2018年11月18日(日)に、房総・千葉探訪シリーズとして、
上総国分寺や国分尼寺跡を訪ねてきた小旅行の記事、その5です。
当日の歩行ルートは☟の通り。
歩いた距離は10KM弱ほどでした。
その4では、国分尼寺跡の敷地内で、経楼跡などのしぶい遺構を
しげしげと眺めたところまでをご紹介しました(☟再掲)。
その左隣にあったのが鐘楼跡(奥は尼坊跡)。
この方向の遥か遠く、今は飛地となってしまっているところにも
国分尼寺跡地があるため、そちらにも行ってみましょう。
おお、あった、あった。
上総国分尼寺跡って、ちゃんと書かれていますね。ただの住宅地の
ちょっとした盛り土にも見えてしまいますが、、。
ここには国分尼寺の政所があったとされています。
この飛地、どういう位置関係かといいますと、、うーん、さっきの
模型を使ってみましょう。
左のオレンジの丸が国分尼寺展示館、青い線が私が歩いた
現代の道路のルート、赤い丸が2枚☝の写真の地点です。
元々は全部つながった敷地でしたが、今は途中の部分が完全に
住宅地と化している訳です。
さて、あとは五井駅に帰るだけで、事前の調べでは「暗渠跡」と
思われる緑道を通って帰るつもりだったのですが、歩いて見ると余り
面白くなかったので、あとはテキトーに飛ばして頂いて結構です。
☝の模型で言えば真っ直ぐ上方向(北北西方向)に進みます。
この道は地図で見ると暗渠っぽいかったのですが、
実際には工業用水路が埋まってるそうです。まあこの芝生の部分が
元々開渠だったという事でしょうか。
当初の予想では次に歩く北五井緑道がかつての川の流路で、
この工業用水もそこで川に合流している、などと予想していました。
左右に広がっているのが北五井緑道ですが、工業用水跡、
北五井緑道を突っ切っていますね。北五井緑道には合流しては
いなかったのか、はたまた北五井緑道に南北それぞれで合流を
していた跡なのか、決められませんでした。
で、この北五井緑道、暗渠散歩になるかな、と目論んでましたが、
あんまりそんな感じじゃなかったんですよ。
単なる下り坂の公園、、、、だと?
まあ、下り坂というのは、国分寺に向かう時に登った台地から降りる、
という事なので微か〜に地形的な要素はありますが、イマイチ
只の散歩になってしまいますねえ。
余り見どころの無い公園の緑道の坂を下りて行きます。
その先で、歩いているところの向かって左側に突如川が出現、、
したんだけど、何か水汚いです。あんまり嬉しくない感じ。
その先で館山自動車道の高架を潜ります。
余談ながら高架を潜るトンネルの右端近くを歩いている女性は、
すごく綺麗な方でした。
その先で私の歩いている道は川沿いの緑道になりました。
桜並木なんで、川の水はイマイチですが、春にはきれいな花が
咲くんでしょう。
台地から降りて、真っ平らな地平を見たり、、
もう少し先で川面をしげしげと眺め、「ああ、これって台地の上の
団地からの排水=下水だな」と確信したりして歩きます。
(帰宅後調べるとその様でした)
このまま川沿いを歩くのも変化がないので、途中で左折して、地図上
で付近に見えていた上総更科公園という素敵な名前の公園に
向かうことに。
出生し、この地に居たという事で更科の名がついている、とのこと。
街道ウォーカー兼、暗渠ハンター的には何がどう、という訳では
ないですが、太陽の下、家族で憩うにはいい公園だと思います。
公園を去り際に、太陽と雲が変わった景色を作っていたので、
面白いなと思って激写。
丘の上の道路にはなぜか30名くらいの人がたむろしていて、
なぜか全員もれなく忙しくスマホをいじっており、何が何やら
意味が分からなかったのですが、イベント待ち、、かなあ?
そうこうする内に五井駅に到着。
実はこの五井駅、そのまんま五井藩の陣屋があった歴史遺構
なのですが、面影も痕跡も説明もない様でした。房総往還歩きでは
駅の反対側、少し離れたところを通りました。
ということで終盤妙に盛り上がりに欠けましたが、上總國分寺と
國分尼寺の探訪、これにて終了です。この辺りは古墳や遺跡、古代道
の跡などまだまだ沢山の歴史的スポットが沢山あるので、また別の
観点で散歩に来ようかなと思って居ます。
下總、上総と国分寺を訪ねました。こうなると次に目指すのは
安房國分寺になるかなあ。外房にも見どころは幾らでもあるので
色々悩んでしまいます( ̄ー ̄)ニヤリ。