2月23日の天皇誕生日に歴史と出桁造り商家と看板建築の街、茨城県の古代の首都(常陸国府所在地)石岡の散策を楽しんだ散策記事のその2です。
この日歩いたルートは↓の通りです。歩いた距離は8km前後といったところ。街道だとせかせか歩く私ですがこの日はたっぷり時間をかけてゆっくり歩きました。「暗くなる前に〇〇駅まで歩かねば!」みたいなのが無いですからね( ̄▽ ̄)。
その1では、この区間では旧水戸街道でもある国道355号で昭和五年(1930)に建てられた登録有形文化財、森戸四郎商店を見て、装飾の凝ったその素晴らしい外観を激写しまくったところまでをご紹介しました(↓再掲)。
この後は暫く昭和の看板建築パラダイスが続きます。
「ほんだ」という名の看板建築も昭和チックでなかなか良いのですが、このすぐ後に真打が出てきました。
じゃんっ!この4軒の看板建築が並んでる姿、かなりの実力者揃いです。
左端の「∧谷 煎豆 元祖 玉川屋」はファサードが銅板貼り仕様でまた上部がアーチ状になっている二階部分の窓もイカシてるじゃありませんか。かなり長い時間、息を詰めるように凝視しました。
この街は旧水戸街道の宿場なので、間口が狭く奥行きが長いという宿場町の特徴を備えた敷地になっています。
吉田クツ店の看板の残る黄色い看板建築は「たこ焼 有楽」という店に転身したようです。
右側の紺色の縁取りのある看板建築は「SEIKO ヤマモト時計店」とあります。職種的に元々時計・宝飾店だった店がちょっときれいになっただけなのか、はたまた全然別の商いをしていたけど時計店に変わったのか。店名でググると他の建物の様に「昭和〇年の建造」的な情報がないので後者なのではないかという気がしました。
右端のかなり歴史のありそうな、立派なファサードの看板建築は「いしおか FUKOKUSYA」。本来は富国社と書く、農業用機械などの店舗のようです。
そこから向かって右側(江戸側)にある三軒の古民家は、ここ数年こうした建物を多少は見慣れてきた私も、暫くは口をあんぐり開けて( ゚д゚)ポカーンとするほどの逸品でした。
これはクライマックスですね(`・ω・´)!!画面下に写っているおじさんも魅かれているようです。
では一軒ずつじっくり見ていきましょう。左端の黄褐色の、凝ったデザインのファサードがあるのは十七屋商店。履物のお店で、昭和五年(1930)の建造。2011年に街道歩き初級者だった頃の私がここを歩いた時はまだおばあさんが営業を続けていた筈です。ファサード上部のデザインやら長細い連窓やらがカッコいいですが、店名の上にある白いエンブレムは2011年の震災時に壊れてしまったものの、修理されています。
当然登録有形文化財です。
残念ながら2011年に歩いた時の記事ではまだこういう建物にあまり興味を示していなかったため、前回記事でご紹介したすがや化粧品店くらいしか掲載していませんでした(-_-;)。
そのお隣がまた素晴らしい看板建築の久松商店。昭和五年の建造で元々は化粧品や雑貨の店でしたが、今はカフェになってます。
正面に貼られた銅板は、一度戦時中に金属の供出のために剥がされてしまいましたが(# ゚Д゚)、その後貼り直されたものです。こちらも登録有形文化財。
そしてその右隣りが蔵造りの福島屋砂糖店。昭和六年の建造です。蔵造りだと普通は土壁に漆喰塗りが多いと思いますが、こちらはコンクリを使っていてかなり珍しいタイプだとのことです。
色褪せた黒漆喰がまたいい味出してますねえ。因みに6枚上の、この三軒の古民家をまとめて激写した写真に写っていたおじさん、地味に画面左下で歩道の鉢植えを激写していらっしゃいます。そしてこちらも登録有形文化財です。
