスにした話と同じ内容を二人に告げた。
「マジか。何でロンドン塔なんかに。お嬢さんにとっちゃ、思い出したく無いことばかりだろうに、あの場所は」
思い出したく無い。自分の発した言葉に、青年は顔を引きつらせた。
「ひょっとして、''お母さんに会いに行きたかったから''とかじゃないよな」
「ええ?!あの人幾つよ。見た目は、あたし達と変わらないけど、国王だったんでしょ?」
「仰る通り、国王''だった''御方。今のイングランドの基盤を築き上げた、ヴァージン・クイーン」
そこまで言うと、人狼は妙に黙り込んだ。
男女の狩人は、顔を見合わせる。
「統治者としての枷は無いってか。でも今更、母親の幽霊に会いに行ってどうするんだよ。しかも、あくまで噂話だ」
男爵はネクタイを締め直すと、伏し目がちに口を開き始めた。
「私は、異母姉のメアリー様にお仕えしていた時期もありました』
「あたし達が復活を止めようとしている、例のあの人に?」
ジェシカの言葉に、テューダー王朝のイングランドは、非常に凄惨だったことを語った。それから、スペインとの戦争のきっかけとなる、エリザベスの親族、メアリー・ステュアートを処刑する際、その署名をかなり渋っていたことも。
「殿下はこう申していました。''メアリーが他人なら、指一本だって触れない。母を殺すのが父の務めだったのか''と」
ギルバートの沸点は、今や平常に戻っていた。国王の責務とはいえ、自分が父親と同じことをしなければならなかった、それが彼女にとってはトラウマなのかもしれない。
女王が身内を手にかけるのは致し方ない。ましてや国を守る立場の者がと、周囲は腹を立てるだろう。
しかし、そんな時代は過ぎた。
バーリー卿は、決断を先延ばしにするエリザベスに、怒りを通り越して呆れを覚えたこともあったが、覚醒して人間に気付かされたことも沢山ある。
それからほんの少しだけ、何故エリザベスがヴァンパイアの政権を人間に譲渡したのかも。
「ただ、問題が。殿下ですら知らない事実が、裏目に出ないかと。まさか、500年後に知らない方が幸せなことを突きつける羽目になるとは」
裏表があるのが、歴史。
心苦しさを抑えきれず、ジェラルドは廊下を彷徨き始める。
その''秘密''こそ、彼はまだ教えてはくれなかったが、ハンター達は要求通り、暫く彼女の監視を引き受けた。
それから次の日、また次の日と、夜が満ちるとエリザベスは一定時間教会から抜け出すようになっていた。
「三日連続で無断外出とかある?あたし達なら、規則違反でペナルティーよ」
ピッキングで部屋を開錠しようとしたが失敗に終わり、ワインレッドのスーツにツールをしまいながら、ジェシカはギルバートとジェラルドの元へと帰ってきた。
「内側から黒魔術をかけているのでしょう。我々ではどうすることも出来ません」
「常習犯と分かった所で、尾行するプランがねえぞ」
ソファにもたれかかり、踏ん反り返る狩人に、人狼はとある品を取り出した。
ステンレス製の小さな箱に入ったそれは、何かの機械のようだ。
「殿下が抜け出している確信が持てた時に、教会長から貴方方に手渡すよう言われました。曰く、簡易な黒魔術なら跳ね除ける術式を施した、超小型GPSなのだとか」
二人はそれぞれGPSを指で摘むと、シャンデリアに米粒程の大きさしかないそれを当てて観察した。
「へーえ。いつの間に」
「だけど、またどうせ試作品でしょ。あたし達いつもテスト要員だから、何となく分かるのよね」
すると、ジェラルドは小さく笑った。
「例え試作品でも、それはお二方の手腕を見込んでのこと」
次回、エリザベスが部屋に入る際に、こっそりと服に入れておこうと、話は纏まった。
薄暗い廊下で、子供のような話し声が反響している。
惨たらしく切断された首のない透明な女の横で、その手に握られている''顔''に、白金の長髪と真紅の瞳が特徴的な、アンティークドールのように端正な容姿をした女が、思い出話を聞かせていた。
「...それで、私はこの国に魂を捧げたのです。結婚もせず、夫も持たず、故に子も持たない。そんな私を、人々は処女王(ヴァージン・クイーン)と呼んで」
