6月13日(土)に大雨の中、松戸市立博物館を見に行ってきた記事のその2です。
その1では、松戸市にあった河岸を再現したジオラマモデルに感心したところまでをご紹介しました(☟再掲)。
ちょっと順路の順番を間違えたのか、再び旅のコーナーに入りました。
これは現在JR北小金駅の南にある小金宿の絵地図です。
注釈もありますが、左側が北になっています。
再利用して位置関係を説明すると、、
2つある赤丸の左側が先日の根木内城、右側の赤丸が行人台城、黄色の丸が現在の北小金駅、緑の丸が本土寺、青い丸が東漸寺といったところで間違い無いと思います。
こちらはかつて松戸宿の本陣で使われていた木の関札とのこと。
右の「府中侍従休」は読めますが、左のは達筆過ぎて最初の「本」と最後の「奥方泊」くらいしか読めないです。(本多龍登とかかなと思いますが、意味も分からないし多分違います)
そして宿場の説明として松戸宿にかつてあった旅籠の海老屋と、
私のブログでも何度か紹介したことのある小金宿の旅籠、鈴木家の玉屋などが紹介されていました。
海老屋はぜひ残っていて欲しかったですねえ。
その先には、この辺り一帯に、相当広範囲に広がっていた放牧場の小金牧の絵図が展示されていました。
リンク先のWikipediaの図で見ても物凄い広さですね。
やがて展示品は明治以降に移ります。
右側に写っているのは、つい先日相模台城跡地で見た、陸軍工兵学校の門標です。左側にあるのは当時の常磐線の時刻表。歴史方面に明るい鉄道好きさんの方には貴重なのではないでしょうか。
門標はあの門(↓再掲)にこの門標が架かっていた訳か!
こうやって以前の散歩と今見るものが繋がるのは本当に面白いなあと思います。歩き続けていればこそ、ってやつですね。
更にはこれまた私が最近の散歩テーマとして追及しまくっていた、松戸市内の谷津地形についてのジオラマモデルがあるじゃありませんか!
左手前側なんて、小川が作った谷津地形が完全に再現されていて、自分自身でも歩いてみた、「上本郷半島」(仮称)あたりの谷津地形を思い出します(↓再掲)。
(なんちゃって魚眼レンズで撮ったんで曲がってるやつです)
他にも台地の上に立つ住居のモデルなどもありました。典型的な谷津と大地の入り混じったエリアですからね。土地の実勢に合わせた展示が素晴らしいです。
さて、常設展の締めくくりは昭和の団地です。こちらには昭和30年代の団地=市内にある常盤平団地が再現されていました。
ちなみに常盤平団地は今も現存しており、修繕しながら当時の建物がそのまま残っていますが、この展示は1962年当時=入居が相次いでいた頃の情景を復元したものだそうです。
中に入るとかなり精密に復元がされており、ビックリしました。
白黒のテレビではバヤリースのCMなどが流れていました。
私は1968年生まれなので、おおよそ1972年くらいからの記憶はそこそこ残ってますが、長屋的な住宅で育ったこともあり、10年の差はあってもこの情景はとても懐かしく感じ、胸元にグッとと来るのを感じました。
ミシンがシブいですね。ベビーベッド、鏡台、押入の様子などもとても懐かしく感じる情景です。
そしてこの風呂場!
全くではないですが、私も最初の記憶にあるのはこんな木製の湯舟に、木の簀の子が置かれた床の風呂場です。椅子に座って父に頭を洗ってもらったことなんかを思い出しますね。
とすっかり昭和ノスタルジーに浸ったところで、他の展示物も。
こちらはやはり小金宿にある普化宗(ふけしゅう)の一月寺に因んだ展示。普化宗は虚無僧で有名なので、展示コーナーでお出迎えしてくれたのはもちろん虚無僧さん。
一月寺については、記事未公開の散歩で何枚か撮っていたのでご紹介します。
普化宗の関東総本山なんですよね。
虚無僧の歴史、、すごいシブいテーマですなあ。
他には、松戸発祥の梨の品種、二十世紀梨の展示もありました。
開発したのは松戸市の松戸覚之助さん。松戸市って松戸姓の方がちょくちょくいらっしゃいますが、ググっても情報出てきませんでした。
相変わらず外はほぼ土砂降りレベルの雨。
最後に地下の展示場でやってた館蔵資料展「郷土玩具」をさらっと見物。こちら(↓)は「きじうま」というそうです。
鳥のキジを模った玩具で、車輪もついてうごくので「きじうま」ってところでしょうか。
こちらは「さかなとくじら」と書いてありましたが、どれがくじらなのか分かりませんでした。左下の赤いのがそうなのか、、、
因みに松戸の玩具って訳ではないようです。
あっ、烏帽子かぶって日の丸の扇子広げてる人と、その左前の頭が燭台みたいな人はちょっと怖いかも。。玩具なのになぁ。
薄暗がりで見たら全部怖いかもしれません。
天気が良ければそのまま21世紀の森と広場の公園を歩いて帰ろうかとも思いましたが、かなりの土砂降りでナンセンスだったので、そのまま八柱駅から帰ることにしました。
途中、鮮魚街道(なまかいどう)歩きでもコースアウトして見たことのある「金ケ作陣屋跡」碑などを見つつ駅に向かいます。
ここしばらくの城郭巡りで、この陣屋跡も少し考えたのですが、地形的な特徴もほぼ無く(坂道の途中にはありますが)、この説明の標柱があるのみなので、選考外としたものです。
博物館で買って帰ったお土産はこちら。
展示の紹介でも書きましたが、本土寺には松戸一帯の記録がかなり残っており、概略を知るには最適の資料です。
他に「小金城主 高城氏」という本も事前の調べで買おうと思っていたのですが、完売で売り切れとの事。たいへん残念でしたが、帰宅後千葉支族の原氏と高城氏に関する書籍をAmazonでポチっとしたのでした。
その本の著者は、何と私の松戸市城郭巡りのガイドブック(というか、もうバイブルです)「東葛の中世城郭」と同じ著者の千野原靖方さんでした。この方は東葛地方の歴史をめっちゃ研究されている方で精力的に著作も出された様で、すごいお方です。
ということで松戸市立博物館見物、これにて終了です。