そんなわけで、このアルバムをちゃんと聴いたのは、それから20年以上が経ってからのことでした。
いやぁ、こんなに素晴らしい音楽を味わえる耳を持っていなかったとは、と高校生の頃の自分をお説教してやりたい気持ちになった。
もっとも「この音楽の良さがわからないとは子供やな。」とか「お前も大人になればわかるようになる。」なんて言ったところで、当時の自分なら余計に反発するだけなのは目に見えているし、そもそもわかるだけの下地もなかったのだからどうしようもないのだが。
全体のつくりとしてはあざといのです。
明らかにロマンチックでムーディーな雰囲気を作りにかかっている。
ブラック・コンテンポラリーという音楽そのものが、そういう風にある程度マーケットのニーズをリサーチした上でコンセプトに基づいて作られたウェルメイド商品である、という側面があることは否定できないと思う。
でも、エンドユーザーを狙いどおりの気分にさせてしまうというのはやはりプロフェッショナルの仕事だと思うのです。
コンセプトやマーケティングだけで、本当に心を揺さぶる商品を作ることはできない。
そこにはやはり制作者や演者の本気があるからこそなのだと思う。
ロバータ・フラックはすでに10数年のキャリアを持った大御所で、ダニー・ハサウェイというデュエット・パートナーを失って悲嘆に暮れていた。そこへ現れたピーボ・ブライソンという才能は、ロバータの心をずいぶん癒やしたのではないかと思う。デュエット・パートナーであると同時に自らの未来を託すべき存在。
このデュエット・アルバムは一聴すると水分量多めのヌメヌメ感があるように感じて、若い頃の僕はそこが少し苦手だったのだけど、今になって聴いてみれば、むしろすごくこざっぱりとして、奥底に爽やかな清流が流れているような感じさえする。
ベタベタしない愛情というか、お互いがお互いを認めあいながら信頼関係を元にして共に立っているような気がする。