伊勢別街道で再び津を目指す1日旅 その4 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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昨年12月9日に、旧東海道でも屈指の宿場である関宿から、前回シリーズの伊勢参宮道の津宿までを結ぶ伊勢別街道を歩いた記事のその4です。

 

当日歩いたコースは↓。

歩いた距離は寄り道含めて20kmちょっとくらいじゃないかなと思ってます。

 

その3では楠原宿の出口で楽しみにしていた旧道を撮り忘れストリートビューに頼ったり、峠を越えた並木の風景が地味ながら美しく感じられたところまでをご紹介しました(↓再掲)。

 

集落に入ると、古い屋根を残したままリノベされた民家が見えてきました。

 

家々は現代のものが多いですが、昔と全く同じであろうS字カーブを描く道筋と、建物こそ近代の住宅ながら「昔から代々住んでる家が多いんだろうなあ」と思われる家並み。

 

む!何やら視線を感じる、、、と思ったらやや微妙なピカチュウが明るく飛び出しを注意してくれていました。

 

洋品洋服 ノザキの看板がシブいですが、上から塗料でも垂れたのかやや不思議な感じになっていますね。

 

こちらは古民家の倉を残した医療クリニックになっていました(ちょっとうろ覚え)。

 

そのすぐ先にある筋交い状の四つ辻がなかなか重要な場所。伊勢別街道自身はここで右折。

オレンジの直進方向は蛭谷街道という古道で、楠平尾(くすびらお)、安知本(あちもと)を通って白子に至る道なんだそうです。

 

白子と言えば前シリーズの伊勢参宮道の旅初日で、古民家をたくさん見たのも記憶に新しく、伊勢別街道とも繋がっているのはなんか楽しいものです。

 

で、左方向にはちょっとした建物があるので右折する前にそちらを見に行きます。それが(↓)。

こちらは旧明村(あきらむら)役場庁舎。大正五年(1916)の建築で、国登録の有形文化財です。明村は、明治二十二年(1889)に、町村制の施行によって近隣にあった村が合併した発足し、この庁舎が建てられたという訳ですね。

 

説明板。土日とも一般公開とありますが、ちょっと来た時間が早すぎたかな?

 

明治期の洋館はやはり素晴らしいですね。

 

この建物も見られたので、四枚上の写真の交差点に戻って、伊勢別街道を先に進みます・

 

うーん、ブロ友さんともよくコメントのやり取りしてますが、こちらも不自然な更地と立ち入り禁止の虎模様の柵が。ま、マンションってことは無いでしょう。

路地の向こうの古民家はやはり単に二段屋根+明り取り窓なのか、屋根裏部屋なのか、はたまためっちゃ低い厨子二階なのか。最近こういう物件をよく見かけるのでこうなってくると「お宅の屋根裏見せてください」などという突撃番組を作ってみたくなります( ̄▽ ̄)。

 

む!上の写真の左端に写っている建物は、、

 

やはりなんちゃって長屋門ですね。

 

反対から見ると、、、なんちゃってというより片長屋門系でしたね。

小っちゃい木製の勝手口がついているのがまたシブい!

 

しぶい民家が多いですねえ。ぱっと見た印象では何年か無住なのではないかと思いました。

 

上の写真を撮ったところで180度振り向いて、関宿方向を見ると、、お地蔵さんの祠が。

内側の花も新しいし、大事にされているようでホッとします。

 

Σ(゚Д゚)!傷みまくった屋根と立派な古民家だと分かる立派な破風板の古民家が。

 

後ろ身頃を拝見するとこちらは一部を除いて元の姿が保たれていますが、木製の雨戸はぴったりと閉じられたまま、庭の植物も荒れているので長い間空家だったのかと思われます。

取り壊しなのか大修理なのか。

 

そこそこ街道っぽい風情の道を進んで行くと、画面中央の蔵の向こうに「ビビッ!」と感じる建築物があり、ダッシュ気味に急いで向かいます。

ちょっとここからでは分かりにくいので近くに行きますよ。

 

これです、これ。予想通り、「二階建てなんちゃって長屋門」キタ――(゚∀゚)――!!

 

手持ちのカメラを広角端にしても入りきらないので、iPhoneを超広角にすると、、

通路になっているところの真上の窓から、階下を人や車が通るのをぼんやり眺めてみたくなります(≧∇≦)。

 

!!誰だ俺を見ているのは!?

なーんだ、微妙なピカチュウ第二号か(*´∀`*)。

 

その先の信号交差点で、しばらく離れていた県道10号を斜めに横切ります。

 

と、渡るその前に、上の写真の右側に完全に見切れているのが、こちら。

石灯籠道標です。

 

こっち側は「御神燈 →さんぐう道」

 

読みづらいですが「左り京道」とのことですが、「左」の字に加え送り仮名で「り」って要る?

 

この常夜灯道標の街道向かいには安濃鉄道終点林駅跡地」の木柱がありました。

安濃(あの)鉄道は大正7年(1918)創業の孤立路線の鉄道で、三重県津市と同県河芸郡椋本村(現津市芸濃町椋本)を結んでいたそうです。

 

ここからしばらく歩くと次の宿場、椋本に入っていきますが、今回の記事はここまでとして、つづきはその5でご紹介します。

 

つづく