4月28日に、鎌倉街道中道歩きの第二回で、前回ゴールの下永谷から、JR横浜線の中山までの区間を歩いた歩き旅のその2です。
当日の歩行ルートは↓。
歩いた距離は寄り道含めて17㎞前後でした。
その1ではかなり道幅の狭い草道の旧道を抜けて、住宅街にたどり着いたところまでをご紹介しました(↓再掲)。
道なりに坂を下って行きますが、歩いているところと住居の高低差がすごい!
見上げるような高さのところに住居があって、年を取ったら上がるのが難しそうなこうした家はこの横浜と我が松戸の一地域で見かけます。どちらも谷戸地形のところでこういうのを見かけますね。
郵便局の前に街道遺構があるはず、、あっ、そのピンクの□で囲んだところですね。
こちらが、柏尾郵便局の前に残る五輪塔です。「ちょこん」といった風情でかわいい感じ。
このヤマザキパンの工場の手前を走る車道は実は10年ほど前に、右から左に向かって歩いた旧東海道なんですがあまりこの辺り覚えてないんですよね。
当時は一里塚跡とか本陣とかいわゆるメジャーな街道遺構ばかり気にしており、あまり細かいところを見ていなかったのでしょう。
ヤマザキパンの工場の斜向かいにいい感じでシブい床屋を見つけたので辻斬り的に激写して通り過ぎます。
以前ここを東海道歩きで通りかかったときにはまだ無かったオブジェでしょうね。オシャレでいいじゃん。
跨線橋でJRの線路を越えていきます。
その先で柏尾川を渡って、、、ん?柏尾川、、何かその名前には覚えがありますよ。
そうか、この時に歩いた付近だったか。11年前の自分の歩いたルートと交差した訳だ。
柏尾川を渡ったら、右折してすぐ先のこの交差点↓を左折します。
更にそのすぐ先、商店のところで右折→左折と桝形のようなルートで進みます。
、、んですが、すごく古い商店とかではないものの、曲がり角にある商店はちょっと記録しておきたかったので、正面に回って激写します。
もう自販機営業主体かも知れませんね。とりあえず応援の意味も込めてコカ・コーラ自販機で、ジョージアの金色の微糖を買って一気飲みなどしました。
2枚前の桝形ルートの写真の左外辺りにも戦後型の三軒長屋の看板建築があったのでこちらも撮っておきます。
そこから先は予想通り鎌倉街道の、とりわけ鎌倉~横浜市内では絶対に避けて通れない坂道!
急な丘陵を切り開いたか、左右の住宅の高低差がもんのすごいですね。
まだ5月初旬でしたがこの日はけっこう気温が上がり、自分の中で「何でこんな暑くなる日にわざわざこんな登り坂を登りに来ちゃったかな?」という弱々しい気持ちと、「そんな事言いつつ、結局こういうのお好きでしょ!?」と自分に囁く街道野郎の気持ちが交じり合った状態でした。
我が松戸でも谷戸地形が多い地域だとありそうな風景だなあ。
一定以上の年齢の方で電動アシストのついていない自転車の人は時折、自転車を下りて押しているのを見かけるのもしばしば。
長い坂をえっちらおっちら登った先にはやや大きな「名瀬橋東側」という交差点があり、ここを鋭角気味に左折してそのまま道路の右側に入ります。
国道1号(横浜新道)を渡る跨道橋を渡ったらすぐに右折してまた上り坂に入ります。
住宅街の端を歩いているらしく、左側は住宅、右側は草っぱら或いは林みたいなところを抜けてゆきました。その先で突然、自分と同じ街道ウォーカーとしか思えないいで立ちと装備の方が、全身草と葉っぱだらけになって金網を越えて来るじゃありませんか!(´・ω`・)エッ?みたいな感じで戸惑いますが、その人はさっさと草だらけのまま歩き始めます。
ああっ、そうか、恐らくこの人は金網の向こうで旧道の痕跡でも探していたんでしょうね。でもこの金網の向こうってすぐに横浜新道なんだから難しいのではないかな(;・∀・)。
一瞬「へへっ、俺は先に行くぜ」みたいな感じの顔をしてその人は歩き始めましたが、見てると妙に歩みが遅い、かなり遅い!!やむなくサラッと追い抜いて我が道をゆきます。
このY字路は右側を進みます。ちょうどこの辺りから旧道に復帰できているようです。
こういう景色、普通の住宅街の道にしか見えませんが、鎌倉街道はこういう事が多いです。
やがて↓の地点に出たら階段を下りて右側に進みます。ほんの短い区間、古道ルートが途切れているので階段を下りる→右に進む→次の角で左折、と進むと旧道に復活できます。
しばらく右カーブ気味の登り坂を進んで行くと、、
右側にある病院を通り過ぎた直後に車道から右に逸れるルート上にマンションに向かって登る階段がありますが、何とこれ、ちゃんと旧道ルートなんだそうです。
で、本来の旧道はここを真っ直ぐぶち抜くように進み、その先にある広大なゴルフ場の中を進んでいくのですが、当然現代ではそんなことはできず、ここから非っ常~に長い迂回ルートを歩かねばなりませんが、この続きはその3でご紹介します。
つづく!!