無言で正面を向いたまま、すぅっと前進し続ける''母親''に合わせて歩きながら、エリザベスは楽しそうに話続ける。
急に彼女の全身を、冷気の突風が貫いた。咄嗟に腕で顔を覆うや否や、廊下に灯されていた蝋燭の明かりが消え、またアンの姿も無くなっていた。
「お母様、お母様!」
周囲を見回しながら叫んだが、自分の声がこだまするだけ。
「...今日はもう帰れ。そういうことか」
エリザベスは名残惜しさを感じつつも、その胸は温もりで満たされていた。侵入した窓から足早に外へと飛び降りていく。
その光景を、青白く光る不気味なドレス姿の女が、見送っているとも知らずに。
今日も夜がふけ、ロンドン市内に街灯が灯り始める。個室で人工血液を飲んでいたエリザベスは、ロンドン塔に出向くべく、黒魔術の下準備を行なっていた。
「ねえ、元女王様。あたしよ、ジェシカ。ちょっといい?」
一瞬心臓が脈打ったものの、冷静に返事をする。何でも、見て欲しい品があるのだとか。ここ数日、夜にハンター達と顔合わせはしていない。
無断外出をしていない工作の為にも、顔を出してもいいだろう。
彼女は扉を開くと、そこに立っていた女狩人の姿を凝視する。ジェシカは快活に笑った。
「何だか眠そう。ヴァンパイアなのに、昼夜逆転?」
吸血鬼は口角を上げて、牙を覗かせた。
「そんな訳がなかろう。要件とは?」
ジェシカは内ポケットから、如何にも怪しげな造りの人骨を取り出してみた。勿論これは、何の仕掛けもないただのフェイクだ。フェイクと言っても、悟られないよう物自体は本物だ。
仕事中に見つけたと、最もらしい理由を並べて、彼女がそれを眺めるのを見つめる。
「何かの呪術に使いそうだと思って...あの棚どうしたの?」
「棚?」
エリザベスは、如何わしい物でも出していたのかと焦りを感じて部屋の隅にある棚に視線を投げる。
瞬時に、ジェシカはホルスターからスタンガンのような機材を抜き、処女王の服の上下に、例のGPSを射出した。
「私には別段変わったようには見えないが。どうかしたか」
「じゃああたしの気のせいかも。ほら、貴女の部屋なんてほぼ来ないし」
愛想笑いで誤魔化しながら、フェイクの方はどうかと改めて問いかける。当然ながら、何でもない、ただの遺棄物だろうと。
「ここは仮にも教会なのだ。身元が解らぬのなら、せめて筋道を立ててやれ」
女狩人は、分かったとでもいうように首を振った。
実を言うと、この人骨は教会が引き取っている者から拝借したもので、最もすぎる言葉に、逆に恥ずかしさを覚えた。
「この仕事をしていて初めて、死者を悼むヴァンパイアに出会ったわ」
エリザベスは、僅かに顔を背けた。
「私は数多の生命を見送ってきた。そして時に思う。不老とは、天罰ではないかと」
処女王は、返却した人骨に優しく触れた。
「汝は実に美しい」
何処か物悲しげにも見えるその表情に、ジェシカは居た堪れなくなり、礼を言って足早に人狼と同僚の元へと帰った。
「お戻りになられましたか。任務を引き受けて下さり、感謝します」
人狼の謝恩に、ジェシカはどこか深妙な気分で頷いた。
様子がおかしい相棒に、ギルバートが声をかける。
「どうしたんだ、失敗したとか」
エリザベスの憂いを孕んだ顔が忘れられない。
彼女はグレーの瞳で、真っ直ぐに青年を見た。
「ギルは、人間を心底から悼むヴァンパイアなんて居ると思う?」
ギルバートは唸った。
「何かあったのか」
バーリー卿は、自分の主人をよく解っている。あることがきっかけで、''人間臭さ''が増したことも。
「...ともあれ、GPSの取り付けは完了したのですね」
常に冷静なウェアウルフの問いに、現実に戻る。彼女は成功した旨を伝えると、処女王が帰って来ない内に、ギルバートと共に現場に急行することにした。
トレイターズ・ゲートの前で、ギルバートとジェシカは警備員に''証明書''を提示していた。
「MI6ですか?訪問されるとは伺っておりませんが、どのようなご用件で」
狩人の二人は、互いをを盗み見る。
警備員に提示したのは、ヴァンパイア ハンターの仕事柄、持ち歩いている''精巧な偽造カード''の一枚だ。
