伊勢参宮道で伊勢詣り Day3の4 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

旧街道、暗渠、廃線跡、坂道などの散歩ブログ
最近は殆ど街道がメイン

10月3日(火)~6日(金)に四日市近郊の日永の追分から伊勢神宮まで続く 伊勢参宮道を歩いた旅の模様、三日目の旅のその4をお送りします。

 

この日の歩行ルートは↓。例によって細かい立ち寄りポイントはかなり省略していましたが、記事を書きながら少しずつ増やし、だいぶ増えてきました。

この日は松阪の中心街から、伊勢神宮の外宮(げくう)の門前町、伊勢市駅前まで歩き、寄り道含めてざっと23~24㎞ほどの行程です。

 

その3では平入なのか妻入なのか判断の難しい感じの古民家の右端の前に、標柱が立っているのを見つけたところまでをご紹介しました(↓再掲)。

 

ここはかつて「へんば餅」が名物だった、おもん茶屋跡。この辺りは松阪宿と次の小俣宿の間に栄えた町で、「櫛田宿」と言われる「間の宿」で旅籠屋茶屋が軒を連ねていたそうです。

よく考えたら「東海道」と言いつつ、四日市以降伊勢参宮道を歩いてしまっている弥次さん喜多さんの「東海道中膝栗毛」で二人がここを通ってたのでした。旧東海道を歩く際にずっと「参考書」として漫画版の東海道五十三次(中公文庫)を携行していたのに、10年以上経ってすっかり忘れてました('◇')ゞ。

 

ちなみに「おもん茶屋」のほかに「おかん茶屋」という店が有名だったそうですが、「おかん茶屋」って名物かーちゃんとかがやってた訳じゃないよね、きっと(;・∀・)。

 

このへんば餅、もう少し後の道程で堪能することになりますが、先の話です。

 

前回に引き続きこういう連子格子+厨子二階として幕板プラスの住宅が「見放題」と言えます。

 

微妙にうねりつつ、微妙に下り坂な伊勢参宮道。街道らしくていいじゃん!

 

信号交差点の脇などに時折街道名の標識があるのは、ちょっと気分が高まります(^^)。

 

おっ、前方に見えてきた交差点が右折ポイントですな。

 

と、その前に、こちらは簡易郵便局ですね、きっと。Googleストリートビューだと2021年の画像で営業中ですが、この様子はお休みなのかもうやめてしまったのか。。

 

ちなみに2021年の画像がこちら↓。懐かしい感じでいい雰囲気です。

この頃に比べると現在の姿は植物の手入れがされていないように見えます。

 

ヤクルトやヤクルトジョアの配達申し込みも受け付けできたんですね。

 

街道から左に伸びる路地に少し入ったところにあった石標

「豐原東部」はこの辺りの地名です。

 

その先の櫛田交差点で県道37号にぶつかります。進むのはほぼ正面に見えている茶色の家の方角。

幅広の車道を渡るときは、交差点右側だと時々怖いので(車が突っ切っていく可能性高)、左側で渡るようにしています。

 

何か「奥田三角邸跡」って書いてありますね。そしてコンクリ工事中の様子。

調べてみると、家から調度品、何から何まで三角形に誂えないと気が済まなかった津藩の学者、奥田三角の邸宅がここにあったんだそうです。なかなか新鮮な印象のお方。

 

県道を渡ったら県道と同じ方向に向き直り、正面に見えている茶色の家を巻くようにその右側を通って、その向こうにある櫛田川の堤防道近くまで進みます。

 

茶色の家を通り過ぎると、まず通りかかったのがこちらの豊養稲荷神社。かつては延喜式神明帳に記載された大櫛神社の旧知で、昔は市も立った場所だったそうです。

薄暗くて鳥居のトンネルの向こうまで行くのが躊躇われたので、激写した位置から略式で拝んでそそくさっと先に進みます。

 

その先で目に入ったのが見事な古民家の商家。ご多分に漏れず連子格子、厨子二階、虫籠窓、幕板の建物です。

 

こちらは現役の和菓子屋、對馬屋さん。入口付近にお品書きがあるので見てみましょう!

 

ほほう、パイン大福、青切りみかん大福、栗きんとん、桃入り丁稚羊羹、モモ大福、フランボワーズ大福、マイヤーズレモン大福、「名水丁稚羊羹」にイチジク大福とかなりフルーツ大福に力を入れているようですね。

マイヤーズレモン(レモンとオレンジの掛け合わせ)とかかなり変わり種な印象です。丁稚羊羹というのはあんこに小麦粉を混ぜて蒸したもので、滋賀県の名産品、とグーグル先生が言ってました。そして何気に定休日多いΣ(゚Д゚)。

 

2枚上の写真にも写っている、ビビッドな色合いのこちらは文字の一部が剥がれてますが「パーマハウス PREVAIL」

南仏風を意識した感じでしょうか。ちょっと色が濃いかな。

 

で、そこから進んで堤防に突き当たると、道標がありました。

みえの歴史街道」で参照」すると「左 さんくうみち 右けかうみちと刻まれている」そうですが、

さんくう「宮」みたいに見えるなあと思ったら、「み」と「ち」がすごく詰めて書いてあるんですね、これ。

 

で、川の堤防はすぐこの上なんですが、街道の順路としては道標の通り堤防に沿って左折した後、クランク上に右に曲がり、再度川の少し先でまた堤防にぶつかります(地図でご覧いただいた方が早そうです)。最初に左折した先の風景がこちら↓。

櫛田川の渡し場の近くにあったため、渡し待ちの旅人などで賑わった時期もありそう。

 

こちらの隣は更地ですが「大手屋駐車場」と書かれているので、商家があったのでしょう。

 

元商家と思われるこちらが大手屋さんかな?

右隣は厨子二階ですね。一階がリノベでタイル張りになってますが、二階の高欄がいい!

 

その先で右折するとかなり立派な家がポツンと立っています。

 

このお宅の御向かいに当たる堤防の斜面沿いにあるのがこちらの里程標。

斎宮の元標まで二十五町三十一間→(25x109m)+(31x1.818m)≒2.78km、

宇治山田の元標まで(同様に)14㎞くらい、津の元標まで24.9kmくらいですね。

 

かつての櫛田の渡しの解説がありました。ああ、こちらの解説を見るとやはり「川留め」などもある事から河岸として賑わったんですね。

ガイドブックを見ると、豊原は間の宿で旅籠もあったそうで、今の静かな風景とは全く異なる「繁華街」だったのでしょう。板を使った仮橋は冬の間、水量が少ない間に使われたそうです。

 

さて、現代は渡し場も仮の橋も無いので、堤防道を県道の方に歩き、現代の櫛田橋を渡るしか無く、堤防道を歩きます。堤防上から渡し場と思われる場所を激写!

 

櫛田橋、、けっこう距離あるな(・・;)。

 

堤防道をせかせか歩き、櫛田橋を渡ります。櫛田川の下流方向の風景。

海まではまだ10kmくらいあります。

 

櫛田橋を渡り終えたらすぐに左折して対岸の堤防道に入り、その先のY字路で右側の下り坂に入るとその辺りで旧道に復帰できます。

ちなみにこの日は、恐らく光の具合からこの時間帯の写真が全部赤っぽく染まってしまい、帰宅後の調整に苦労しました。。


ここから櫛田川南側の集落に入りますが、続きはその5でご紹介します。

 

つづく!