昨秋の10月8日(土)に善光寺街道歩き旅の第2回として、上田から屋代までの区間を歩いた旅の第二弾、その18です。
当日の歩行ルートは↓。
街道復帰までの道のりや寄り道なども含めて歩いた総距離は23.5km前後だったようです
ガイドブックは山と渓谷社の『ちゃんと歩ける 伊勢参宮道 善光寺街道』です。
その17では戸倉宿キティパークのシンボル千曲天狗の像を見て驚いた後、国道から旧道に入って旅の終盤戦に入ったところまでをご紹介しました(↓再掲)。
右に山が迫っている街道を進んでゆきます。クルマが途切れた瞬間を狙って撮りましたが、この日は意外にクルマ通りは多かったです。
むっΣ(・ω・)!イノシシ出るんですか、この辺り、、。
もちろん生ゴミなど捨てるどころか持ち合わせてもいないのでまあ大丈夫かな?
しなの鉄道の列車、しかもシブくてよい色の、が通りかかったので急いで激写しましたが、何と手前のセイタカアワダチソウにピントが合っとる( ゚Д゚)!。
街道が微妙に左カーブをしてしなの鉄道の線路から遠ざかったあたりに百万遍供養塔が立っていたので激写します。
その後火の見櫓と大きな木のある道を直進します。火の見櫓の右下に石標がありますね。
因みにここを直進せずに左折すると並走している国道に出ます。
の右に見えていた石碑がこちら↓。「信濃宮御古跡迄二町」とありますね。
ガイドブックによると宗良親王ゆかりの柏王神社までの道標なんだそうで、↑の写真の四つ辻を右折して数百メートルのところにあるようでした。
道幅や曲がり具合はそれなりに街道っぽい道を進んで行きます。いわゆる古民家みたいなものはあまり見られず。
あっ、またしなの鉄道の列車が通りかかるな、、と思うと反射的に撮ってますね。
中井精也さんを意識しようとしたものの、咄嗟の準備不足で何だかよう分からん写真に。。
おお、見事なまでの旧街道的S字カーブですね。もともと田んぼとか沼地っぽいところを曲がりながら進んでいたのかな、などと想像しながら進みます。
「南無阿弥陀佛」「二十三夜塔」石祠に道祖神となかなか豪華なチームアップ!
お、ちらほら旧家っぽい雰囲気の家が見えてきました。
ちょーっと煤けてところどころ漆喰がはがれた白い塀とか雰囲気ありますね、。見越しになっている樹木も古そう。
門が見えました。勝手口も複数ありますね。古くからの名主かそれに準ずるクラスのお宅ではないかとお見受けします。
こちらのお宅は樹木でちょっと見づらかったですが、屋根がブロ友さん命名の「房総スタイル」的なやつっぽいですね。
シブいさびたトタン板の壁のあるこちらの建物は蔵造的な左隣の建物と直結してますね。
酒造会社っぽくないですか、これ?
うん、造り酒屋っぽいですね、やっぱり。仮に間違いでも何か麹とか使う所なんではないかと。
ちなみにこの辺り、地名が「一里塚」であるようなのでかつては付近に一里塚があったのではないかと思います。
こちらの切り妻屋根の古民家もトタンを被せたように見えますね。右端近くに見えている、コンクリブロック壁の張り出した部分が特徴的。
緩~いS字カーブのはるか向こうに山、手前には見るからに仲睦まじい母子の二人連れ。古民家なぞ一軒もありませんが、これはこれでいい風景だ(*´∀`*)。
この交差点の右側方向奥にしなの鉄道の千曲駅があるはずですが、、
あっ、少し進んだら家々の奥に信濃駅の駅舎が見えました。
またピンボケしとる(;^_^A
秋は自然とこうした感じの花の写真が多くなりますね。長距離歩きで疲れても癒されます。これってキバナコスモスでいいんでしょうか。
山裾を這うように緩~いS字カーブ状に進む善光寺街道。
公民館か、集会所っぽい建物の前ですね。この真ん前、↓の写真dいうと電柱の右側足元には
「青麻大神」と刻まれた石碑や石祠がありました。ガイドブックによると青麻大神、とは目や中風の守護神なんだそうですが、「中風の守護神」は病気をも守ってしまいそうでよくないですね。「中風から守ってくれる守護神」の方がよさそうです。
などと細かい突っ込みを入れつつさらに進んで行きますが、続きはその19でご紹介します。
つづく!