直なところ、どっちでも良いのだけれど。。。
私は白黒はっきりさせようなんて気は、特にないので。

十人十色とは、よく言ったもので、白でも黒でも灰色でもどんな色でも良いし、
そもそも中身・外見の違う人が集まれば、全く同じなんて奇跡は到底無理なんだと思う。
このような国歌や国旗の話については、大きくわけようと思えば、
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1.信仰
2.どちらでもいい
3.反対
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の3種にしかわけようがないと思われる。
(信仰という言葉が合ってるかわかりませんが。)

1が3を、逆に3が1を非難したり、物事を強制するには少々無理があると思う。

歌斉唱で起立しない人を、どうにかしてやろうと思っている人の多くは、
『国歌や国旗への敬愛ではなく、起立しない人への反応をそれに置き換えてる』ような気もするし、
意地でも起立しないって人は、
ちょいとした知識でやっているだけなら、式の進行、見栄えを優先してほしいような気もする。

どちらにしてもこの話題に、『君が代』への愛を感じるようなイメージはないですね。
でも双方とも、国歌や国旗に対し、真剣に考えているということには違わないですよね。
特になにってわけでもない私は、その方々には頭が上がりませんね。

強制ではなく、共生の世界。
私の永遠のテーマでございます。

これらの記憶と出会えたことに心より感謝する。
日、復活したディズニーランドの『キャプテンEO』を見た。
そこにいたマイケルは、誰もが羨望のまなざしで見ていた頃の彼だった。

いつのころからか、日本ではマイケルは『異質』なものとして、扱われるようになった。
しかし、そのようになってからのマイケルの作品は、今までのそれをはるかに凌ぐ世界観を見せ始めた。
(残念ながら、それを知る機会はこの日本にはなくなっていたに等しいのだが。)

が送り出す作品には、多くの愛があった。
ここでいう『愛』は、本当の『愛』だ。

自分から湧き上がる感情を、それこそクリーニングし、
『作品』として完成させ、世界中の人を魅了してきたところに、
マイケルの本当の凄さがあるのだと、個人的には思っている。

彼はよく言っていた。
「Thank you, I love you.」って。

イケルがマイケルとして生まれてきたとき、彼が遠い昔から背負ってきたものは、
多くの人間のそれよりも遥かに大きかったはずだが、本質はきっと何も変わらないのだと思う。

彼から学ぶことは多い。
いや、正確には『彼の存在を通して自分から学ぶこと』は多いと言った方が良いかもしれない。

いやぁ、マイケルの活躍を生で見れなかったことは、非常に悔しい。


彼に出会えたこと、そしてそこから湧いてきた記憶と出会えたことに心より感謝する。
月下旬から、菜食に徐々にシフトしている。(つもり)

しかし、外食となると私の住む横浜近辺では、ほぼベジのお店はないに等しい感じ。
だから、できるだけ自分で作って食べるのが好ましいのですが、なかなかそういうわけにもいかず。
非常に難しいところです。

そして、「菜食」や「ベジタリアン」という言葉は、宗教的なもの等のように思われ、
なかなかの怪しさを醸し出すらしく、私は基本的に“こっそり”菜食生活をしています。
完全に肉、魚、卵等をとらなくなったわけではありませんが、最終的にはそこに持っていきたいですね。

巷では、生肉の食中毒の話や病気による大量殺処分、未曾有の大災害などが起き、
食を考えなくてはいけない時代、考えざるをえない時代にまで来ていて
もうギリギリのところなんじゃないかという感覚が、私の心の中でグルグルグルグルしている。

は、生の基本。
だからこそ、もっともっともっっっっと真剣に考えなくてはいけませんね。


この想いとの出会いに、心より感謝します。
島県から千葉県船橋市に非難した子どもが「放射線がうつる」といった言葉をあびせられ、
いじめられたり、あからさまに避けられる事態が起きていると、市教委に電話があった。

そこで、市教委は次のように保護者と連携した対応が重要である事を指摘している。
「気持ちを考えて行動するよう」
「思いやりをもって、温かく迎える」
「非難してきた人たちの気持ちを考え、言動に注意するよう」
「放射線への大人の不安が子どもに伝染し、冷静な対応が取れなくなる恐れがある」

ても哀しい出来事である。
そして、記事の中で紹介されている市教委の指摘の「ごく当たり前すぎる」内容に驚き、
このような事態の中で、改めて勉強以外の教育がいかに必要であるかを痛感している。

まずは、事実(ゆらぐことのない)をしっかりと伝えなくてはいけない。

「子どもが、冷静な対応が取れなくなる恐れがある」といった表現も気になるところだ。
子どもたちにとって、今回の未曾有の大災害における情報量は、その許容量をはるかに超えている。
精査されずに流れ込む情報(誤った情報等)は、子どもたちにとってそれは全てとなり得るものだ。

ここは大人たちが毅然とした態度で、事実をもとにした言動をしていれば、
今回のことはまず起きなかったのでは、と思う。

市教委には、表面上の指摘ではなく、何をもとに“そう”いった対応をとるべきかという
根本からのメッセージを送ってほしいと感じている。
今回の大災害が、深刻な被害を受けた被災地だけで起きているものではなく、
今生きる全ての人に関係しているということを、改めて感じている私です。

この出来事が私のもとに届いたこと、あらわれたことに心より感謝する。
島第1原発周辺からの住民避難が続く福島県で、住民が自宅などに放置したペットが問題化している。
飼い主が避難所に連れて行けず、放して野良犬化したケースも多い。
避難区域の住民からの問い合わせも多く寄せられている。

またツイッターなどで、すぐに殺処分しているというデマも拡散されているとか。
「ペットも個人の所有財産。家の中で放置されているからといって、
行政側がいきなり連れてくるわけにはいかない」というお役所仕事的発言も。

そして既に、放置された飼い犬にかまれたケースが数件発生しているらしく、
問題が長期化した場合、野良犬が増え、感染症や衛生状態の悪化が懸念されている。


好きの私としては、非常に心苦しい状況である。
そして、この状況において重要だと感じているのは、
「人命が最優先」とか「ペットは家族」という状況の捉え方や動物の好き嫌いといった、
分ける必要のない区画整理ではなく、
今、助けられる可能性のある命とどう向き合うか
ということである。
かまれたケースで言えば、被災地に関わらずそのプロセスがわからないため、
記事だけでは判断できず、(一方的に動物に対し身勝手な接し方をすれば、かまれるのは当たり前なので)
このような危機感をあおるような書かれ方は、あまり好きではない。

動物の飼い方が、都心部よりも比較的ルーズな地方で起きた問題から、
今後、都心部で大災害が起きた時のことも視野に入れておかなければならない。
ほとんどの家で飼われている犬をはじめとしたペット。
首都直下型なんて起きたら、避難所は動物愛護センターさながらの状況になることは想像に難くない。


 し て な に よ り 、
このような状況に置かれていなくても、平気でペットショップを眺め、
平気で飼い(買い)、あきたら何かしら理由をつけて捨てるといった現状、
ここにもぜひ注目していただきたい。
被災していないのに、元気で無邪気な犬猫が今日も殺処分されています。

福島の動物たち、辛い状況だけれども、私はあなたたちの心身の平和と無事を祈っています。