■月に2回ほど歯医者に通っている。
待合室で名前を呼ばれると、うすいピンクのナース服を着た助手の女性が椅子に座ることを促したあとにこう言う。
「イソジンが入っていますのでうがいしてください。」
毎回毎回同じトーンで同じ温度で、平板に無機質に。
彼女は一体、一日のうちに何度この言葉を発するのだろう。一生の内に何回この言葉を繰り返すのだろう。
■近所に、毎朝スズメたちにパンを投げている年配の女性がいる。
彼女はゴミ出しのついでにパンを投げたあと出勤するらしい。
彼女がパンを投げた10秒後には、いつもカラスがやってきてパンをくわえて飛んでいくことを、きっと彼女は知らない。
■朝早くに出勤すると、清掃を委託されている会社の人たちがいてお掃除をしてくださっている。毎朝通りかかると「おはようございます」と挨拶される。どの人も同じ対応をするので、会社で徹底されているのだろう。その会社の人が通りかかったら挨拶をしなさい、と。
そのこと自体は悪いことじゃない。
とても善いことだ。
けれど、彼女たちの「おはようございます」はとても無機質なのだ。顔を見て挨拶をするわけじゃない。同じ朝に二度通りかかれば二度挨拶される。相手に興味などない、センサーが反応しているだけ。
そんな挨拶に意味があるのだろうか。無機質な言葉を聞かされるのは苦痛だ。そう思う自分は冷たいなと思いつつ、苦痛なものは苦痛だ。
もちろん返事は返すのですよ。でも機械的な挨拶に対して生ぬるい、まるで誰もが無駄だと思いながら締めているネクタイみたいな挨拶をする自分に気が滅入る。
僕がイマドキの若者なら挨拶を強要されることを“挨拶ハラスメント”=“アイハラ”とわめいているかもしれない。
たまに電車が混んでいるときなんかに「先の方から順に通路奥へお進みください!」なんて、車掌が少し荒っぽくイラついた声でアナウンスしているけど、僕はああいうふうに感情が聞こえるものほうが好感を持ってしまう。
■コロナ禍5類移行から一年と少し。