相模台城跡を歩く その4 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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まだ完全ではありませんが、かなり悪い意味で盆と正月が一緒に来るような、いや、最繁忙期のピークが終わり、ゆったりと記事を書けるようになってきました(≧∇≦)。

 

ということで5月24日()に、松戸駅のすぐ東の台地にかつてあった相模台城跡の辺りをグルグルと巡った地形散歩記事のその4です。

 

当日の歩行ルートは↓。

自宅からの往復も含めてトータルで8.6kmほどの距離を歩いたようです。

 

その3では相模台城のあった台地の南側の崖にある谷津(谷戸)地形を「ちょっと普通じゃないよ」というくらい丹念に確認したところまでをご紹介しました(☟再掲)。

この写真で見えているのは、↓のカシミールの青い矢印の先端、黄色いで囲った地点です。

 

もう少し相模台の南の崖下の地形を見たかったので、谷津沿いの道を再び崖下まで下りた後、そのまま崖下を東に進みます。

 

この崖下は、古い字の名前付きの地形図でいうとちょうど「離山」の真南の崖下に当たります(岩瀬の「瀬」の字の真下くらい)。

 

そのまま東に進むと国道六号のある高い地形にぶつかります。

盛り土にも見えなくはないですが、すぐ上のカシミール3D図で見る限り、少しは盛ったかも知れませんが、相模台とその南にある台地を細~く結ぶ、土橋状の地形を巧く利用して国道を作ったように見えますね。

 

これまでは崖上の国道をクルマで通ったことくらいしかなかったのですが、すぐ脇にこんなスリバチ地形があったのは、見落としていました。

 

さて相模台南側のスリバチ地形や崖の高低差はだいたい見られたので、一旦台地に上がり直した後、また北側の崖下に下りて散歩をしめくくるとします。

 

↓の再掲カシミール図に描き加えた黄色い矢印の先端辺りに、南東から北西に向かって台地の上に上がる道があるので、そこから崖上に上がります。

 

崖下から見た風景がこんな(↓)感じです。

中央近くに移っているY字路の鋭角物件の右(崖を上がる道)と左(スリバチ地形に下りてゆく道)の高低差がけっこう面白いですね。

家の右側はすご上り坂、左側は下り坂なので、できればお邪魔して中がどうなってるのか拝見したいくらいです。

 

この頃になるとかなり気温も上がり、ヘバってきたのですが、ちょうど上の写真のすぐ左辺りにお誂え向きのドリンク自販機があり、更にお誂え向きなことにコイツがあったので、即購入して一気飲み!

月桂冠のやつ、けっこう好きです。酒造メーカーだけあって、けっこう酒粕の香りが強いのがGood!「150あるHPが12くらいまで減ってしまったたのを、瞬時に70くらいまで回復してくれた」感じ(ドラクエ的な喩えです)。

 

写真だと少し勾配が少な目に写ってしまいますが、かなりの急坂ですよ、これは。

 

民家脇の金網も一枚ごとに高さが20cmずつくらい上がっています。

ボール遊びなどで取り損なうと、そうとう大変そうですね(^^;)。

 

坂の途中からだいぶ高低差の出てきた崖下のスリバチ地形をしげしげと眺めます。

 

坂を上がったらそのまま北方向に進みます。↓の写真は西方向を向いており、この写真正面方向に進むと、松戸中央公園や裁判所の方に戻りますが、今は右(北)方向に進みます。

 

北の方に向かって相模台を下りる道がこちら。うーん頑張って登った直後に下りるのは勿体ない気もしますが、好きで地形散歩しているのでしょうがないですね(^^)。

と、左の民家の門内に鳥居が立ってますね。

 

敷地内に氏神もで祀っているのかな、、と思ったら祠の中に鎮座していたのは馬頭観音でした。

仏系である馬頭観音に神社系の鳥居という訳ですね。見えないだけで他に神様もいるのかも知れませんね。

 

北に向かって斜面を下ります。

正面に見えるこんもりとした森は相模台とは別の台地で、要はこの坂の下は谷津地形になっているということです。

 

この地形を先ほども使ったカシミール図を再利用して見ると、、

今いるのは赤い矢印の先端辺り。南東から北西に向かう谷津の東端に向かって下りてゆくところですね。

 

右(東)を見てもかなりの高低差ができてます。

 

ほどなく谷津の下に到着し、ここから左(西)に向かって相模台の北側外周の崖を見ていきます。

 

左には相模台の北端の崖が見えていて、写真右端には北側にある谷津の崖上の木々が少し見えています。

 

相模台城のあった台地の北端の崖に凭れ掛かるように福祉施設が立っています。

 

自宅近くの上本郷の深い谷津の底で見た風景によく似ています。

(↓当時未掲載)

 

谷津を横断するように北側を見るとやはり真ん中が低くなり向こう側が崖に向かって高くなる典型的な谷津の地形です。

一番低いあたりはかつて川でも流れていたんでしょうね。

 

この日の歩き旅もほぼラストスパート、そろそろ崖上に聖徳大学関連の建物が現れるころです。

 

「せいとくようちえん」の案内があります鉄門に鉄条網ってどうなのかなあ。。卒園生の親としてはちょっとなぁ。。

 

今は城の代わりに川波一族の聖徳学園が聳えている訳ですね。

 

ぎっしりと崖沿いに大学の建物を並んでいて、城郭巡り散歩の写真には見えませんね(^^;)。

 

この後はその1でやって来た道を引き返し帰宅したのでした。

 

先週末も同じような城郭巡りの歩き旅はしていたので、次のシリーズでご紹介します。