伊勢参宮道で伊勢詣り Day3の7 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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10月3日(火)~6日(金)に四日市近郊の日永の追分から伊勢神宮まで続く 伊勢参宮道を歩いた旅の模様、三日目の旅のその7をお送りします。

 

この日の歩行ルートは↓。当初まばらでしたが、記事で触れているところについては大体街道遺構などのポイントも記載できています。

この日は松阪の中心街から、伊勢神宮の外宮(げくう)の門前町、伊勢市駅前まで歩き、寄り道含めてざっと23~24㎞ほどの行程です。

 

その6では、かつて天皇の皇女(ひめみこ)が天皇の代理として伊勢の斎宮と呼ばれる御所に「駐在」し、伊勢神宮にお仕えしたその斎宮関連の寄り道のうち、いつきのみや歴史体験館や古代伊勢道の痕跡などを中心にご紹介しました(↓再掲)。

で、ここからさらに「斎宮歴史博物館」にも入ります(これも再掲↓)。

 

そのすぐ付近になんか小さな丘みたいなものが、、古墳?

真ん中に写っている小さなプラカードをズームして読んでみると「塚山2号墳」とあったので

やはり古墳だったようです。

 

さて、中に入りますよ!

 

まずは斎宮のあったエリアの発掘マップと、見つかった器などの展示から。

 

これは斎宮全域の縮小模型ですね。左下に寝殿、その上方左側に神殿、それにいくつも○○司みたいな係ごとのエリアがあって、斎王に伴ってきた人たち全部合わせると500人を超える人たちが住まう、地方の国府などよりも大きな組織だったそうです。

現代の感覚だと「そんなに⁉」とも思いますが、天皇の代理で伊勢の神にお仕えするという、かなり重大な公務なので、当時で言えば当然のことなのでしょう。

 

朱彩土馬、、祭祀に使用されたものですが、べんがらで彩色されていたのだそうです。

 

斎宮として選ばれた未婚の皇女、重要な公務として神に仕えていたのですねえ。

 

さらに進むと当時の輦台などの復元もありました。これは先ほどの「いつきのみや歴史体験館」でも見た、天皇、皇后と斎王しか乗れなかったという葱華輦(そうかれん)ですね。

 

斎王の日常。うーん、何か、、いいですねえ。

高校生の頃に古典の勉強の一助に、と読んだ『あさきゆめみし』で、光源氏の兄にあたる朱雀帝が、斎王として伊勢の斎宮に向かう姫がいかに美しかったかを語るシーンがあったのを読んで、

「そうかあ、斎王(ここでは斎宮、と表現)って綺麗なんだぁ」、みたいな幻想を抱いていたので、斎王の居室が見られて何だかちょっと嬉しい気持ちに(〃ノ∀`〃)ポッ。

 

こちらが当時の鏡台を復元したもの。

脚のついた鏡台を根っこごと引っこ抜いた草木に譬えて「根古志(ねこじ)形鏡台」と呼ぶ、とありますね。

 

おお、画文帯神獣鏡のレプリカ!銅鏡の裏面(映さない方)に神や神獣の姿を模ったもの。

ネットで探すと、銅を一生懸命磨いて当時の銅鏡の映り具合を復元しようとする試みがいくつか検索できますが、画像は歪むしぼーっとしか映らないので、現代人がこれでメイクをするのはかなり厳しそうではあります。

 

さて、さんざん番外的なコンテンツも堪能できたので、本筋の街道歩きに戻りましょう!

さっき越えてきた近鉄の踏切を越えようとするとちょうど特急が通りかかったので激写。

街道ウォーカーで、走る電車をついつい撮ってしまう、の率はかなり高いです。車両の型名を覚えたりはあまりしませんが、何年もこんな事やってると、以前よりは電車好きになります。

 

街道に復帰してすぐの左側にある秋葉神社の横っちょに観音寺跡の標柱が立っています。

天正四年(1576)に斎宮の乾源休(←ググっても検索結果無し)が菩提寺として創建した寺で、明治元年に廃仏毀釈で廃寺になったそうです。廃仏毀釈、、新しいものが流行すると、それまでのものを殊更に軽んずるような、日本人のあまり良くない特長の最たるものの一つだと思います(-"-;)。

 

その先の街道左側にあるのが竹神社。延喜式内神明帳にも記されている古社で、元々は斎宮に祀られた17の社の内の一つだったそうです。

なお、毎年6月にこの地で開かれる「斎王祭り」では斎王行列がここから出発するそうです。

斎王祭りのリンク先で画像も見てみましたが、可能ならぜひ一度祭りの際に行ってみたいと思います(前述の通り平安女性にちょっと幻想を抱くタイプなので、、)。

 

と、閑話休題!!

 

こちらが「延喜式内竹神社」の石柱。

 

そんなに広い境内ではありませんが、伊勢神宮の遥拝所でもある、こちら、独特の「神域感」があります。

 

そう、ここはかなりれっきとした(伊勢)神宮の遥拝所なんです。

 

明日外宮・内宮の双方にお参りに行く身ですが、まずは前日に遥拝しますよ。

 

遥拝所ですが、斎宮にも伊勢神宮にも近いせいか、かなり本格的な構え!

 

竹神社の解説板。この地はずっと祈りの場だったんですね。「祈りの場」、いい響きです!

 

竹神社を後にして街道を進むと、そんなに不快ではないものの、ある種嗅ぎ覚えのない異臭がするので訝しみながら進んで行くと、、何と火災でほぼ全焼のお宅が近かったようです。

見た感じ、火事から大して時間が経っていなかったように思えました。

さすがに写真は掲載できませんが、ふと思いついて、Googleストリートビューで見ると、2022年11月時点(つまりこの時からほんの11ヶ月前)ずいぶんと立派なお宅で、正面玄関の上の破風から続く隅棟の瓦だけがそのまま同じ場所に残っているのが何とも言えない様子でした。。住民の方が無事だったのを祈るばかりです(◞‸◟)。

 

火事のあったお宅を通り過ぎると一軒真っ直ぐだけど、何とはなしに屈曲している、古道っぽい道筋が続きます。

 

!やや久しぶりに見かけた、横広の妻入りのお宅。こちらも高さ的に厨子二階構造かな。

二階の格子が渋い!こちらは幕板仕様ではないのですね。色々バリエーションがあるなあ。

 

ん?左側に写ってるミラーの脇に何やら石標がありますね。行ってみましょう!

 

「天満宮の道」とありますね。「の」はよくある「乃」由来のではなく、割と珍しいやつですが、この字の元って「法」?それとも「野」か。。

あっ!下の方に「四丁」って刻まれてますね!今はもう無い、四丁先にかつてあった北野天満宮への道標だけが残っています。

 

格子が見事な旧家の軒下に入ってみたりしました。

いつ、玄関が開いて、家の方が「人ん家で何やっとるんだ⁉」みたいにならないとも限らないので、激写後はそそくさっと華麗に離脱しました。

 

3日目の旅はまだ続きますが、この続きはその8でご紹介します。

 

つづく!