伊南房州通往還を歩く 第六回 1日目 小港-和田浦 その6 | らんまるの街道歩きブログ

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そういえば最初に水戸街道を歩き始めたのは2011年の5月15日だったので、街道歩きもこれで10周年を迎えたことになります。中山道を歩いた時にカウントを間違えてしまいましたが、この伊南房州通往還を含めるとこの10年で街道は34本ほど歩きましたが、どれも思い出深いですねえ。

 

という初っ端のモノローグはほどほどにして、5月1日と2日に、伊南房州通往還歩きの第六回として前回ゴールの小湊からゴール地点までの館山までを歩いた歩き旅の記事、初日分のその6です。ちなみに、5月3日には「どこに行く」という訳ではなく、文字通り館山市内をブラブラしました。

 

二日間の歩行ルートは↓の通り。

歩いた距離は神社仏閣への寄り道など含め全部併せて43~44kmくらいだったかと思います。館山市内のブラブラを併せると3日併せて55kmくらい歩いたことになる様です。

 

その5では、鴨川市の古くからある街並みに入って行こうとするところまでをご紹介しました(↓再掲)。

 

因みに↑の写真の矢印のすぐ右下にある錆物件はちょっと素通りが惜しいので激写してから左の旧道に入ります。「株式会社 佐々木商店倉庫」と錆のネガみたいに字が残ってますね。

 

旧道に入ると最初に目につくのは「鴨川令徳高等学校」です。ここは西門なのか。

私は全く知らなかったのですがこちらの学校は「真夏の少年~19452020」というジャニーズ系のドラマや、反町隆史主演のGTOなどのロケ地に使われたそうです。GTOはドラマはともかく、原作のマンガは当時読んでました(その前作、「湘南純愛組!」は熱心に読んでました)。

 

その西門のすぐ近く、場所的には令徳高校の真ん前に諏訪神社があります。

後ろに見えてますもんね、さっきの令徳高校の校舎。

 

こちらの諏訪神社の本殿の向拝には波の伊八の作品があり激写した筈なのですが、なぜか残っておらず(シャッター音消していたので取り損なったのに気づかなかったか、、)、とても残念な結果になりました( ;∀;)。数撮っておけばよかった。

 

その時は取り損ないに気づいていなかったので、元気に街道に戻りました。まだ街の中心って感じではないですね。

高いマンションは、さっき貴船神社の少し後くらいに海越しに見えていた建物の一つでしょうね。

 

小さな交差点でふと海側を見ると、海を眺めるのに良さそうな感じだったので一旦海側に出ることにしました。

 

うーん、海沿いはいいねえ、と言いつつ、お気づきの通り完全に曇天になってきました。

まだこの辺りだとこの日の行程の半分以下なのにこの天気の変化は拙いなあ。かといって時間だけを気にして妙に急ぐのも違うし、、、ま、なるようになるでしょう。

 

街道に戻って進んで行くと、少しずつ街並がそれらしくなってきました。こちらは房総スタイルの民家ですが、一階は左右非対称なんですね。

 

ちょっと暗くなってきました。間もなく降雨開始な感じか、これ?

 

ほどなく街道は曲尺手に差し掛かります。

右折した後に左折するルートを辿ります。

 

左折する地点の右角、□で囲んだところに道標があるので忘れず激写せねば。

 

かなり読みづらいですが、、、いや読めない。右側面は「わだ あさひ」という文字くらいしか読めません。左側は一番下の最後の三文字「たみち」だけが読めるという始末。

「わだ」はこの日のゴール地点の和田浦駅のあるあたりの地名「和田」ですね。

 

左折してすぐの街道左側になかなかの実力の物件を見つけました。こちらです。

左側は商家ですね。右側は装飾から考えて開業医っぽい感じと予想しました。

 

あっ、右側は表札に「野村歯科醫院」とありますね。地味だけど二階の両サイドはブロックを積んだ柱っぽくしてあるし、エンブレム的な装飾も壁に施されています。カッコいいなあ。

