屋根裏部屋でねずみの死骸を見つけたのは、少し暑くなりはじめた春の終わりの頃のことだった。

「あんた、ゴールデンウィークは休めるんか。」
「わからん。」
「そろそろ毛布片付けて、扇風機を下ろしてほしいんやけどな。」
「あぁ、うーん、わかった。せやけど今週は出勤せなあかんし、行けても来週やわ。また連絡するわ。」
そう言って電話を切った。
母はこのところずいぶん弱々しくなった。
五年前に父親を亡くし、今は一人で暮らしている。
元々体は強いほうではなかったが、三年前に腰の手術をしてからは特に弱くなってきているようだ。
母の住む家(それはつまり僕が育った家だ)には、屋根裏部屋があり、そこを収納部屋として使っていた。

屋根裏部屋に上がるには梯子を昇らなければ行けないが、腰を壊してから以降、この階段を使って荷物の出し入れをすることは医者から禁じられていた。
「一人で大きい家に住んでんねんしスペースなんかなんぼでもあんねんから、わざわざ屋根裏に毛布直したり扇風機直したりせんでも、その辺に置いといたらええやん。」
「そうはゆうてもなぁ。・・・リビングにはお客様も来るし、居間には仏壇もあるし、置ける場所ありそうでないねんよ。」
そもそも年老いた者は、昔からの習慣を変えることを良しとはしない。
なんだかんだと理由をつけても、最初からそうする気なんてないのだ。

「そういうことでも頼まんな、あんたら様子見にもけぇへんやろ。」
あぁ、また泣き落としだ。
自分を保護されるべき弱いものだと思っている者ほど強いものはない。
「はいはい、わかってますー。ほんで、これ直して扇風機下ろしたらええねんな。」
「あと、扇風機の奥に簾もあるはずやねん。それも下ろして。」

屋根裏部屋の電球はとうに切れていて、僕は懐中電灯を持って屋根裏部屋へ上がった。
収納ケースがいくつかあり、その向こうには雑然と段ボールがいくつも積まれている。
「そもそもほかしもせんと後生大事にしまっとかなあかんもんがなんでこんなにあんねやろ。」
そうぼやきながら、埃を被った箱のひとつを開いてみると、母が若い頃にせっせと作っていたアートフラワーの花びらのようなものが箱いっぱいに詰め込まれていた。
その隣の箱は、婦人雑誌とお料理の本。
いくつかの衣類とお茶碗やお皿がいくつか。父親が自治会でやりとりしていたときの手帳やメモ。
小さい頃に兄弟が熱中して作っていたプラモデル。
その隣の箱には、子供たちのテストの答案用紙の束があった。2年6組やまぐちひろき、72点。
こんなもん、おいといてどうしようっていうんだろう。

ねずみの死骸は、その積み上げられた段ボールと段ボールのすき間にあった。
カピカピに干からびて肉の部分は朽ち果て、骨の周りに皮だけがこびりついている。
短い両手が前へだらりと垂れ、ひょろりと伸びたしっぽだけが不思議にアンバランスで、歯だけが奇妙に浮き上がっていた。

いつ頃からここにあるのだろう。
どうしてこんなところで野垂れ死んだのだろう。
普通、生き物の死骸というものは、水と光にさらされ土壌の細菌たちによって分解され、土に還されていくもので、それが自然の摂理というものだ。
水も光もなく風通しがよく夏にはかなりの高温になるであろう屋根裏は、死骸がミイラになるにはちょうど適していたのだろう。

母がとりあえず段ボールに詰めこんでとりあえず屋根裏に上げた諸々のモノたちも、一種のミイラみたいなものだ。
本人がこの箱を開くことはこの先もおそらくないだろう。
二度と開かれることがないまま、やがてこの家が解体されるときに処分される。
そうなることがわかっていて、どうしてそんなものを残そうとするんだろう。
いや、残そうとしたのではない。
捨てられなかったんだ。
干からびたミイラみたいなものでも、それを処分してしまうことは、自分の人生の一部をむしりとられるよう気がするものなのかもしれない。

「扇風機、置いとくで。あと簾は勝手口の裏側に立てとくから。」
「助かるわ。」
「なんか、屋根裏にな、、、」
「ん、なんやの。」
「いや、別にええわ。」

・・・死んだときに棺桶に入れてほしいもんあるか。
そう聞こうとして、やめておいた。

干からびたねずみの死骸もそのままにしておいた。
なんだか、母がしまいこんだミイラたちを守っているような気がしたからだ。
屋根裏にねずみの死骸があったことも、母には内緒にしておいた。