「我々は、地域課の者でして。大きすぎる国家遺産の点検をしていたら、こんな時間に」
知的に振る舞うギルバートの横から、相棒が渋い笑みを浮かべる。
「連絡が滞ってしまった件については、謝罪します。今夜はこちらが引き受けますので、ゆっくりして下さい」
毅然とした二人の態度に、警備員は軽く会釈をした。
「お若いのに優秀ですね、MI6に所属しているのも納得だ。遅くまでご苦労様です。それでは」
それから、他の警備員達にも無線で連絡しながら、彼は立ち去って行った。
「俺って真面目にしとけば、案外通じるのかも」
ニヤニヤする狩人に、ジェシカは目をぐるりと回した。
「自画自賛は後にして。お姫様の現在位置は?」
素っ気ないとでも言うように、ロングコートからスマホを取り出し、吸血鬼に取り付けたGPSを検索する。
「中庭の近くの廊下だ」
赤く点滅する点を、ジェシカも覗き込む。
「移動中かしら、動いてる」
「いいや。多分違う」
青年の髪が風で揺れる。
「この廊下の内側、昔は処刑場だったんだよ。今は、''ママ''の幽霊が出るって、人気観光地だけどな」
「急げってことね」
裏切り者の門を潜り、ハンター達は足早に現場へ向かっていた。階段よりも長い廊下が続くロンドン塔では、石造りの影響で歩く音が響きやすい。
あくまでMI6を名乗って潜入した為、監視カメラが点在する場所ではそれらしい行動を取っていく。
やっとの思いでエリザベスがいる階層まで到達すると、廊下のどこかで彼女の声が反響している。急に大気の温度が下がった。これは幽霊が近くに存在している時に起こる現象だ。
彼らは、一段ずつ慎重に、音が鳴らないように足をかけていく。見つかるのを避け、ペンライトを使わず、塔内の灯りだけを頼りにしているせいか、普段より鼓動が速くなる。
階段の半ばまで差し掛かると、ギルバートは一旦立ち止まり、相棒に口を開かないよう人差し指を自分の唇に当てた。
どうやら、この位置から詮索するつもりらしい。
気温は下がり続けるまま、ジェシカは寒さで小刻みに震えつつ承諾する。
エリザベスの声が段々と近づいて来るにつれ、冷風まで通るようになってきていた。
唐突に頭上の蝋燭が、こちらに向かって順番に消えて来る。
ボッと音を立てては煙を上げ、下へ下へと降ってきていた。
ギルバートはジェシカに視線を投げると、大丈夫だと言わんばかりに、何度も首を縦に振る。
遂に二人の頭上の光も失せ、微風と共に振り返ると、まるで見えない何かが消しているように、闇はそのまま背後に広がっていく。
今夜も無邪気に、自分の統治時代の話を、アンの幽霊に語っていたエリザベスは、今宵は妙に母の歩みが速い気がしてならなかった。
何も答えてはくれないが、並び立つのは間違いなく母だ。
初めはヴァンパイアの幽霊など、と疑念を抱いていたものの、今やそんなことはどうでもよくなっていた。
形はどうあれ、願いが叶ったのだから。
ギルバート達が潜んでいる階段の出口に、その姿が現れた。声のない悲鳴が出そうになったが、二人は必死に飲み込んだ。
全身が青白く光りながらも、切断された頭部には噂通り首がなく、どす黒く固まった血液が、茶色いドレスの至る所に付着していた。
そして、その両手には血の気のない死人の顔。それはよく知れ渡っているアン・ブーリンの肖像画と酷似している。
噂話ではシュールだと笑っていたものの、百聞は一見にしかずといった具合だ。
不意に進行を止めた母に、エリザベスは小首を傾げた。
「どうしましたか。今日の話はお気に召さなかったのでしょうか...」
しょんぼりしている処女王が、別人に見える。変な汗をかいたまま、ギルバートはそれとなくGPSを確認してみたが、やはりエリザベス本人で間違いない。
彼女は、奇妙に静止したままのアンの手に触れようと腕を差し出した。
「...エリザベス...」
生首から発せられた声に、ジェシカは小さく飛び上がりかけた。
「お母様!」
反して、三日目にしてやっと口を聞いてくれた母親に、ヴァンパイアは満遍の笑みを浮かべる。同時に、母はこんな声だったのかとも胸がすいた。
