甲州街道/青梅街道その1 日本橋から新宿追分 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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2012年9月1日(土)

この日は甲州街道及び青梅街道の第一回として、日本橋から甲州街道と青梅街道の追分である新宿三丁目までを歩きました。

甲州街道はいわずと知れた五街道のひとつで、おおざっぱにいえば中央自動車道に近いルートで八王子~石仏~甲府~下諏訪と進み中山道に合流する街道です。青梅街道は、江戸城の普請に使う
石灰を運ぶために開かれた街道で、誤解されることが多いのですが、青梅までで終わるのではなく、青梅を経由して甲府まで続き、甲州街道に合流するルートであり、このため「甲州裏街道」とも
呼ばれていた脇往還です。
この両者は、日本橋から新宿三丁目の追分までは全く同じ道で、そこから分かれて行くので、この日は、起点の日本橋から、両者が別れるその追分までを歩くことにしました。

この日の歩行距離は10.294km。歩行地図はこちらです。 

 

午前9時少し前、地下鉄日本橋駅前に到着し、往時の旅人よろしく日本橋からスタートをします。
04日本橋
何度みても、この美しい橋の上に首都高速を通した、センスの無さには腹が立ちますが「日本橋」の字は最後の将軍、徳川慶喜公が書かれたものを写し取ったものであるとの事が僅かな救いともいえます。

さて、この日本橋は江戸の頃も、五街道(東海道、中山道、甲州道中、日光道中、奥州道中)全ての起点でしたが、現在も国道1号はここから出発しており、橋の真ん中の地面には「日本国道路元標」が埋め込んであります。車通りで危ないので、皆がよく見える様に、橋の北詰の西側にそのレプリカが設置されています。
02道路原票レプリカ

 

レプリカさんの左には里程標が、各地への距離を示しています。

03里程表
甲府までは131kmですか、そうですか。ちょうどここから日光までと同じ位かな。

日本橋を渡っていると、赤信号で車が途切れた瞬間があったのでダッシュしてホンモノの道路元標を激写!
01道路元標

日本橋を渡ると左手には「コレド日本橋」があります。江戸のことを学んだ方には広く知られていますが、江戸時代ここには、呉服の大店、白木屋があったところで、その後白木屋デパート⇒東急百貨店⇒コレド日本橋と変遷してきたものです。
05コレド
タモリさん風に言えば「きれいっちゃぁきれい」ってところですか。

さて、ここを真直ぐ南下すれば東海道に入りますが、甲州(青梅)街道はここで右折して西に進み、呉服橋で再び左折します。全く昔の甲州街道の通り、という訳ではないでしょうが、手持ちの甲州街道のガイドブックでは八重洲北口から東京駅に入り、丸の内側に抜ける通路を通ること、と
書いてあるのでそれに従うことにします。

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06八重洲北口
 

完全に外歩きをする格好(Tシャツ、短パン、冷却タオル首巻き、カメラ首から提げている、の状態)なので少々自分の服装と周りのマッチングが気になりますが、気にせず通り、丸の内北口に出ます。

07丸の内北口
 

ここから更にまっすぐ西にある、江戸城の和田倉門を目指しますが途中で交差する、丸ビルや新丸ビルの前の道が大名小路です。

08大名小路
毛利家などの屋敷もあった通りですがまっすぐで広い道である事を除けば、面影はカケラもありません。

更に西に進むとようやく和田倉橋に到着。和田倉門のあったところです。09和田倉門
つくづく皇居の周りの景色は美しいポイントが多いです。私がこの写真を撮る間にも、写真愛好家とおぼしきオッサンが一名、それから恐らく女性のプロのカメラマンと思しき方も和田倉門付近でデジイチ
使って撮影していました。

