パレスチナとイスラエルの一時休戦は7日目に破られた。
昨日のイスラエル軍による空爆ではパレスチナで178人が死亡したという。
衝突が始まって以来、双方の死者はパレスチナ側が約1万5000人、イスラエル側が約1200人にのぼるのだそうだ。
パレスチナ側にもイスラエル側にもそれぞれの歴史的背景があり、それぞれの主張があるわけで、宗教間の争いや国境の紛争に切迫した意識が薄い日本人が何を言っても当事者の意識とはかけ離れてしまうのかもしれないけれど、この10倍近い死者数の差にとても不条理を感じてしまう。
どちらも正義を主張しているけれど、1万5000人殺した奴と1200人殺した奴のどちらが非道であるかは明らかだろう。それとも人間の命にもレートがあってこれくらいでちょうどバランスが取れているとでもいうのだろうか。


80年代はアメリカの中で人種間の融合が大きく進んだ時代だった。
黒人の映画スターやテレビスターも多く誕生し、白人黒人の垣根を感じずに育った子供たちが文化的な融合を成し遂げようとしていた。白人黒人の問題よりもヒスパニックという第三の被差別者の問題がクローズアップされてもいた時代だった。
ところが、このまま進んでいくかに見えた人種融合は、別の場所から破綻する。
機会均等のためのアファマーティヴ・アクションなどが黒人層を優遇して白人が不当に不利益を被っていると、保守的な白人層の間で不満が鬱積し、十分に差別が解消されたわけではないと感じる黒人たちとの水面下での対立はより深まっていった。背景にはアメリカの経済的停滞もあっただろう。均等にシェアできていたパイが小さくなって取り分の奪い合いが起きたのだ。
そんな中で起きた象徴的な事件が1992年のロス暴動。
ロドニー・キングという青年が軽微な犯罪で不当な暴行を受けたにも関わらず、警察官たちが無罪になったという事件に端を発した暴動の根本は現代のBlack Lives Matterの運動と同じだ。

黒人たちの怒りもパレスチナで起きていることと根本は同じだと思う。一人の命のかけがえのなさは同じだと口では言いながら、実際のところ命の重みに支配層と被支配層で差があるという現実。
その不条理の是正を願うのは当たり前のこと。

60年代は届かない夢だった人種融和が70年代〜80年代を通じて現実になりかけていた。
けれど、かつての栄光からの転落を受け入れられない保守派白人層は、自分たちの不幸を黒人の台頭によるものと不満を募らせて先鋭化しはじめ、黒人たちは黒人たちで白人が不利にならない程度の自由の権利であることに失望し、融和ムードは一転して対立構造へと変わっていった。


黒人音楽の歴史はシンプルに言えば、虐げられた苦しみからの解放を求める歴史だ。
解放の手法の一つとして「癒やしを求めるもの」と「現状を変えるための主張」があり、ゴスペルもブルースもエンターテイメント路線も前者、ニューソウル的動きやファンク、レゲエは後者。
そしてヒップホップにも、現状を変えるための主張が溢れている。



ラップやヒップホップはほとんど聴き込んではいないのだけれど、レべル・ミュージックとしての黒人音楽の系譜を俯瞰してみたとき、パブリック・エナミーの存在は外せない。


パブリック・エナミーの音楽を知ったのはスパイク・リー監督の『Do The Right Thing』だった。
いかにもヒップホップなでっかいラジカセから大音量で流れてくる“Fight The Power”。
おっ、かっこええやんと思って、試しにレンタルでアルバムを借りてみたのだけれど、がちゃがちゃとやかましいばっかりで、当時の僕は「あー、やっぱりヒップホップはよーわからん」と思ってしまったのだけど、今聴くと、実はかなり黒いフィーリングを持っていたんだな、と思う。
JBを中心にファンクからのサンプリングがたっぷりで、かつ勢いがあって尖っている。


正直なところ歌詞はよくわからないし、どんな主張をしているのかもよくはわからないけど、「こいつら怒りまくってるな」っていうことはよくわかる。音と、歌に込められた感情がダイレクトにビシビシ伝わってくるのだ。

歌詞ではなく音から感情が伝わってくること。これはフォークソングにはない、ブラック・ミュージックの伝統のひとつだし、怒りを込めた政治的主張というのも、ジェームス・ブラウンやカーティス・メイフィールド、ボブ・マーリーらが表現してきたことの延長にあるもので、そういう意味でも正統派の黒人音楽の継承者と言えるのだろう。