ふと、視界からアンの姿が消え、急いで視線を動かすと、彼女は廊下の突き当たりの壁にもたれかかっていた。
それから、生首だけがゆっくりと娘の方を向く。
「ずっと...ずっと見ていたわ。私の...可愛い娘...その眼...憎たらしい程...父親にそっくりよ...」
王女の胸が疼き、思わず俯く。
「私は...私は、お母様のような死に方だけはしたくありませんでした。ですが、結局お父様と同じことを...」
おどおどしながら話すエリザベスを、ハンター達は静かに見守る。
「お聞きなさい...エリザベス...」
アンの声は掠れて抑揚も無かったが、必死に搾り出しているようにも聴こえる。
「...生命は逞しく残酷ね...こんな物騒な世の中でも…絶望どころか...欲望が集まる一方だもの...それが無くならない限り、この輪廻は繰り返す...」
「...ごめんなさい。お父様やお母様のように、残酷にはなりきれませんでした」
それに、異母姉のようにもと、心の中で呟く。
処女王は、自分の声が震えていることに気付いていたが、情緒の乱れは制御出来なかった。
「私が王妃として...何より誇らしかったのは...」
娘の言葉を遮り、アンは穏やかに言葉を紡ぐ。
「エリザベス...貴女を''娘として持てた''こと...」
気付けば目に溜まった涙で視界がぼやけ、瞬きと同時に、大粒の雫が溢れていく。
「それは昔のことでしょう?」
嗚咽混じりに涙を拭うヴァンパイアには、ヴァージン・クイーンの面影は無かった。
「いいえ...ベス...永遠に変わらない...」
アンは笑みを浮かべると、もう思い残すことは無いかのように、透明になっていく。
「そう...私達とは違った...だからこそ新世界を築き上げられた...」
眉根を寄せる愛娘に、精一杯微笑みかける。
「役目を果たしなさい...忘れないで...貴女が''誰''か...を」
「待って!行かないで!」
母に駆け寄ろうとした途端、足が何かに捉われたように動かなくなった。下を見ると、無数の透けた手がエリザベスの両足を掴んでいる。
離そうと動かすと、更に床から腕や手が伸び、彼女の動きを妨げていく。生者は死者に干渉できないとでもいうように。
階段の中心部では、ギルバートとジェシカが、まるでホラー映画を観ているような面持ちで、固唾を飲んでいた。
そうしている内にも、消えていくアンは待ってはくれない。
吸血鬼は涙を流しながら、必死に手を伸ばす。
「一人にしないで!」
「...私はいつも...側にいるから...忘れないで...貴女が誰なのかを...」
そう言い残すと、幽霊は一筋の光となり、天へと昇って行った。粉雪のように輝く、光となって。
「...忘れないで...」
最後にもう一言だけ、母の遺言が届くと、足の拘束が無くなり、エリザベスは前のめりに転倒した。
瞬間、GPSが破損したのか、ギルバートのスマホが小さく震える。
漆黒の中でエリザベスのすすり泣く声だけが僅かに聞こえ、二人はこれ以上の詮索は必要ないと判断し、教会へと直帰した。
教会へと帰り、ウェアウルフの元へ向かうや否や、彼は明らかに何かがあったと顔に書いてある若者達に、アンの幽霊と主人であるエリザベスは確かに居たかとだけ投げかけた。
数日の疲労もあるだろうが、この顔色の悪さと辛辣さは異常である。
「ありがとうございました。それだけ伺えれば十分です。後は私にお任せを。また話したいことがあれば、後日に。ゆっくりと休養を」
「...ああ。そうする」
ギルバートは、疲労に満ちながら答えると、塔内でのエリザベスの姿に思考を鈍回させつつ、ジェシカ共々自分達の部屋へと戻って行った。
イングランド国教会へと戻ったエリザベスは、自分の個室に入ってきているウェアウルフを見て、血の気が引いた。
「何故ここにいる」
黒魔術はかけて出た筈だ。
呪術を操るのに不得手なウェアウルフの彼が、自分の魔術を解呪出来る訳がない。
ジェラルドは黙ったまま、じいと彼女を見つめている。
「何故だと聞いているのだ!」
