音無川‐山谷堀を歩く その2 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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2019年1月20日()に、音無川(石神井用水)からそのまま続く

山谷堀を終点の隅田川まで歩いた散歩記事のその2です。

 

当日の歩行ルートは☟。

歩いた距離は5KMちょいでした。

 

その1では、吉原大門交差点にある、見返り柳の説明を読んだところ

までをご紹介しました(☟再掲)。

 

さて、では吉原遊郭跡に向かいましょう。吉原大門交差点から、

遊郭跡に向かう、「く」の字に曲がった五十間道(軽い坂道になって

いて、「衣紋坂」とも)を進みます。

ほぼほぼ曲尺手(かねんて)の様なクランク状になってますね。

曲尺手は一般的に宿場の入口にあるものですが、外の世界から

「内」にあたる吉原遊郭が見えない様、こういう道になったそうなので、

そういう意味では同じ文脈で曲尺手だ、とも言えますね。

 

S字クランクが終わる辺りで道の右側にあったラーメン屋が妙に

印象的で激写してしまいました。

ラーメンランドが提供する、出前OKの「地獄ラーメン」、せめて一口

食べてみたいものですが例によって、時間が早すぎてまだ開店前、

でした。

 

ラーメンランドの向こうに見えている交差点でいったん右折します。

吉原は、「お歯黒どぶ」というお堀で周囲をぐるっと囲まれ、外界とは

異なる世界になっていました。遊女たちが逃げられないように、という

意味が本来だと思います。いずれにしても、遊女の捨てたお歯黒の

せいで、あるいは汚水の汚さで、黒い水の堀だったといいますが、

この道路がそのお歯黒どぶ跡です。

 

数十ーメートル進んだ先、左側のこの地点(☟)にそのお歯黒どぶの

名残の石垣が残っているとされています。

☝の写真の右端の石垣がそれと言われており、近くに寄ると、、

 

下方の石垣は黒く染まっており、一説にはお歯黒の色がここに

残っている、とのこと。

お堀の幅は二間(3.6M)もあったそうですから、逃げられないですね。

 

五十間道に戻ると、吉原大門跡があります。

ここは吉原遊郭の目抜き通りだった仲之町通り、ですが、迂闊に

これより先に進むと、きっと以前と同様に呼び込みの方々に

声を掛けられ辟易してしまうと思うので、これ以上は進まないことに。

 

見てみたいものがあるので、山谷堀に向かう前に、☝の地点から

左折した路地に入ります。

いかにも何か興味深い建物のありそうな通りですね。

 

少し進むとさっそく、雰囲気のある建物が二軒並んでいました。

これを撮った瞬間は全く予備知識が無かったのですが、この二軒、

かつての赤線物件でした。手前の建物は「モリヤ荘」という名の

アパートですが、帰宅後調べてみると、かつては「モリヤ」という、

そっちの店でした。

 

そして奥の建物。こちらは反対側から見ると、知らなかったとしても

ぱっと見れば赤線地区独特のカフェー建築と分かる造りでした。

鳩の街や玉ノ井でもよく見かけたRのついた建物です。

ふつうはあり得ない、斜めに向いた受付的な窓も独特だし、通りに

面した表面のデザインも秀逸です。今は岩渕荘というアパートに

なっていますが、かつては「プリンセス」という店だったそうです。

(店の名前等は帰宅後調べたもの)

 

すぐ先の右側にある薄暗い路地もなかなか味わい深いものでした。

右の方に見えている黄色いテントの喫茶店(跡)の名前は

「喫茶24 リゲイン」。黄色いテントに黒い文字のその名前、一定の

年齢以上の人にしか通じないやつですね。

(なお、私は昔も今も24時間も戦えません)

 

カフェー建築のある通りをいったん突き当りまで歩いた後、左折、

すぐ左折を繰り返して一本隣の道に入ろうとしています。途中で

そちらの道につながる路地が全くないので、そういう大回りが

必要な訳ですが、その突き当りまで行ってみると、、

(右下にストラップが映り込んでしまいました (>_<))

こちらは二階に自殺ドアがついてますね。カフェー建築は探して

いましたが、トマソン物件まであるとは、、

 

左折、すぐ左折をして、カフェー建築のあった通りの一本隣の路地に

入ります。

ここはぱっとみ分かりませんが、さっき言及したお歯黒どぶのはず。

左手前に写ってる建物も少し不思議な感じです。

 

カフェー建築的なものはなかった(か、気づかなかった)のですが、

途中何軒かの建物が、少し高いところにあったところを見ると、、

やっぱりここもお歯黒どぶ跡で間違いなさそう(帰宅後、『歴史群像

シリーズ 図説城下町・江戸』という、古地図と現代地図が見開きで

見られる本で調べてみても、やはりそうでした。)

 

この通りの突き当り(五十間道方向)は現在民家で塞がってしまい、

分かりづらいのですが、微かな地形に痕跡があって満足!(^^)!。

 

突き当りから右折→左折→右折をして五十間道に戻りますが、

途中で変わった形状の元店舗らしき建物があったので激写します。

店舗部分は通りと同じ方向ですが、二階の住居は少し軸がずれて

斜めになってますね。何の店だったんでしょう?

 

五十間道から吉原大門交差点に戻ると、向かいに見えていた

ガス店がまた出桁造りだったのでとっさに激写しました。

商売替えをしたのか、家主が変わったのか、古風な建物のわりに

モダンな商いですね。

 

最後に見返り柳を眺め、山谷堀跡に戻ります。

 

あまり暗渠付近を歩いてる雰囲気はないですね、この辺り。

 

おっ、また住居がなくなった更地が駐車場になってます。

山谷堀跡の一断片と思いたいですが、なかなかに難しい。。

 

 

進んでゆくと、良い古びっぷりの民家の前方に、見るからに怪しい

柵を発見。その先は見るからに暗渠っぽい空き地な雰囲気です。

 

柵の上にカメラを持ち上げて柵の向こうを撮ってみると、、

ああ、この細長い空き地は暗渠ですねえ。向こうの壁は護岸っぽく、

久しぶりに暗渠散歩やってるのを思い出しました(^^)。

 

と、その暗渠空きスペースの先で、上流方向を振り返ると、、

地方橋(じかたばし)という橋跡のモニュメントがあり、その奥の

ポケットパークみたいなところには何やら説明板が。

 

山谷堀沿いに作られた日本堤(現在は吉原大門交差点などもある、

さっき歩いてきた車道がそれです)の説明板でした。

本来は隅田川の水害を防ぐための堤防ですが、吉原付近では、

猪牙舟で吉原に着いた時の岸辺だったわけですね。

 

そのすぐ近くに、コカ・コーラの自販機を見つけ微糖休憩タイム!

 

で、ここから先、山谷堀跡は緑道公園になります。

 

公園になっちゃうと、暗渠散歩としてはいまいちになるのですが、

まあせっかくですので最後まで歩きましょう。

 

と、この続きはその3でご紹介します。

 

(つづく)