同潤会通りを歩く その3 クライマックス | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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8月28日()に、以前付近の鹿骨街道を歩いた時から気になっていた「同潤会通り」を歩いた散歩記事のその3です。

 

歩いたルートは↓。

寄り道も含めて歩いた距離は6kmちょっとくらいだと思います。

 

その2では、同潤会通りの中でも元々同潤会が建てた住宅のあったエリアで、元は違う種類の店であったろう中華料理屋をしげしげと眺め、関東大震災後に復興のために建てられた同潤会の住宅からこの店舗にまで至る歴史を想い、世の無常に感じ入ったところまでをご紹介しました(↓再掲)。

 

今、ふと気づきましたが、前回カメラの話をした時に、光学ズーム16倍が如何に自分の街道歩き用に使うのに適しているかを説明するのに夢中になり、肝心のカメラが何なのかを述べていませんでしたが(時折そういう事がありますが、欠陥ではなくこういう仕様です)、パナソニックの大型(一眼並)コンパクトデジカメ⇒いや「レンズ一体型」が適当ですね、FZ-1000 MⅡという機種でした。メーカーのサイトから写真引っ張ってきたのが↓です。

期せずして普段から交流させて頂いているブロ友さん方もカメラを新調(しかもその内お一方はパナソニック!!)されていたので、余りのタイムリーっぷりにビックリΣ(・ω・ノ)ノ!。

 

同潤会の住宅が並んでいたんだろうなあという町割りが続きます。手前左は恐らく住宅が無くなった後、一旦何か店舗ができた後、もう一歩進んで更地になったのかなと想像しました。

 

道幅なども昔の下町の住宅街のそれっぽい印象です。関東育ちではないので、本当の昔の下町は知らないのですがイメージで(^^;)。

 

おっ、また昔ながらの青果店。ピンクの段ボール(りんご)の後ろにいるお姉さんは恐らく奥に見えたおじさんの娘さんで、跡継ぎなのかなあと想像。頑張って下さい!!

 

さて、中央二丁目交差点までやってきました。実はこの信号を渡ってからがこの同潤会通りのクライマックスです。

 

まず、信号を渡って左側、↑の写真で見切れてる建物の左奥にこんな建物があります。

うーん、とても良さそうですがちょっと遠いし草が邪魔ですねえ。背の高い草を踏み分けてもう少し奥まで行ってみましょう!

 

ガラスも一部なくなってるし、壁も壊れてますが、右側のエアコン室外部分はちょっと新しい感じがします。

折角なので裏側にも回ってみましょう。左奥にも気になる建物見えてますね。

 

一旦交差点の角に戻ると、「同潤会医院」の看板が。同潤会の住宅自体は消えてしまいましたが、病院やその他付近のコンビニの支店名などに、「同潤会」の名前が残ってるんですね。

 

同潤会通りに戻ってすぐのこの(↓)の角を左に曲がると、さっきの家の前に出られるようです。

因みに右側奥の歩道の人が立っているところにバス停があり、「同潤会」という名前だったのですが、うっかり忘れてしまうという痛恨の大エラー。

 

な・ん・か、とても期待できそうじゃないですか、この通り。

左手前に見えてるくすんだ色の平屋住宅がさっき見た住宅の反対側ですね。

 

自転車が立て掛けてありますが、さすがに住んでるってことはないですよね。そして、右側は玄関の引き戸のすぐ右でストンと切り落としたみたいになったるのは、その右の物置みたいな建物を建てる時の改装?

 

さっきちょっと奥に見えていたのがこの二階建て四軒長屋ですね。錆びたブリキの壁がシブすぎです。

これは素晴らしいなあ。有名な同潤会アパートではなく同潤会普通住宅だそうです。都内の同潤会アパートはすべて失われてしまいましたが、まだこうしたものが残っているのですねえ。まだある内に激写できてよかったです(≧∇≦)。関東大震災の後、人々に住宅を提供するというにふさわしい建物ではなんじゃないかと感じました。

 

ホント、よくぞ残ってくれてました、、と、ん?玄関が2つありますね。あ、いや、↑の写真の左端で封鎖されているのも玄関だったのでしょうから、四軒長屋にも見えますが、実は三軒長屋で(例えば左端の一軒だけ広い)、玄関がそれぞれ別々に3つ有った、というのもあり得るか。。

 

んん。こちらにも自転車停まってますね。長屋の破損から言ってさすがに現役ってことは無さそうですが、大家さんだけ住んでるとか?

 

四軒長屋を満喫したところで、同潤会通りの向かい側の路地も見に行くことにします。

 

古民家ではないものの、雰囲気のある道を進んで行きます。

 

ややっ、これはまた古そうな木造の平屋住宅か?

 

なんと、奥は二階になってるのですか!!右側にくっついた(建て増し?)妻入りの平屋部分も見に行ってみましょう。

 

の、前に一旦正面からの絵を。

新しいカメラがこれ以上広角にならなくてちょっと残念(´・ω・)。

 

この右側は住宅じゃなくて住居にくっついた工場(こうば)部分の様に見えますね。

 

最後に斜めから。

と、この写真を撮ったところで左奥に見えている家の方らしい紳士が出てこられて、何をしているのかと少し怪しんでおられるご様子でした。

 

以前ブロ友さんに頂いたコメントで「むしろ写真を見せて古民家を撮影していることを説明し納得してもらった」と書かれていたのを思い出しました。落ち着いて説明してみると、まあ外見を撮っているだけなら問題ないか、と帰って行かれました。こんな感じでいいんだな。

 

と、気をよくして最後にもう一枚(本当は途中で撮ったものも併せるとあと8枚くらい)撮って同潤会通りに戻ります。

 

あっ、看板建築を写した時に再び小っちゃく「同潤会」バス停が写ってました。

 

こちらの看板建築もそこまで古くはないにせよ元々風格あったのでしょうが、一階部分はもう住宅に改装してるようですね。この辺りでもちょいちょい更地化の波が押し寄せてきてる様です。

 

更に同潤会通りは続きますが、続きはその4でご紹介します。

 

(まだつづく)