感情が剥き出しになり、真紅の眼が燃え盛る業火さながら紅くなっていくと、魔力が暴発して部屋の骨董品が幾つか砕け、人狼の頬にかまいたちが走った。
彼の頬からじわりと滲み出る血液に、エリザベスは鼻を鳴らす。
「出て行け!私の部屋に無断で侵入した言い訳は後で聞く」
「ここまでご乱心召されるとは予想外でした」
今度は首筋にかまいたちが走り、ジェラルドは軽く血を拭った。
「聡明な頭脳ならもうお分かりでしょう。隠し事はここまでです、エリザベス様」
「指図をするな!私は女王だ!」
窓辺のカーテンを爪で引き裂くと、彼女は部屋を歩き回り始める。
「ええ、かつては。そこで、陛下に申し上げなければならない真実があります」
人狼は吸血鬼の前に跪くと、頭を垂れた。
「女王の機嫌取りなどせずともよい!顔を背けたまま立ち去れ」
「これは、アン様からのご命令です!」
その言葉に処女王の足が止まり、眉間に皺を寄せる。
「なに?」
ジェラルドの前に、影が落ちる。彼は頭を下げたまま、これ以上主人の気を害さないよう話し始めた。
「女王陛下、ここ数日の行動は監視させて頂いておりました」
パキン、とまたしても何かが割れた音が響く。
「もし覚醒を果たし、陛下が母君の元へ赴くことがあれば告げよとの命です」
「ほう?それは本当に母上からか」
「父王のヘンリー様からもでございます」
父親の名が出てくるとは想定外だった。
エリザベスは、何度か瞬きをすると、次の言葉を促してみる。
「陛下の母君、アン様は...『元人間のヴァンパイア』でした」
「元人間...?」
エリザベスは何かで頭を打ったような感覚に襲われた。母は、父の愛人でしかなかったものの、ヴァンパイアではあったと聞き育てられたからだ。
「陛下を身篭った時には既に、アン様はヘンリー様によって、ヴァンパイアに転生していらっしゃったと聞き及んでいます」
ヴァンパイアへの転生。
それは、''人間としての死''を迎えなければならない。
「それは...母上が望んで?」
「左様。人間との決別は、アン様のご意志でございます」
ジェラルドは、自分を孕んだ時にはもう吸血鬼として、第二の生を歩んでいたと言った。
「陛下もよくご存知の通り、人間は欲深く、そして傲慢になりやすい」
刹那に、先程母親が口にしていた内容を思い出す。
「陛下の心は、諸刃の剣。それをお伝えしたかったのかもしれません」
ヴァンパイアのまま処刑されたにも関わらず、幽霊となってあの監獄を徘徊していた母は、実はかなりの野心家だったのか、そう考えると頭痛がしてきた。
「そしてもう一つ。''ヴァンパイアの階級差''の影響で、生粋の王族の間に生まれた異母姉のメアリー様の施した呪術が、貴女様に解けない誠の理由は、これなのです」
エリザベスは混乱しながら、小さくかぶりを振った。自分がかけた黒魔術を、彼が破れた真意が解ったからだ。
教会のヴァンパイア避けの術式に引っ掛かり続けていたから、身体にこそ害はないが精神を使う黒魔術の威力が、意図せず弱まっていたのだろう。
私は''誰''なのだ、何の為に蘇生したのか。
お母様が私にかけて下さった言葉の数々は本音なのか、娘に自分を重ねて満足していただけなのか、愛されてなどいなかったのか。
額に手を当てながら唸る彼女に、人狼はとある首飾りを差し出した。
「これは...?」
『B』のアルファベットの首飾り。それは母親の肖像画に必ず描かれている代物。
そういえば、あの幽霊はこの首飾りを付けていなかった。そもそも、掛ける部位が欠損していたが。
「こちらも預かっていました。この形見が、貴女様を想う証拠です。アン様は肌身離さず、その首飾りをしていらっしゃいましたから」
エリザベスは、両手で包むように受け取ると、胸元で握りしめた。
『忘れないで』。
何度もそう繰り返していた母の声が、頭の中でぐるぐるする。普段の落ち着きを取り戻していたエリザベスに、男爵は胸を撫で下ろした。
今空は開かれ、運命が近づく、立ち上がる時だ。
〜To be continue〜
本編の抜粋というのもあり、思いの外長くなってしまいました。文章の表現が回りくどいかもしれません。ちょっと、推敲する余力が無いので、ご勘弁をばorz