大山街道その7(最終) 愛甲石田-大山 1/2 | らんまるの街道歩きブログ

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2013年4月27日(土)、大山街道前回ゴールの愛甲石田駅から、終点の大山阿夫利神社(下社)までを歩きました。地図の作成の都合上、ケーブルカーに乗った部分を合わせて、17.3kmの歩行距離(内2kmほどがケーブルカー)、歩行ルートはこちらです。

この日も歩行ルートなどは例によってこの本に従っています。
ホントに歩く大山街道 (未知の道シリーズ)/風人社

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朝7時発の電車で、常磐線→千代田線→小田急小田原線と真直ぐに乗り継いで前回ゴールの愛甲石田駅に到着。駅の売店で軽く腹ごしらえをしてから歩き始めます。駅を出たらそのまま道なりに踏切を渡り暫くの間国道246号を歩きます。
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全く雲の無い快晴で歩いていても気持ち良く、ゴールである大山も前回とは違いハッキリと家の合間から見えます。
02

国道に出てから数百メートルで、道了尊交差点の先の右手に浄心寺という浄土宗のお寺があり、茅葺きの山門が非常に見事でした。
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本来の旧道はそのまま1kmほど直進し、現在国道246号の右手にある日本ロジテックの敷地内を回る様にして進んだ後、国道246の左手(南側)に斜めに南下し、現在の白金山団地から復活している旧道部分に
合流するルートなのですが現在は完全に消滅しているため、パチンコのエイトマンの先で斜め左に国道から離れる道に入り南下します。

少し太い道と合流した後、道なりに歩いていると、道路が小田急線の線路と接近する交差点の右手に道標が立っています。
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「東 厚木町に至ル」ですから明治とか、大正の頃の道標でしょうか。

更に進むと右手に白金山団地が見えて来ますが、団地入口の交差点の右手に判読できなくなってしまった石碑がありました。庚申塔か、道標か。。 団地の方に右折して上がって行くと途中で行きどまりになっているその道こそが途切れてしまった大山街道の復帰部分にあたりますので一応見に行きますが、普通の団地の道、という風情になっています。団地の中を通る様に旧道を歩くと、先ほどの少し太い市道に
出ますが、その少し先、JAの手前右手には白金地蔵があります。
06白金地蔵
万延元年(1860)に建てられ、他に移築されていたのが台風で倒壊し、1996年にこの地に再建されたとのこと。

伊勢原市立成瀬小学校を回る様にゆるく左折をして県道22号を渡ると、道は登りになり、左手に双体道祖神が佇んでいます。
07双体道祖神
 
先週もそうでしたが、この辺りは双体道祖神が多い様ですね。登り坂を上ると、街道の宿場町入口に独特の枡形なのか、街道は直角に右に曲がり、ここから糟谷宿が始まります。


宿場の現在の風景がこちらですが、明治34年に大火があったため、宿場の風情はほとんど残っていません。
09糟谷宿場
 
ただ、よく見ていると、元宿場だけあって、敷地と規模がすごく大きな家が多くまた、風情のある黒塗りの板塀を廻らせた家もありました。
10板塀

少し進むと右手に普済寺の参道があり、ここには見事な多宝塔があるという事なので早速入口の仏様にご挨拶をしつつ、お寺の中に入らせて頂きます。
11普済寺入口

多宝塔はその先の左手にありましたが、恐らくは2011年3月の震災で、崩れてしまっていた様で、多宝塔のてっぺんが落ちしまっていました。せめて大山を背景になるべく綺麗に撮影してみます。12多宝塔

普済寺を出て、粕谷宿下宿(現在の地名は「粕」の字)バス停の先の信号交差点を左折してちょっと街道から離れて寄り道してみます。坂を下りて渋田川を渡ってすぐ左手にある大慈寺は、太田道灌公の菩提寺です。江戸城の原型を建てたあの道灌公ですが、本来は相模の方なんですね。
13大慈寺

渋田川に沿って、大慈寺の反対側の小路を少し入ってゆくと太田道灌公の首塚があります。太田道灌公のお墓は結構あちこちに残されている様ですね。
14太田道灌公首塚
首塚には今も花が供えられていました。

