コーヒーには、コーヒーフレッシュではなく牛乳を入れる。

カフェオレほどたっぷりではなく、フレッシュよりは多いくらいの量。

もう40年以上もの朝の習慣になる。

休日にはたまにドリップコーヒーを淹れることもあるけど、平日の朝は基本ネスカフェ。

スプーンを使わずに紙の封のところを少しだけ破って、トントンとカップに落とす。

この我が家流の入れ方の出所は、母だ。



母はもう80才をとうに過ぎた。

震災の翌年に夫を亡くしてからもしばらくは元気に一人暮らしをしていたようだが、この数年でずいぶん弱々しくなった。

元々体は強くない上に足腰も弱くなり、その上記憶が怪しくなってきているようで、「明日実家へ帰るから」と前日に電話で伝えても、次の日には「なんや、帰ってきたんか。」とかはこちらも驚かないくらいの日常茶飯事。

「財布がなくなった。」と騒いであちこち探し「ここにあるやろ。」ってかばんから財布を見せると「なくなったっなんてゆてへんよ。」とケロッとしていたり、転んで頭を打って検査のため入院したときも「転んだりしてへん。何で入院せなあかんの。」ってぼやいたり。


母は長年食材を生協で注文してきたのだけど、兄弟が食べ盛りだったときの記憶が紛れこむのか、時々、とても一人暮らしとは思えない量の注文をしてしまうのにも手を焼いていた。

食事を作る手つきもさすがに怪しく、兄弟で協議した末に、とうとうこの春からは近所の福祉施設に昼食と夕食をお任せすることになった。

僕も兄も自分の生活がある。

母を大事に思うことと、自分の生活を大切にすることは、そもそも天秤にかけるべき事柄ではない。

そうせざるを得ないことを苦々しく思いながらも、受け入れるしかないのだ。


「もう買うても家でご飯作らへんねんから、生協も注文せんでええやろ。」と家族会議で切り出した兄。


「朝ごはんはないから、食パンと牛乳だけは注文しときたいねん。コーヒーも飲むし、牛乳はいるわ。」


母はまだ、数十年来続けてきた習慣を失おうとしていることに気づかないのがあっけらかんとしてそう言う。


「近所にコンビニもないししゃーないけど、ほかのもんは頼まんといてや。」


手作業をやめたら益々ボケが早まるんじゃないのだろうか。

そういう心配を僕は最後まで切り出せなかった。


打ち合わせが一区切りして、兄がコーヒーを入れる。

広口のネスカフェの瓶をトントンと叩いてインスタントコーヒーをカップに落とし、仕上げに牛乳を注ぐ。

いつだったか妻が、僕たち兄弟のコーヒーの入れ方がそっくりだと言って笑っていたことがあったけれど、なるほど確かに、その手つきは、タイミングや量まで含めて、僕とそっくり同じだった。


やがて、そんなに遠くない未来に、母の命は潰える。

母が生きていた痕跡も消えていったあと、兄の家族や僕の娘にインスタントコーヒーの淹れ方だけが母の痕跡として残るとしたら、それは少し面白いことのような気がする。


「私にもコーヒー淹れて。」


「はいはい。」


自分に何が起きているのか理解する糸口を持たないということは、ある意味幸せなことなのかもしれない。

ならば、それでいいのだろう。


コーヒーには、コーヒーフレッシュではなく牛乳を入れる。

カフェオレほどたっぷりではなく、フレッシュよりは多いくらいの量。


コーヒーを淹れる度に母のことを思いだしたりはしないだろうけれど、それでも年に数回は、ふと悲しみに襲われることになるのかもしれない。

今朝のコーヒーを入れながら、そんな予感に胸がざわついた。






#愛されフード

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