80年代、本物のディープなソウル・ミュージックは瀕死の状態だった。

ファンキーなリズムがいつの間にか骨抜きにされ、単純に機械的なビートを繰り返すだけのディスコ・ミュージックに食われてしまったのだ。

官能もなくただただ機械的に快楽だけを提供するディスコにはスピリットがない。

またA.O.Rとフュージョンが大流行した時代でみあり、軽薄短小というものがもてはやされつつあった時代でもあった。爽やかさこそが一番とされた時代の中で、重くて塩っ辛いソウル・ミュージックが敬遠されていったのは当然のことだったのかも知れない。

そんな時代にあって、ソウル・スピリットを全開にして、おかわり何杯でもいけるご飯がすすむ塩っ辛さ満点のソウルをキープし続けたのが「ソウル・サヴァイヴァー」「ラスト・ソウル・マン」の異名を持つボビー・ウーマックだ。

キラキラしていながらあざとさには堕ちていない。ソフィスティケイトを目指しつつもお里が知れるどす黒さが光る。

少し時代を下ればもう、更に打ち込みリズムでのっぺりした肌触りのブラコンが台頭してくるだけに、このダサさ寸前のシンセやぼってり分厚い人力リズム隊でのキラキラソウルっていうのはけっこう貴重なのです。



ソウル・ミュージックをグツグツ煮込んでそのおいしいところをギュゥッと凝縮したという感じのボビー・ウーマック。
ディスコ寄りのファンクもあるけれど、ファンク、ミディアム、スロウまでたった8曲ながら実にバランスのよい配分、暑苦しい部分はとことん暑く、クールなところは実にクールだ。
とっつきやすくかつ聴き減りしない程度のまろやかさをベースにしつつも、この人だからこそのアクともコクとも言えるパンチのある濃さや、この瞬間ならではスパーク感もしっかり残されていてゾクゾクするスリリングさもあり。
さすが長年に渡って前線を張り続けた男はモノが違うとうならされます。


サム・クックに師事して基本を学び、マッスル・ショールズではアレサ・フランクリンやウィルソン・ピケットのバックでギターを弾き、スライ&ファミリーストーンやジャニス・ジョプリンのレコーディングにも参加、ロン・ウッドともタッグを組んだアルバムを作るなどロックとも関わりの深いラスト・ソウル・マン。
こういう人がずっとソウルの屋台骨を支えてきたんだな、と改めて思うわけです。