さっきの曲尺手を越えて、鴨川の旧市街地に入ってきた訳ですね。

 

野村歯科醫院のすぐ右隣りには廃業したと思われる平屋看板建築が。こちらは間口も狭く、店舗って訳じゃなさそうですが、事務所とかだったんでしょうかね。

 

更にそのすぐ右隣りは、男物の洋品店。街道の旧い宿場などで、女性向けの洋品店が生き残っているのをちょくちょく見かけますが、これはちょっと珍しいかも。

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バス停の名前「上本町」ですね。バス停って旧街道を走っていることが少なくなく、古い地名を残していることが多いですからね。やはり中心街だった訳ですね。少々寂しい景色ではありますが。

 

街道脇に摩耗しまくった石仏が祀られているので敬意を表してお参りします。

 

また階下の街並にそぐわないリゾートマンションが、、。

住まわれてる方に罪は勿論ありませんが、回りとの景観の整合性を考えず建設側の都合でどんどん新しい建物を建てて景観をぶち壊す日本は都市づくりにおいては後進国ですね。

 

などと義憤に駆られていると、余り見かけたことのないマーベラスな建物があり目を奪われました。

後方に和式の家屋が見えるので、一応看板建築ってことになるのかな。看板部分がめっちゃ分厚い看板建築ってことになりますが。

あれ、でもなんか違和感あるな、、

 

このアングルで見ると塔みたいなところがカッコいい!

 

このアングルで撮ってようやく違和感に気づきました。

塔のある、洋館風部分、絶対和風の屋根がありますね、何か鬼瓦みえてるし。

 

当日は迂闊にも近距離でしか撮ってなかったのですが、ストリートビューで遠方からの図を見ると明らかでした。

方形屋根じゃん!!! 房総スタイルストライクど真ん中じゃん!!...改めてこれって、看板建築なのか?形式としては平屋(或いは高さ的に厨子二階)の母屋の道路側にかなり大掛かりな和洋折衷の洋館風の店舗を置いた形ですね。とにかく興味深い物件でした。あー、面白っ(≧∇≦)。

 

街道右側の路地の奥に愛宕神社がありましたが、すでに疲労を感じているので通りから遥拝してパス!

 

やがてその先で県道は右に曲がりますが、伊南房州通往還は直進します。

因みにこの頃傘は要らない位の霧雨が降り始めて少し焦り始めました。

 

直進した先にスマホアプリ「Coke On」の使える自販機があったので、溜まったドリンククーポンを使って無料でアクエリアス一本をゲット!

・・にしてもしぶい中華屋ですね。開いてたら恐る恐る入ってみたい気がしないでも、、、。

 

その先で、房総半島にしてはまずまず幅のある川を渡ります(と言っても、海沿いで川はすべて河口近くなので川幅も広めなのは当然ですが)。

 

何川でしょう、これ? !!加茂川ですか!これはひょっとしなくても鴨川の地名の由来ですね。

ちょっと長くなりますが鴨川の情報サイトから引用すると「 「千葉県町村合併史」には、「明治22年の合併に当り新町の名称は、鴨川町と決定したが、それは新町内を加茂川が貫流し、且つまた「倭名類聚抄」に長狭郡に加茂郷の郷名がみえ、それが当地区で在ったと推定されるので、そうした史的所伝に基づくものである。」と記載されています。」と書かれていました。

 

加茂川河口の眺め。以前の記事でも書きましたが、小湊以来の海岸沿いではやたらめったら鳶が飛んでいて、この時はちょうどそれがMAXでした。小さい点みたいに見えるのも全部鳶です。

一応猛禽類ですからそれなりに壮観でした。ようやく館山までの全工程の1/3くらいを歩いたことになり、中盤戦に入りますが続きはその7でご紹介します。

 

(まだ相当つづく)