『限りなく透明に近いブルー』という小説がある。1976年に芥川賞を受賞した村上龍のデビュー作品で、高校生の頃に読んで衝撃を受けた一作だ。

小説の舞台は1971〜72年頃の東京・福生。

ほぼ治外法権的にアメリカ文化に色濃く染まったハウスと呼ばれる米軍住宅で、主人公リュウは恋人リリーや仲間たちとともに麻薬や暴行、乱交パーティーなどに明け暮れる荒れきった生活を送っている。大きなあらすじはなく、そういう若者たちのくらしを描写した小説。

この小説には当時の音楽がたくさん出てくる。それも小道具としてではなく、物語全体を貫く精神的な背景として出現するのだ。

主人公のリュウや仲間たちが深く共感するのはローリングストーンズとドアーズ。一方でレッド・ツェッペリンは体制側の警察官が好きな音楽として登場するほか、バーケイズのライヴを観に行く一場面があったり、オシビサの音楽について肯定的な女と否定的な男のやりとりがあるし、マル・ウォルドロンのジャズについてもニグロの演歌だと蔑む女とこういうものが泣けてくるという男の言葉があったりする。

70年代前半、ベトナム戦争が泥沼化していく時代。多くの黒人兵がいた福生の街を描くとき、黒人兵たちが愛したであろうブラック・ミュージックはその物語の背景として重要なものだったのだろう。



スライ&ファミリーストーンの『There's Riot Goin' On』を聴いたとき、この『限りなく透明に近いブルー』のサントラみたいな音楽だな、と思った。

この物語を覆う爛れた道徳観、退廃感、ぼんやりとした絶望感と焦燥感は、スライの音楽の中でも一際違和感を放っているこのアルバムの印象にとても近い気がするのだ。

極彩色で派手なのに奇妙に静かな印象も共通している。



ヒッピーの夢と世界革命の理想が幻想となり、結局変わらない社会への苛立ちや終わらないベトナム戦争への疲弊感の中で蠢くモヤモヤ感をモヤモヤのまま音にしたような音楽。

重くうねるドラムス、跳ねないベース、モコモコとした音像、混沌としたリズムの交錯。

60年代の溌剌としてファンキーで、白人黒人のカルチャーをナチュラルにミックスさせたような陽気さはここにはまるでない。

でも、だからといって攻撃的で陰鬱なだけの音楽ではない。

ジャンプする前にぐっと屈み込むような、矢を放つギリギリまで弓を引っ張るような、負のパワーをとことん溜めこんだ上で、破壊力を高めようとするようなねじれたエネルギッシュさがある。