ローカル古道! 印西道を辿る 第一回 その2 | らんまるの街道歩きブログ

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「古地図散歩」という、明治初期やその後の古地図と、現代地図を重ねて見られるアプリを利用して、松戸市の馬橋で旧水戸街道から分離して印西まで延びていたローカル旧街道=印西道(ではないかと思われる道筋)を歩いた第一回の歩き旅の模様、その2です。

 

当日(及び次回)の歩行ルートは↓。

二回に分けて歩きますが、地図はゴールまで一気通貫に描きました。

 

その1では、自宅から一切の交通機関を使わず、徒歩だけで水戸街道から分岐する印西道に入り、印西道と、21世紀の森と広場から伸びているけやき通りが交わる交差点のすぐ先の丁字路で右に曲がって大胆なコースアウトを敢行しようとしているところまでをご紹介しました(↓再掲)。

 

実は↑の写真の中に、事前の軽~いタッチの調べでは拾えてなかった街道遺構が写っているのです。全く同じ写真を少し明るくして、その以降をで囲んでみると、、

なんと道標らしきものが地味~に佇んでるじゃありませんか。

 

もちろん右折する前に行ってみましょう!おお、青面金剛でしたか。庚申信仰に根差した、日本独特の明王さんですね。仏教じゃなくて元はと言えば道教が発祥ってことになります。明和四年(1767)とありますねえ。今からざっと254年前のものですね。

んー、右側面にも何か刻まれてる様です。

 

暗いので少々見づらいですが「右 金ケ作道」と刻まれている様です。「作」の字がちょっと一般的な現代のフォントと形が違う感じです。金ケ崎といえば確かにこの地点からこの方向を向いて1km弱ほど進んだところの地名なので、この道標はまだ現役で道案内が可能ってことですね。

 

その道標のあるところを右に曲がって寄り道コースに。ふっつーの住宅街ですね。

コースアウトする理由は「この付近に"印西道"の道標が二基ほどあるという情報を事前調べで掴んでいたから」です。

 

しばらく道なりに進んでゆくと、向かって右側に森が現れます。

これ、実は21世紀の森と広場の北端部なんです。もともと、あの公園はこの辺り一帯にあった窪地の沼地を公園にしたものなので、範囲がすごく広いんですよね。奥の方に見えている大きな千葉西総合病院。休日診療も行っているので、娘がまだ小さい頃、熱を出した時などに何度となくお世話になった病院です。

 

さらに進んでゆくと千葉西総合病院の前に出ます。この病院の一角に先ほど述べた「印西道」の道標のうち一基がある筈。

ああ、ありましたね、の中がそれです。寄ってみましょう。

 

「青面金剛 左 小金道 右 金ケ作道」と刻まれています。

金ケ作も小金もかなり近距離の地名ですから、規模感で行くと松戸から印西を結ぶ20km前後の印西道よりもかなり小さいエリアのプチ旧街道ですね。時を隔てた松戸の住人の生活が何となく見えるようで楽しいなあ、こういう地元のローカル街道(≧∇≦)。

 

向かって左側面は、、風化で読めず。

 

向かって右側面には金網の影などでひどく読みづらいですが、、

あーっと、「東 印西道」と刻まれてるってばよ!

 

実際の印西道からは500mほど離れているので、これが印西道から移動してきたものなのか、あるいは印西に向かう別の道だったかは微妙なところです。仮に後者だったとしても、まあ割と近いところで合流したんだろうな、とは思います。

 

そこからしばらく21世紀の森と広場の外周に沿って進んで行き、事前の調べでもう1か所「印西道」の道標がある、とされていた住宅街の一角を訪ねてみたのですが、どうやら無くなってしまっていたようでした。

 

徒労にはなりましたが、一応自分としては「ナイストライ」として印西道に戻ろうと、今来た道を戻ります。その周囲の町名は「千駄堀」。

千駄堀といえば、昨年5月に「千駄堀館」を訪ねた時にほっつき歩いた地域の近くですね。千駄堀館も21世紀の森と広場のすぐ西の崖上でしたから近いわけですよ。

 

上の写真で後方に見えている線路は、新京成の線路、ちょくちょく電車が通りかかります。

 

街道に戻る途中で急にお手洗いに行きたくなってしまったので、已む無く超大回りをして21世紀の森と広場のホールのお手洗いに。

 

地図には詳しくルートを書きましたが、道標を見るための寄り道とその後のトイレの寄り道で何だかんだ5kmほどコースアウトしていました。コースアウト疲れもあってエネルギー補給。

 

街道に戻る寸前に見かけた「高城山 金松寺」。「高城」といえば松戸を長い間治めていた房総平氏の一族、高城氏と関連があるのかもしれませんが、ググっても出てこないので不明でした。

 

1時間超ぶりに街道に戻ります。戻った直後あたりから下り坂になります。上下の高低差はあまりありませんが、アップダウンの回数はかなり多いです。

 

道沿いは割に新しい住宅が多いのですが、たまにこんな古くて小さい民家が見られたりします。

 

坂を下りきったらほぼ四方が登り坂のあからさまなスリバチ地形の底にある八坂神社前交差点に出ます。

 

せっかくなのでこの交差点のあるエリアの地形もカシミール3Dで見てみましょう。で囲んだところの中心辺りがこの交差点ですが、見事に四方とも登り坂になってますね。

図左下にちょっとだけ21世紀の森と広場の地形が見えてますが、相変わらずすさまじい凹型地形です。

 

この交差点を越えたところの左側にその交差点の名前になっている八坂神社があるのでそちらに向かおうとすると、、おお、何かの工場(こうば)の様な建物ですね。赤錆びた外壁とあちこち継ぎ接ぎっぽい色違いのトタン壁がシブいな。

 

街道を進んで反対側を見ると「有限会社 イコウガ作業所」とあり、鉄骨建材や一般金物などを扱う会社のようでした。

三階くらいの高さまではスペースがずいぶんと広く取ってあるので、大きな建材などを入れて作業することが多いのでしょうね。

 

さて、八坂神社です。ちょっとした丘の上に社殿が立っています。上に貼ったカシミール3Dの図で見ても、の中にある神社マーク=この八坂神社は高台の上に描かれています。

 

享保十五年の創建で、素戔嗚尊を祭神として祀っている様ですね。

 

素朴ながら大切にされてそうな社殿でお参りします。

 

参道を下りて街道に戻ろうとしたところで参道脇に、「山田成」と書かれた成田山関連の不動明王像を見つけさっとこちらにもお参り。

 

不動明王が炎を背にしてますね。最近の流行りで言うとこんなイメージだな、きっと(違います!
)。

 

印西道歩き第一回はまだ続きますが、ここまでをその2として続きはその3でご紹介します。

 

(あと2回くらいつづく見込み)