さて この後甲州(青梅)街道は、内濠沿いにぐるっと半蔵門まで進み、そこから西に進み始めるルートです。

まずは内濠に沿って1km弱ほど南下します。石垣が本当にきれいです。11内濠石垣
内濠はこのすぐ南で90度曲がり北上を開始します。


このまま内濠に沿って歩く方が距離は短いですが、ちょっとだけ日比谷公園の中に入り、江戸城の痕跡を見ることにします。

12日比谷見附跡
これが日比谷見附跡。今は日比谷公園になっていますがかつてここには江戸城の見張り場所がありました。
 

内濠も本当は日比谷公園の前で90度曲がるだけではなく、そのまま南に直進する堀もこちらに伸びていたのです。

12心字池
その痕跡がこの心字池です。左の石垣と、この幅や伸び方を見るとこの池の正体がお堀であることが何となくわかりますね。

日比谷公園を出ると再び内濠沿いの歩道に戻り、桜田門に向かいます。桜田門はもちろん江戸城の門ですが、現代では「桜田門」と言えばこれ。

13警視庁
警視庁の別名にもなりますね。桜田門のすぐ横っちょにあるからですが、江戸時代の「八丁堀」という言い方がが現代の「桜田門」に相当しますか。(個人的には必殺仕事人で、鮎川いずみさん演じるお加世が、藤田まことさん演じる中村主水に『八丁堀!』と呼び掛けていたのを思い出します。。)

一方、本来の江戸城の門であるところの桜田門はこちらです。

14桜田門
左側が工事中で少々みづらい状態だったのでこういうアングルになりますが、昔の枡形の城門形式がそのまま残っており、美しいですね。

ここを少し過ぎたあたりから江戸城内濠沿いの道は登り坂になり、半蔵門のあたりまでどんどん高度を上げていきます。半蔵門の少し手前から振り返ってみた写真がこちらです。結構な坂道!
16坂の上

半蔵門は、大手門の丁度反対側に位置する門ですが、皇族の方々が出入りに使われる門なので、厳重に警備されており、近付けないので、遠くから控えめに撮影してみます。

17半蔵門

半蔵門で甲州(青梅)街道は、国道20号と共に内濠から離れて西に進み始めます。はじめて甲州街道らしい、国道距離表示を発見!

18甲府131km
うーん、甲府まで131kmか。確か日本橋の里程標にも131kmって書いてあったけどまだ1kmも減っていないのはどうした訳でしょう?

19はじめの5km
しかも日本橋から5kmって書いてあるし、、、ミステリーですね。

半蔵門あたりまでは雲は多くとも概ね晴れていたのですが麹町から四谷に入るあたりで少しポツリと来たなと思っていたらみるみる大雨に。急いで愛機1号PEN PM-1をカバンにしまい、かわりに折り畳み傘と愛機2号SZ-10(片手撮り可能)を出します。

歩きながらふと左を見れば、懐かしい上智大学が見えます。

20上智大学
私は、愛知県にあるカトリック系の大学を出たのですが、キリスト教の大学は多かれど、カトリックのそれはとても少なく(大かたはプロテスタント)、私の大学とこの上智大学は(学力のレベル差はありますが)姉妹提携をしていましたので、その縁で何度かお邪魔したことがあったのです。

上智大学を過ぎるとJR四谷駅です。この四谷駅のすぐ北に四谷見附跡があります。江戸のころはやはり枡形の城門に沿って歩いたと思われますので、こちらの見附側でJR線路を
渡ります。ちなみにJR線路の横は外堀があったところです。

22昔の四谷見附跡
写真の列車は、JR中央線の前身である甲武鉄道で、その隣には確かに外堀が見えますね。なお、甲武鉄道は、以前、神田川歩きの第一回後編でご紹介した「万世橋駅」から出発していました。

 

外堀跡を越えたら、再び南に戻って西に向かって歩き続けますが、折り畳み傘では意味が無いほどの大雨になり、しばらくマンションビルの入口で雨宿りさせて頂き、小降りになるのを待って再出発。
なんだかんだで30分近くは雨宿りで足止めされちゃいました。

