水戸街道散歩 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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2012年12月9日(日)

この日も2、3時間ほど時間があったので、以前ゴールの水戸市まで
歩いた水戸街道を、自宅から比較的近い北松戸駅から、北小金まで
歩いてみました(歩行ルートはこちら)。

JR北松戸駅から出発し、すぐに国道6号線=現在の水戸街道に出ます。
この区間は旧街道=国道です。
01標識

上の写真の交差点を過ぎて少し過ぎたところの右側には、
「首切り地蔵」があります。こちらは、この地で斬首された、
水戸藩諸生党の佐藤久太郎の霊を慰めるために建てられた
ものですが、左のお地蔵さんは何度付け替えても、首が
なくなってしまうのだとか。。
02首切り地蔵


暫く国道沿いに進み、馬橋陸橋の交差点を過ぎると、旧街道は
国道を逸れ旧街道らしい風情を見せます。やがて旧街道は右に
湾曲しますが、その曲がりばなにあるのが名刹萬満寺です。
鎌倉時代の創建ですから、近所にあるにしては相当豪華な
名刹といえます。こちらが山門。
03萬満寺01

こちらが本堂ですが、やはり威厳と重みらしきものが感じられます。
04萬満寺本堂

萬満寺の前で湾曲した街道は、ほどなく国道6号に再合流するのですが、
その途中で少し登り坂になっており、「江戸見坂」という名前がついています。
水戸から江戸を目指して歩いてきた旅人がこの坂に辿り着くと、初めて
江戸の町が見えたから、だとか。。
05江戸見坂

旧街道は、八ヶ崎の交差点で再び国道6号に合流しますが、
ここに旧街道の道標が立っています。年号を見ると
文化3年と書いてありますから1806年ですね。
06八ヶ崎水戸街道標識

そこからすぐ先の右手には、一里塚跡の碑が立っています。
一里塚はその名の通り、街道での距離を示すために一里ごとに
小山を作り、榎を植えたものですが、それに因んでこの場所には
榎が植樹されているそうで、先ほどの石碑といい、この辺りでは
歴史的な遺物の保存意識が高い様です。
07一里塚跡


一里塚の数百メートル先で、旧街道は今度は国道から右に
逸れ、少し旧街道らしい地形を楽しめる部分を通ります。
途中で、甕を埋め込んだ壁があったので激写!します。
08つぼ

国道のすぐ隣ではありますが、確かに旧街道らしい風情が少し
感じられます。
09旧街道


数百メートル風情を楽しむと、旧街道は国道6号を跨いで
JR北小金駅に向かう通りに入っていきます。この通りは
水戸街道の「小金宿」であり、古くから残る民家も数多く
残っている通りなのですが、ひと際優れているのが、
江戸末期に建てられた旅籠がそのまま残っていることです。

こちらが旅籠「玉屋」(鈴木家)です。実は家内の実家がこのすぐ近く
なのですが、子供時代には、それこそ「江戸時代から生きているのでは
ないか?」と思われる様なおばあさん(かつての女将でしょうか)が
住んでいたそうですよ。

そこから少し進むと、「梅沢家」という立派な旧家があるのですが
このお家の庭には「明治天皇行在所」の石碑が立っています。
11梅沢家

更に進むと、関東十八檀林の一つ、東漸寺があります。
関東十八檀林とは、江戸時代の初期に、浄土宗の僧侶
養成機関として定められた18のお寺です。
徳川将軍家の菩提寺と言うと、通常寛永寺の方を思いつく方が
多いと思いますが、浄土宗の増上寺(会社近くです)も同じく
徳川家の菩提寺であり、私が個人的に、かなりハイレベルな
将軍だったと見ている二代秀忠公などは、増上寺に葬られて
います。
12東漸寺01
とにかく格調の高いお寺なのですが、紅葉の見事なことでも
知られており、まだ少し紅葉の風情が楽しめる状態だったのは
幸いでした。参道は長く、境内は広く、非常に立派なお寺です。

初冬の紅葉もなかなか良いものですね。
13東漸寺の紅葉

東漸寺を出ると、もう本日のゴール北小金駅は目と鼻の先です。
駅のすぐ手前のスーパー、サティの前で水戸街道は右に直角に
折れるのですが(直進は、やはり地元の名刹本土寺の参道です)、
ここに水戸街道の道標が立っています。本土寺の参道と間違えない様に
との配慮でしょうね。
14サティ前水戸街道標識

既に昨年末に踏破した水戸街道ですが、本日久しぶりにその一部を
歩いて、かなり楽しめました。古い宿場町の風情はなかなか素晴らしい
ものです。

いつかまた日本橋から水戸まで再び歩くと思うので、その日を楽しみに
することとします。来週はまた青梅街道の続きでも歩こうか、それとも
大山街道のスタートを切ろうか。。一週間かけて考えます。

2012年12月9日(日)アップ