街道に戻り少し進むと右手には、4世紀創建の高部屋神社があります。延喜式内社(延喜式に記載された(由緒ある)神社)です。
15高部屋神社

高部屋神社の先の下糟谷交差点(ここは糟の字)で国道246号を渡り少し進むと、街道は緩やかに左折して、細い道に入ります。道幅や緩やかな湾曲が旧街道の面影を残しています。16旧道風情

東海大学附属病院の横を通って道を進むと、川の手前右手に咳止地蔵があります。咳や痰を直してくれるそうですよ♪。

21咳止地蔵

川を渡り市米橋交差点に出ると大山街道は右折しますが、ここまでずっと同じルートだった矢倉沢往還とついに分岐します。
22矢倉沢往還追分
いつかこの先を通って矢倉沢往還を歩く事もあるでしょう。

大山街道はまず矢倉沢往還の方に県道63号を渡ってから右折し、少し先(ヤマト運輸倉庫の向かいあたり)で斜め左に分岐する農道みたいな道に入ってゆくのですが、私は県道を横断する前に右折してしまいうっかり500Mほど行きすぎて引き返すハメになりました。

農道の様な旧街道の入口はここで、ちゃんと大山街道の赤いステッカーが道標として貼ってあります。
23旧道入口
この先、暫く道路は舗装されておらず、旧街道風情という意味では満点でした。途中右手に手作りジャム屋さんがあったのですがそちらの店名が「おおやまみち」とは嬉しいじゃありませんか。24ジャム屋さん
ルートを通してずっと絶え間なく、街道沿いの方々が街道を
保存しようとしていることにかけては今までにみたどの街道よりも
この大山街道が優れている様ですね。

このすぐ後に少し幅のある車道を横断しますがこの道路は、八王子方面から同じく大山を目指す大山(街)道 八王子通です。

21大山道 八王子通り

私が赤坂からここまで歩いて来た大山街道は、上記の矢倉沢往還と重なるメインではありますが、大山詣では江戸時代の人気観光の一つで関東一円のあちこちから大山に向かう道があった様です。

その後住宅街を抜けますがタワーの様なものが見える、追分的なところで大山街道は左斜め前に進路をとります。よく見ると例の大山街道のステッカーが追分の又のところに貼ってあり、進路が分かる様になってます。

22追分

そのまま進むとやがて街道は東名高速道路にぶつかりますが、幸いすぐ左にガード下を通るトンネルがあるのでここを通ると難なく街道のルートに戻れます(厚木18って名前のトンネルでした)。

23東名高速
 

トンネルを出てすぐの左手のところに道標が立っていました。
24道標
完ッ璧な街道風情で、道標には『いいやまみち 七五三引(しめひき)村』と書いてある様です。

その先の街道は旧街道時代の道幅程度の風情ある道行きが楽しめ、道の脇を流れる小さな流れは千石堰用水という由緒のある用水です。

25旧街道♡
太田道灌の時代に、上杉家の有事に備えて掘った用水だとか。

未舗装の道路が終わる地点で木製の大山道標識との他、「三所石橋設立供養塔」という石塔が立っています。

26三石橋供養塔
このあたりで千石堰用水にかかっていた三つの石橋を掛けた時の供養塔ですね。木製のベンチがあったので7分ほどここで休憩してから歩きを再開します。

この先街道ルートは直進ですが、少し寄り道をして太田道灌公に関連した史跡を訪ねてみる事にして、右折→すぐに左折すると緩やかな坂の上にあるのが、洞昌院というお寺があります。こちらは太田道灌が上杉憲実の弟である道悦和尚のために設立したお寺ということです。
27洞昌院
 

洞昌院の入口の左には、木の枝に隠される様にして、道標が立っています。
28道標
『西 かなひ いせはら』と書いてありますね。

更にこのお寺の、向かって右奥に進んで行くと、「太田道灌公霊地」という道灌公の墓所がありました。経年劣化のためか、はたまた一昨年の震災のためか、手前の赤いトタン屋根の建造物が傾いて、ちょっと変わったモニュメントの様になってしまっています。
29道灌公霊地