四谷三丁目の交差点で街道を離れ南下し、住宅地の奥に入っていくと、そこにはお岩さんを祀ったお岩稲荷があります。しかも2件。
23お岩神社1
24お岩神社2
どちらにも丁重にお参りします。

ちなみにお岩さんと言えば、四代鶴屋南北の「東海道四谷怪談」が余りにも有名ですが、実際のお岩さんはダンナに殺されたりはしておらず、武家の妻女ながら奉公をしてまで家計を支えた超立派な奥さんであったので、本当は怪談要素は皆無です。
 
鶴屋南北センセー、「それじゃぁ面白くねぇやな」てんで、本来とは似ても似つかぬ怪談噺にしちゃったんですね。頑張って働いたのにそんな話が広まってしまって、大変お気の毒です。

ほどなく四谷から新宿のエリアに入ってゆき御苑の森が見えてきます。25御苑手前
国道20号はトンネルみたいな道に入っていきますが、甲州(青梅)街道は写真右手の細くて白いビルの右側を進んでいくルートです。

トンネルの手前でまた国道の距離ポストが現れました。
26とりあえず7kmポスト
手前が車道専門の国道20号、後方に見えているのが甲州(青梅)街道です。

交差点を渡ると、さきほど見えていた細くて白いビルの下に着きますがここには元々四谷の大木戸がと玉川上水の水番所があったとの事で、大木戸の石碑があります。
27大木戸跡碑

ここから少し進むと、左に少し入ったところに新宿御苑の入口があります。28新宿御苑
NHKの「ブラタモリ」では、この中に入り、実際にこの一帯を治めていた内藤家の現当主の方も登場されていましたね。

このすぐ横には無料で歩ける公園スペースもあるのですが、ここには(やはりブラタモリでやっていましたが)かつての玉川上水を忍ぶ様に、親水公園になっています。
29玉川上水跡
写真右手の水路がそれですね。

街道に戻り歩き始めると、大体このあたりからが最初の宿場、内藤新宿が始まっていた様です。内藤新宿は本陣1軒、旅籠24軒、問屋場1軒の宿場だったそうです。元々最初の宿場は高井戸だったのですが、それじゃ日本橋から遠すぎるという事で新たに設置されたものなのですね(それも個人の投資で)。
30内藤新宿入口
これが内藤新宿宿かぁ、と思ってはみてもピンとは来ません。
 
かつての新宿の中心ですが、JRその他鉄道の新宿駅の設置により新宿の中心は、現在の新宿の方に動いていってしまったのですね。

本日のゴール新宿三丁目あたりが視認できるところになってくると少しずつ街も賑やかになってきます。
31内藤新宿
右奥に赤丸に「伊」の字のあるビルが見えていますがあれが甲州街道と青梅街道の追分地点にある新宿伊勢丹です。

ラストスパートをかけて追分に近づきますが、追分の交差点の数メートル手前に、名物「追分だんご」があります。

せっかくなので、「抹茶だんご」を一本購入し、その場で頂きます。33抹茶だんご
あんこの味も、もちもちの団子もサイコーでした!

さて、団子も食べていよいよゴールの追分です。交差点の東南側の角の地面にはかつての地形と現代の地形を対比した追分の説明が書いてあり、かなり気が利いています。
34追分説明図
 
またちゃんと「ここが追分」という標柱も立っています。
35追分標柱

ここで左折をして南西方向に進むのが甲州街道。
36甲州街道へ

直進して西北西に進んでいくのが、これから暫く歩く予定の青梅街道。37青梅街道へ
ここまで9kmほど一緒に歩んできた両街道は、甲府で再び合流です。「またね!」ってところですね。

本日の「甲州街道/青梅街道第1回」はこれでゴールインとし、新宿三丁目から都営新宿線⇒千代田線と乗り換えて帰宅しました。
38ゴール四谷三丁目駅
とりあえず青梅街道の続きを早く歩いてみたいものです。

2012年9月1日(土)アップ