みなさん、こんちわ。
今回は、ちょ~っと真面目に?考えたお話です。
わたくし脳梗塞を罹患して左半身に麻痺が残って4年と5ヶ月ほど経過しました…が
いまさらではありますが、改めて気づいたことがあります。
(気付いたというか、身をもって経験してきた上で、と申しましょうか、)
それは…、ごく当たり前のことかもですが、
「人間って、思っていた以上に両手を使って生活していたんだな」
ということです。いまさら?ですけどね😅
脳梗塞になる前は、そんなことを考えたこともありませんでした。
右手で何かをしているときには、左手も自然に動いている。
物を押さえたり、支えたり、持ったり、引っ張ったり……。
右手が主に作業をして、左手がそれを支える。
あるいは、左右の手がそれぞれ違う役割をする。
そんなことを、毎日の生活の中で当たり前のようにやっていたんですよね。
ところが、左手が思うように使えなくなって、その「当たり前」が一つずつ難しくなりました。
「右手が使えるんだから、まだいいじゃない」……いや、そうじゃないんです
例えば、料理をするとき。
右手だけでも、ある程度のことはできます。
洗濯だって、着替えだって、ちょっとした片付けだって、工夫すれば右手だけで何とかなることもあります。
私は利き手が右手なので、右手が今まで通り使えることには、本当に助けられています。
だから、
「利き手の右手が使えるんだから、まだいいじゃない」
と思われるかもしれません。
確かに、右手が使えることはありがたいです。
でも……
いや、そうじゃないんですよ。
私が言いたいのは、そういうことではないんです。
右手が使えるから、左手は使えなくてもいい。
右手だけで何とかできるようになれば、それでいい。
私は、そうは思わないんです。
なぜなら、脳梗塞になる前の私は、右手だけで生活していたわけではないからです。
右手を使いながら、左手も使っていた。
右手が作業をしているとき、左手は物を押さえたり、支えたり、持ったりしていた。
それが私にとっては、ごく普通の生活でした。
だから私が取り戻したいのは、目標にしてるのは、
「右手だけで何でもできるようになること」ではありません。
「右手と左手、両方を使って生活すること」なんです。
「片手でできる方法」は、確かにある
いまでも入院していた頃のことを思い出します。
左手が動かなくていろんな事が出来なくなってしまい
何をどうすればよいのかが分からないことが沢山ありました。
毎日毎日リハビリを受けながら日常生活に関わる全ての諸活動を教えていただきました
例えば入浴のとき、タオルを絞ろうとして、
今までは何の気なしに、タオルや雑巾などを両手で絞っていたのに、突然、それができなくなってしまった。
これまで当たり前にやっていたことなのに、全てを片手でやらなければならない。
正直、どうすればいいのか戸惑いましたし、ちょっとした混乱もありました。
「……これ、片手でどうやって絞るんだ?」
と悩んだこともありました。
タオルを右手一本でギュッと握るだけでは、当然うまく絞れません。
そこで教えてもらった一つの方法が、片手でもタオルを絞る方法でした。
タオルをシャワーバーなどに巻きつけて、片手でひねるようにして、グリグリと絞っていく。
実際にやってみると、ちゃんとタオルは絞れました。
「なるほど、こうやって片手でもできるんだな」
と、そのときは思いました。
ほかにも、食器を洗うときには、シンクの一部分に食器を当てて固定し、右手だけで洗う方法を教えてもらいました。
入院中も退院後も実際に、シンクの縁の角に食器を当てて固定して、片手で洗っていました。
まあ、綺麗に洗えるかどうかは置いといて……(笑)
確かに、これでも洗えるんです、洗えてはいるんですが、
ただ、食器がシンクに当たるたびに、
「ガンガン、ガンガン!……」
と結構な音がする。
「音がすごいなぁ、うるさいなぁ、割れそうで怖いなぁ、……😓」
と思いながら洗っていたのを、今でも覚えています。
こういう多様な工夫のおかげで、片麻痺になっても「できること」は少しずつ増えていきました。
これは本当にありがたいことでした。
でも、今になって思うんです。
「できるようになった」ことと、「本来やりたかったこと」は、ちょっと違うんじゃないか。
片手でできることが、ゴールではない
タオルを片手で絞る方法を覚えた。
食器も片手で洗えるようになった。
作業療法士さんから、生活の中で、片手でもできる工夫もいろいろ教えていただきました。
それによって、日常生活を何とか回していくことはできます。
でも、タオルや雑巾を両手で持って、ギュッとひねって絞る。
そんなことを、私は脳梗塞になる前には普通にやっていました。
ですので当時、
「この先ずっと…、片手でこうやってやっていくのかな…」![]()
と思ったことがあります。
できるんですよ。
確かに、右手一本でもできる。
それなりに時間もかかりますが、何とか右手だけでもできるんです。
でも……
「いや、そうじゃないんだよな」
という気持ちが、どこかに残っていました。
片手でできる方法を覚えることは大切です。
それは、今の自分の生活を支えてくれる大切な工夫です。
でも、それが私の最終的な目標ではありません。
いまは片手でしかできないから、片手で何とかする。
そこからもう一歩進んで、
「もう一度、両手を使って生活したい」
と思うんです。
左手を取り戻したい理由
ここで、最近知った言葉があります。
「非対称な両手動作」
という言葉です。
ちょっと難しそうに聞こえますが、考えてみると、私たちは普段からこういうことをやっています。
右手で包丁を使い、左手で食材を押さえる。
右手でフタを回し、左手で容器を支える。
右手でタオルの片側を持ち、左手でもう片側を持って絞る。
もちろん、これらはほんの一例で、他にも両手を使う場面はたくさんあります。
つまり、左右の手が同じことをするのではなく、
右手には右手の役割。
左手には左手の役割。
それぞれ違う仕事をしながら、一つの作業を完成させる。
これが「非対称な両手動作」ということなんだと思います。
そして、考えてみれば、私が取り戻したいのも、まさにこういうことなんですよね。
だから私にとって、左手が動くようになることは、
「左手だけで何かをするため」
ではありません。
右手と左手を一緒に使うためです。
これは、単に「左手をもっと動かしたい」という話とは、少し違うのかもしれません。
「両手を使える自分に戻りたい」
ということなんだと思います。
もう一度、両手を使って生活したい
もちろん、どこまで回復できるのかは分かりません。
でも、できる範囲でいい。
左手にも役割を持たせたい。
右手だけに全部を任せるのではなく、左手にも参加してもらいたい。
そしていつか、
「ああ、両手でやってるな」
と自然に思えるようになれたらいいなと思っています。
片手でできる方法を覚えることは、決して無駄ではありません。
それがあったからこそ、私は今まで生活してこられたんだと思います。
でも、
片手でできるようになることが、私のゴールではない。
私が目指しているのは、
もう一度、両手を使って生活すること。
それが今の私の目標であり、希望なんです。
片麻痺になって初めてではなく、
片麻痺になったからこそ、改めて気づいたこと。
「人間って、思っていた以上に両手を使って生活していたんだなぁ。」
これはあくまでも、片麻痺になった自分だからこそ感じた、個人的な考えや願いなのかもしれません。
でも、自分も脳梗塞になる前は、両手を使って日常生活していることなんて、意識したこともありませんでした。
それが当たり前すぎて、「両手を使って生活しているんだな」なんて考えたこともなかったんです。
そして私は今、
もう一度、両手を使って日常生活したい!!
と、思っているんです…。
諦めないぞ~!( •̀_•́)ง