墓所を出て更に右折→すぐ左折して山王原公民館まで行くと手前側に七人塚というのがあります。太田道灌が主君である上杉定正に謀殺された後、迫りくる上杉勢に対して、たった七人で立ち向かい討ち死にした、道灌公の七人の家来を葬った塚ですが現存する塚は一つだけです。
30七人塚
わずか7人で大群の上杉勢を引き受けたこの人たちの気持ちを思い、塚の前でかなり泣きそうになりました。

ここまで見たところで、少し南にある街道に復帰し、先を急ぎます。千石堰用水が左に流れているところで庚申塔や道標がありました。
31道標

その先で街道は住宅地にぶつかって一度旧道ルートが消滅するので道なりに90度左折し、県道611号に入ると、石倉橋交差点付近でほどなく旧道ルートとも合流できます。合流してすぐ、右側には、、
32ステッカー
再び大山街道のステッカーによる現代の道標。行き先である大山を少しボカして背景にしてみました。

いよいよ街道の正面に大山山頂が見える様になり、気が高まります。
33正面に大山
電柱、電線、電灯が無く、道が未舗装であったら、江戸時代の旅人が見たままの景色と全く同じになるでしょうね!

石倉の交差点の右にある石倉神社でお参りをして、さらに先に進むと右側には比々田神社があります。きれいな神社です。

34比々田神社
 

本殿の奥を見ると、厚木出身の歌川一門の画家、歌川国経の美人図絵馬が、経年劣化しつつも当時の見事な歌川派の浮世絵現物を見せてくれます。
35歌川国経美人図絵馬

道はもうはっきりと登り道になったままで、少しずつ傾斜も大きくなってきている様ですが、更に進むと右側には茅葺きの古民家があったのですが、残念ながら廃屋になってしまってる様でした。
36破れ古民家

歩道もなく少し怖い道路を歩き続けると、県道は新しいバイパスルートが左折して川を越えてゆくので私も一旦そちらに行ってしまったのですが旧道はそちらではなく、もう少し直進してから、易往寺のところを左に曲がり、川の手前で右に登ってゆく坂道でした。

37易往寺

この坂はかつて、這って登らねばならないほど急な坂で、「這子坂」という名前がついているそうです。
38這子坂
既に10km前後歩いた後ですので、這わないまでもかなりしんどい登り坂です。かなり頑張って坂を上り切ると、街道は右に湾曲して県道611の旧ルートに合流します。

少しずつ勾配も急になっており、広い意味ではとっくに山登りが開始されている事を思い知ります。大山は
いよいよ近く、大きくなってきます。
39大山いよいよ近い

 

這子坂の後1kmほど歩いてかなり疲労してきたので、都合よく左手にあった諏訪神社で、丁重にお参りした後休憩。
40諏訪神社
休憩中に手持ちのスポーツドリンクを全部飲んでしまったのですが歩き再開後すぐ右手にあった遠州屋(静岡の西の方からご先祖が移住してきたのでしょう)米店に自販機があったので、再びスポーツドリンクを購入。気温も上がってきたため、飲み物は街道歩き時の命綱にも等しいものです(飲まないと本当に倒れます)。

諏訪神社から少し先には三の鳥居があり、ここから本格的に大山詣でのための参道という事になります。
41三の鳥居

更に1、2kmほど進むと県道は左に湾曲して川を渡りますが、三の鳥居も過ぎて、いよいよ本格的な大山詣での道になったためいかその辺りから、いよいよ大山詣でのための宿坊(大山詣での各々の利用していたもの)が姿を見せ始めます。
42宿坊

川を渡った後は右折して県道に合流しますが、すぐに大きなアーチがかかっており「丹沢大山国定公園 おうこそ大山へ」などと書いてあります。道の傾斜はますます激しくなり、道の左右には「先導師 ○○×之助」という看板や講の名前の看板(石碑)などがうるさいほど立ち並んでいます。

一旦加寿美橋という赤い橋を渡って車道から離れると、せまい道幅の参道となり、宿坊と土産物屋があり、更に右奥には大山阿夫利神社の社務所があります。
その後、愛宕橋という橋を渡り車道に再度合流しますが、そのたもとに愛宕滝があります。かつての大山詣では身を清めてから行う必要があり、こうした滝で身を清めてから山に入ったのですね。
44愛宕の滝
 

