golden(以下g):「80年代半ばにブレイクした白人のベテラン・アーティストたちって、ソウルからの影響が強かったようだね。」
blue(以下b):「ロバート・パーマーやスティーヴ・ウィンウッドはもちろん、デヴィッド・ボウイやブライアン・フェリーもソウルからの影響を公言してたな。」
g:「クラプトンやフィル・コリンズ、ロッド・スチュワート、みんなアルバムに一曲はソウルのカヴァー曲を録音してたよね。」
b:「カルチャークラブのソウルっぽさだったり、デュランデュランやマドンナのプロデューサーがシックのナイル・ロジャースだったり。」
g:「一方でティナ・ターナーとか黒人アーティストはめっちゃロックっぽい音をレコーディングしてた。」
b:「アンダーグラウンドではヒップホップのアフリカ・バンバータがクラフトワークをコピーしてたりもしてた。」
g:「そういう白人と黒人のコラボレーションが進んだのも80年代ロックの大きな特徴だよね。」
b:「そういう流れなんやろうな、例えば大御所アレサ・フランクリンのアルバムにロック勢がいっぱい参加したりもしてた。」
Aretha Franklin / Who's Zooming Who(1985)
g:「軽自動車とダンプカー、みたいな(笑)」
b:「ホイットニーでは“ソウル、スゲェ”とはならんかったからな。」
g:「アレサは敢えてロックのマーケットを意識した音作りをしてたんだろうね。」
b:「ライオネル・リッチーなんかも積極的に白人層のマーケットを意識していた一人やな。」
b:「“Tonight Will Be Allright”にはエリック・クラプトンが参加して渋いギター・ソロを弾いてる。」
g:「正直ちょっとあざといくらいだけど。」
b:「広いマーケットを狙って作った作品やったってことやろな。」
g:「ヒットしてた当時に、実はそんなに熱心に聴いたわけじゃない。」
b:「けっ、ライオネル・リッチーかよ、って空気はすでにあったからな。」
g:「でも、今聴くとけっこう素晴らしい作品だったんだな、って思うんだよ。ロックもソウルもしっかりと咀嚼したワールドワイドなポップスっていうか。」
b:「ソウル/ファンクというよりは、そういう音楽を目指してるよな、ソウルに影響を受けたロックを逆輸入したっていうか。」
g:「元々はコモドアーズでぶりぶりのファンクを演ってた人だけど。」
b:「ファンク、ソウルフルなバラード、レゲエからカントリーっぽいのまで、幅広くいろんな音楽を取り込んでた。」
g:「タイトル曲の“Dancing On The Ceiling”なんて確かに、当時、ピーター・ウルフのソロなんかにも近い感じだとは思ったけど。」
b:「ライオネル・リッチーくらいになると、もはやワールドワイドのポップシンガーっていうか、人種も国籍も超えた世界中に響くものを目指していたんやろうな。」
g:「白人ロックと黒人ソウルの融合という点では80年代は大きな進化があった時代だったんじゃないかな。」
b:「ワールドワイドのトップシーンでこうやって融合がすすんでいってた。」
g:「ライオネル・リッチーの場合、その手法がベタすぎて、結果的にはソウルファンからもロックファンからもソッポ向かれて、大ヒットのあとに失速してしまった印象もあるけど。」
b:「1986年っていうのは、躁状態の80年代的サウンドに陰りが見えだした時期でもあったからな。」
g:「ヤッピーたちが牽引した80年代のアメリカン・ドリームは実はハリボテで、金持ちはより金持ちになったけど、中間層が没落し、富裕層と貧困層の格差が広がっていった。そういうことが表面化してきたのが80年代後半の時代だった。」
b:「同じ年にブレイクしたRun-D.M.Cとか、若い黒人たちは既存のエンターテイメントには懐疑的で、ああいう新しいサウンドへ流れて行ったんやな。」
g:「ヒップホップは70年代ロックで起きたパンクみたいなもんだったんだろうね、厚化粧の音楽が一気にロートル扱いされてしまった。」
b:「でもやっぱり、エンターテインメントとしての質は高いわな。ライオネル・リッチー。」
g:「けっ、ライオネル・リッチーかよ、と思いつつ引き込まれてしまう(笑)」