右側から三軒まとめて激写!この一連の建物群を記事に書かなかったとは10年半前の自分を叱咤したい気持ちになります。
上述の十七屋商店のほぼお向かいにあるのがこちらの看板建築。背後の母屋は割と古そうな木造建築で、単体で見たら何枚か激写して愛でてもおかしくない物件ですが、前後の建物が凄すぎて平凡に見えてしまいます。
↑の〇に「富」の字の看板建築から更地駐車場を隔てた江戸寄り(南側)には、江戸末期に建てられた染物屋だった丁子屋があります。
これ以前にご紹介した建物がやたら昭和五年とか六年の建造でしたが、それはこの石岡の街で昭和四年に大火があり、多くが消失してしまったからですが(たいへん惜しいとも思いますがお陰で昭和初期の看板建築がいっぱい見られるという状態です)、この丁子屋だけはその大火を唯一逃れ、江戸時代の姿をそのまま残しています。今は観光施設になってる筈ですが、お休みなのかはたまた閉店しtしまったのか。。
丁子屋の斜向かいのこちらは「キャンパスショップミヤモト」。パラペット下の装飾帯が意外に凝ってます。あまり詳しい資料が見つからなかったのですが、二軒長屋的な看板建築ですが左右でデザインが非対称ですね。
左側はドラッグストアの駐車場になっているためトタン板張りのカラフルな側壁が露わになってます。
そのすぐ右(南)隣は「阿波屋」。店舗左側の黄色いテントの脇に学生服の形の看板があったそうですが見逃して激写してませんでした('◇')ゞ。
軒下に妙なでっぱりが作られてますが、れっきとした出桁造りの商家です。
向かって右側が中藤精米。こちらも堂々たる店構えの出桁造り商家です。
この中藤精米の真正面にあるのが金刀比羅神社。
元々は香取神社だったそうで、常陸に土着した坂東平氏の一派(大掾氏)に所縁が深く、平氏の子女が神役に就いていたそうですが、江戸時代の「こんぴら」信仰の拡大に伴って讃岐の金刀比羅大権現を勧請し、今のように金刀比羅神社になったとのこと。
おっ、正岡子規の句碑ですね。「二日路は 筑波にそふて 日ぞ長き」。
正岡子規が、水戸に居る学友を訪ねるために徒歩で水戸街道を歩き詠んだ句なんだそうです。
すでにずいぶんと楽しいですが、更に楽しい歩き旅が楽しめますように!
参拝を終えると、金刀比羅神社の正面には祝儀用具の店、角吉がありました。造りを見ると一応平屋の看板建築の一種に近いでしょうかね。
やはり宿場の家らしく、敷地がずいぶんと奥まで続いているようですね。ちょっと道路を渡って見に行きましょう!
店舗の後ろに二階建ての母屋、更にその奥には蔵が二棟ですか。かなり立派です。
敷地の端まで進んで見ると、そのすぐ隣にはこんなシブい飲み屋を見つけました。
店名は「BAR クロンボ」。今、同じ店名でオープンしたらSNSで炎上しそうなネーミングです(^^;)。
蔵二棟の横っちょから店頭(国道)方向を振り返って激写したカット。
右端に見切れているのはもちろん「BAR クロンボ」です。
まだまだ街道沿いには優良物件がありそうだったのであちらに戻りましょう。今いる路地を挟んで角吉の隣にあるこちらの店舗(向かって右方向が国道)は看板建築の看板から梁か何かがぶすっ!と飛び出ています。
国道側に回っていると、何かの店舗だったのは間違いありませんが、何屋だったのかは不明でした。
その斜向かいにあったこちらの立派な出桁造り商家は二階のまどが割れたまま放置されており、残念ながら廃業されてしまっているようでした。
この後もしばらく看板建築群が続いた後歴史散歩に移りますが、この続きはその3でご紹介します。
(まだつづく)