伊勢参宮道で伊勢詣り Day1の10 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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10月3日(火)~6日(金)の伊勢詣での旅、初日(10/3)の旅模様その10です。この日はたぶん寄り道併せて30㎞前後歩いたと思います。


ガイドブックは前回の善光寺街道から引き続き『ちゃんと歩ける伊勢参宮道 善光寺街道』。

 

今回は準備時間が少な目だったので、地図の見どころポイントの記録は大幅にカットしてます。

 

その9では、上野の宿場入「口付近で瓶冠橋(かめかむりばし)」を渡った後、「古伊勢街道」とも呼ばれる「巡礼道」と伊勢参宮道の追分をまんじりともせず眺めたところまでをご紹介しました(↓再掲:赤が伊勢参宮道)。

 

そのすぐ先の伊勢参宮道右側にこんなお堂が。

 

軒下にお堂の名前がありますね、どれどれ。。「甕釜冠地蔵堂(かめかまかぶり地蔵堂)」!

さっきの「かめかむりばし」といい、不思議な地名ですねえ。ガイドブックによると、かつては光明院と言い、伊勢参宮道を通りかかる旅人に茶を振る舞っていた場所だったそうです。

 

宿場ではないですが、旅人にお茶を出す光明院があったくらいなので、一定の規模の集落だったのでしょう。

 

その先で真宗大谷派の本福寺に寄ってみます。こちらは親鸞の二十四人の高弟=二十四輩の一人、西念が創建したお寺なんだそうです。

 

お参りして、境内を見回すとお手洗いがあったのでお借りしました。

わずかにでもトイレを催す可能性を感じたら、お寺には立ち寄る習性が12年半にわたる街道歩きで身に着いています。ありがとうございましたm(_ _)m。

 

街道に戻って少し進むと越屋根とも、プチ三階ともつかぬ斬新なデザインの屋根のお宅がありました。一階の破風のところはやはり銅板貼り仕様ですね(二階もそうだったかも)。

 

さらに進むと街道左側に尾前(おざき)神社の社標がありました。こちらは平安時代末期に病気がこの地域で流行った時に、朝廷から奉納された獅子頭で獅子舞祈願をしたところ、無事に平癒したという逸話が残る神社なんだそうです(ガイドブック)。

今も健在の神社ですが、片道300mくらいありそうなので割愛し、社標に向かって略式に遥拝としました。

 

平屋看板建築の廃店舗。八座酒店という店名の立体文字は元々右端にあったのが左端に移動した経緯があるようですね。

 

こちらの平屋のお宅も破風が銅板貼り仕様。やはりこの地域の特徴なんですね。

 

そこから少し進むとY字路に差し掛かり、ここは右側が順路です。

この先で再び名四国道(23号)を渡ります。もう四日市はとうに過ぎているので「名四」というのもそぐわないかも知れませんね。

 

途中、近鉄名古屋線の千里(ちさと)駅横を通過します。

 

その先で国道を渡り、そのまま松阪方向に向かう国道とは異なる方向(西)に進んでゆくと道路が左にググっと曲がり、国道と同じ方向(南方向)に進んでくれます。

 

左にググっとカーブしてからすぐの街道右側に、田中地蔵という地蔵堂があります。

ガイドブックにもこの田中地蔵の説明はなく詳細は不明ですが、ざざっとお参りして進みます。

 

やがて北西方向から向かってきた県道645号にぶつかって合流し、左斜め前方向に曲がります。

 

するとすぐに大蔵橋という橋で田中川を渡ります。

 

田中川の風景。

 

川面に何か3つくらい石が並んでるな、と思ってズームしてみると、カメでした(^^)。

甲羅が乾くとかなり石っぽいですね。首を伸ばしているので分かりやすくなりました。

 

この川を渡ったところが、次の宿場、上野宿の北側(四日市側)の入口に当たり、ここには元々常夜燈があったようです。

んん?接待所光明院がお向かいに、、、と、すると今回の記事の冒頭で書いた「甕釜冠地蔵堂は元々光明院で旅人にお茶を振る舞って」というのと対立しますね。ググってみても甕釜冠地蔵堂の方が光明院だったという別のAmebaブログ記事が見つかったのですが、こちらも地元の情報だし、うーん。。。

 

悩んでも仕方がないので上野宿に入っていくと、、おお、元宿場っぽい雰囲気ですねえ。

左側に写っている店にはなんか看板ありますね。

 

「清酒 きげんよし 橋本商店」こちらもググってみると、きげんよしは「飲むと機嫌がよくなる酒」という意味らしく、今村酒造という1860年(安政七年か万延元年)創業の会社の酒ということでした。

 

すごい昭和感のある住宅兼商店ですね。子供の頃、友達の家がよくこんな造りでした。

 

こちらもなかなか見事な格子のある、厨子二階の古民家ですね。宿場らしい風情です。

 

かと思いきや、こんな今風の建売り住宅も、、

ブロ友さんがよく使っている表現を借りると「松戸市千駄堀で撮った写真です」と言っても違和感ないと思います。

 

その先で信号を交差点を超えて進んでゆくと、桝形の跡を通過します。

 

元々のルートはこうなっていたって事ですね。

 

まだ上野宿の見ものは続きますがこの続きはその11でご紹介します。

 

つづく!