善光寺街道(北国街道)を歩く 第1回 Day1 その1 | らんまるの街道歩きブログ

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9月半ばの三連休を利用して4ヶ月半ぶりの街道歩きとして善光寺街道(旧北国街道)の追分から上田までの区間を歩いた記事のその1です。記事としては2回目ですが、前回は中山道との追分までで終わってしまったので、ここからが本編その1です。

 

ガイドブックは「山と渓谷社」の「ちゃんと歩ける伊勢街道・善光寺街道」です。

 

今回の歩行ルートは↓。

歩いた距離は、途中の寄り道や最寄り駅⇔街道の分も含めてジャスト40kmほどでした。

 

その0では左中山道、右善光寺街道(北国街道)の追分に到着したところで終わってしまいました(↓再掲)。

 

という訳で今更ながら善光寺街道歩き、スタートです。いきなりで何ですが、追分のほんのすぐ先の右側は追分原刑場跡(;・∀・)。二十三夜塔や馬頭観音などが多数あります。普通なら絶対入りませんが、なぜかそこには「シャーロックホームズの彫刻があるってか?

中仙道で岐阜県内を歩いている頃にも書きましたが私はかなりのシャーロキアンのためホームズ像があるなら喩え刑場跡でも行かねばなりますまい!ちょっとだけ、、、けっこう、、、怖いですが。。

 

うー、草深いし、何かいかにも刑場跡って感じで怖いんですが( ;∀;)。例の赤報隊偽官軍事件関連で、小隊を率いていた桜井常五郎などが小諸で引っ立てられ、ここで処刑されたそうです。

 

むしろ何でこんなところにあるの?って感じですが漸くホームズ像に到着。

中学生の頃、新潮文庫の延原謙という翻訳者の訳文でホームズシリーズを全部読んで物凄く好きになり、大学の頃めっちゃ時間がかかりましたが原書で再読した、若き日のあこがれの人物です。

この落ち着いた横顔!「らんまる君、ここが刑場跡だからと言って何かに恐れを抱く合理的理由がどこにあるかね?」などと言ってくれそうな気がして、怖いのもほとんど収まりました(*´∀`*)。

 

で、何でこんな所にホームズ像があるのかと言いますと、さっき述べた延原謙はこの信濃追分に別荘を建ててそこでホームズ全巻の翻訳をしたことに因んでいます。

 

そのすぐ先、、刑場跡に隣接していることになる筈ですが、の右側には東洋英和女学院の軽井沢追分寮の入口がありました。

 

その先でY字路にぶつかりますが、ここは左が進路。

この記事の後半で触れますが、もしかしたら、右側に進むルートが使われていた時代もあったのではないかと思われます。今はいったんガイドブックに沿って左側を行きます。

 

しばし旧道部分を進んでゆくと、、

 

ほどなく国道に合流し、ここから暫くは国道18号を歩きます。

なんで土曜の朝7時過ぎにこんなにクルマが、、と思いますが連休で軽井沢に向かう人も多いのでしょう。

 

今回目標としている上田までは国道ベースで30kmですか。旧街道だとだいたい、1~2割増しくらいになることが多いのと、今回はけっこう寄り道も多いので40kmくらいになりそう。

 

甲州街道とか中山道沿いって山が見えたりするので、国道にしては景色は悪くないです。

 

生コンの会社前から視界が開けていたので浅間山を激写!周りの山はたぶん剣ヶ峰とか黒斑山とかだと思うのですが、山は今一つよく分かっていません。

確か噴火で吹っ飛ぶ前はもっと高い山だったんですよね。

 

御代田町に入りました。

 

御代田町といえば思い出すのは、4年半前に旧中山道で通過した、道路から外れた民家の横っちょに見事に残っていた御代田の一里塚です(↓当時の写真再掲)。

 

国道の左側に見えているこの道を進んで行けば簡単に御代田の一里塚に行けそうですが、グッと堪えて善光寺街道を進みましょう。

 

しばらく単調な国道歩きが続きましたがようやく街道左側に街道時代の遺構が見えてきました。

名残松、とガイドブックにはあります。

 

よく見ると松は二本だけ残ったのですね。

 

さて、その先の信号も何もない場所で善光寺街道は国道の斜め左に逸れて行ってしまうので、タイミングを見計らって国道の幅を全力疾走!

かなり交通量の多い場所なので、仮にあと10年遅く、60代でここに来ていたら200m先の信号を渡るしかなかったことでしょう。

 

その先の道はクルマも少なく長閑なもんです。

 

久々の長距離街道歩きで「青空大盛り」の写真を撮りたかったのですが、雲が多く不完全燃焼。

正面に見えてる山々って甲州街道で目に焼き付けた南アルプスですよね、きっと。冠雪した南アルプスの美しさと言ったらないので、街道歩きでもそうでなくてもいいので再訪したいものです。

 

↓の地点に来たら、街道の順路は直進ですが、善光寺街道を歩くならば必要な寄り道があるので、一旦ここで右折します。

 

しばらくは浅間山を正面に仰ぎながら北方面に直進します。

 

二つ目の「雀ヶ谷」交差点で右折し坂を登ります。

 

「この道もこれで古道だったんじゃないかな?と思うような坂を登ってゆくと、、

 

目印を見つけました。文化財の付近によく立ってるタイプの標柱ですね。

 

馬瀬口の一里塚、とあります。街道から随分と離れた場所にありますよね。

 

で、前半に貼ったこの地点(↓再掲)ですが、現在の善光寺街道は追分のすぐ後のY字路を左方向に進みました。ただ、今見に行っている馬瀬口の一里塚のあるのが旧ルートだったとすると、ここを右に曲がって一旦北に進み、大きなループを書いて南下してくるとちょうどこの辺りに来そうです。

 

証明できない理屈はそれくらいにして何より一里塚を見に行きましょう。ここは両塚揃ってるそうなので楽しみです(・∀・)。

 

突如、住宅街の奥に両塚揃った馬瀬口の一里塚が現れました。

いや、これは見事に残ってますね。両塚の間のスペースが本来の善光寺街道ですね。

 

こちらが北塚(↑の写真で左に写ってる方)。

 

こちらが南塚です。

こちらは追分から一里目、江戸日本橋からは四十里目に当たるそうです。

 

両塚の間の旧旧善光寺街道の痕跡はすでに無くなっていました。軽井沢方向↓。

両塚の間の、旧善光寺街道の部分はすぐ背後が柵で行き止まりになっています。

 

善光寺方向↓。何となく道らしいスペースがしばし残っていますが、少し先で森に埋もれているようでした。

 

さて、見るべきものも見たので街道に戻りましょう!続きはその2でご紹介します。

 

(まだまだまだまだつづく)