どうも自分自身は汚い身と汚い心のまま山に入りに行く様な気がしてならず、滝にでも打たれたいのはやまやまでしたが先を急ぐことにしました。愛宕橋のところには鯉のぼりが多く上がっており、目を楽しませてくれました。
45鯉のぼり
川の上の鯉のぼり、すばらしい日本の情景ですね。

愛宕橋を渡って車道に合流すると「マジすか?」と言いたくなるほど急な傾斜になってきます。

46えらいこっちゃ
写真だと分かりづらいですが、平地を10km歩いた後、この手の傾斜を既に数km歩いているのでキツいこと、キツいこと。付近の宿坊にご宿泊らしい御一行が、昔ながらの杖をついたりしながら大山に登って行くのと、頻繁に会う様になってきましたが、体の強くない方も時にはいらっしゃるらしく周りの方が助けながらゆっくりゆっく登られている様でした。

本来この日の予定ではこの数百メートル先のバス停で終点にする筈でしたが、ちょっと考えてみました。
 ・ 自分は大山街道を歩いている、あくまで街道ウォーカーであり  登山者ではない。
 ・ 下調べした感じでは、このひどい腰痛とヒザ痛では、仮にここで帰宅し別途大山登山を志しても

  頂上まで行くのは恐らく難しい。
という事を考え、急遽この日の内に大山街道歩きを終わるべく、
 ★登りはケーブルカーを使って、途中の阿夫利神社下社まで行く。
 ★代わりに帰りは必ず徒歩で下りる
というプランに変更です。

そこでバス停に行くのではなく、車道から左に分離する「豆腐坂」を登ります。他にも登山者が大勢この坂を上ってゆきます。
47豆腐坂
かなりしんどい坂ですが登り切ると、再び川をわたりケーブルカーの乗り場まで続く長い上り坂にはたくさんの土産物屋や食事どころがあります。
48土産通り
この時点で既に12:30になっており、坂道で疲れ切っている上お腹もすっからかんになっているので、すぐ目に入った「釜めし処中村屋」に飛び込みます。釜飯食べたかったのですが、時間がかかりそうなのと、何より疲れ過ぎて麺類しか入りそうになかったのでとろろそば(温)を頼みました。もちもちしてやたらと美味しい麺でした。

体も休め、お腹も満たしたところで歩きを再開。この土産物街、かなり長く10分ほど登り続けてようやくケーブルカー乗り場に。

山を登坂するケーブルカーには初めてのりましたがものすごい傾斜なんですね。あと、当然ですが車内自体もすごい傾斜です。

49ケーブルカー

途中の大山寺駅をスルーし、終点の阿夫利神社駅に到着。そこから見た景色がこちらです。
50上からの眺め
天気もよく、向こうには相模湾も見えてまさに絶景!!ただ、ファインダーでは気がつかなかったのですが、画像素子にゴミがついてしまった様で写真の左上方向に妙な黒点が入ってしまい、かえすがえすも残念(翌日ペンタックス窓口に行き、早速クリーニング終了)。

 

道なりに進むと茶屋があり、江戸時代の茶屋の客引きもかくや、というほど元気に客引きしていました。
51茶屋
向かって左側と右側で合計2件の茶屋がありました。

私はこう見えてもまじめな方なので、神社にお参りもせんと茶屋に入る訳にはいかん、という事でまずは阿夫利神社下社を目指して階段を上ります。
52阿夫利神社階段
 
登り切ると立派な本殿が聳えています。
53阿夫利神社下社
 
かなり真剣にいろんな事をお願いしてお参りをすませ、ふと振り返ると絶景としか言いようのない眺望が開けていました。
54絶景
よく見ると江ノ島も写っている様でしたが、再び黒点が写真に入りいかにも私らしい、残念な感じになっています。。
とは言え、ついに大山街道ゴール!!!です。おめでとう、俺!

さて、この後、最後まで書ききったのですが、4万字を越えてエラーが出てしまったので、大した量もなく不本意ですがここまでで一旦切り、この後は2/2に続けます。

(つづく)

2013年4月28日(日)アップ