いつもありがとうございます。

 

鳴り響いた携帯電話。

 

嫌な予感が胸をよぎる。

 

冷静になれよ。

 

ミ・アミーゴ。

 

何の歌詞か分かる方は、きっと、

同年代でしょう。

 

(笑)。

 

午前中はそんな状態でした。

 

訪問介護事業所の管理者さんから

です。

 

休みと知っていて掛けてきているのが

分かるので、嫌な予感しかしません。

 

案の定、良い電話ではありません

でした。

 

ケアマネの電話に良い電話がかかって

来ることの方が珍しいとは

思いますが。

 

昨夜か今朝か転ばれたようで、頭に

傷があるということでした。

 

「どうしましょうか?」と聞かれました

が、私も分かりません。

 

ただ「ただ、私も分かりません」では

困ってしまいます。

 

訪問看護も入っている方なので、

看護師さんの緊急時用の電話に

連絡して、看護師さんに診て

もらうようにお願いしました。

 

血は止まっており、バイタルは正常

ということで、とりあえずは

救急搬送はせず様子を見る

ことになりました。

 

明日、かかりつけの先生が往診して

くださることになりました。

 

訪問介護の管理者さんに連絡し、

事情を伝え、ご家族に連絡を

しているか確認してみると

「していない」ということだったので、

こちらから連絡をして伝えました。

 

緊急時の対応を話し合っておくことは

非常に大切だなということを

改めて感じました。

 

たまたま電話に出れたから良いです

が、電話に出られないことも

あります。

 

45人全ての方に、緊急事態は起こり

得るわけです。

 

全ての人の緊急事態に、毎回対応でき

るわけでもありません。

 

緊急時の対応について、誰がどんな

役割を持っているのかについて、

しっかり話し合っていこうと

思いました。

 

さて、昨日は、利用者さんと一緒に

外出をしました。

 

頼まれたわけでもなく、自らさせて

いただきたいと思って行って

きました。

 

何十年も信仰心篤く生きてこられた方

です。

 

1ヶ月ほど入院され、先月、退院して

来られました。

 

お布施をしないと死んでも死にきれな

いという想いを持っておられました。

 

娘さんに渡して、代わりにお布施を

してもらうという話しもあったの

ですが「自分の手でしたい」と娘さんに

想いを伝えたそうです。

 

娘さんからその話を聞いたため、

それならばケアプランに載せて、

目標達成できるように皆んなで

支援しますと伝えました。

 

当初は年内という話でしたが、

急遽、「今週の土曜日に行きたい」

と決意されたようでした。

 

在宅酸素で片方の肺は、20代の頃に

切除されています。

 

もう片方の肺も2/3ほどしか機能して

いないようです。

 

水も溜まっている状態で、足も浮腫ん

で、水疱ができては破れ、できては

破れとしています。

 

先生からはもう一度入院を勧められて

いましたが、頑なに断れていました。

 

良い状態とは言えない

ということです。

 

色々な人の協力があって、無事に

行ってくることができました。

 

言葉では言い表せないほどの感動が

ありました。

 

純粋な祈りの姿は美しいということを

感じました。

 

自宅に戻ってから、娘さんが携帯用の

酸素がでいなかったことに気がつきま

した。

 

普段であれば、息苦しくなり、

訴えがあるようですが、全く

そのような様子もなく、ご本人も

「全然苦しくなかった」と

おっしゃっていました。

 

自宅に戻るとお疲れのはずなのです

が、むしろ元気になっているようで

「奇跡だね」と話をしていました。

 

様々な死生観があります。

 

色々な死生観があっても良いとは

思うのですが、話し合うことが

暗黙のルールでタブーになって

いるように思うのです。

 

人は必ず死にます。

 

善人も悪人も関係がありません。

 

お金を持っているか、持っていない

かも関係がありません。

 

100%死ぬのです。

 

それなのに、死についての話を

タブーにするのは何かが

おかしいと思うのです。

 

それは、きっと、死への恐怖や死んだ

らどうなるかが分からないという

恐怖から来るのでしょう。

 

現代の日本では「死んだら終わり」と

言う人が大多数を占めています。

 

何十年もかけて、そういう思想になる

ようにされてきた結果に過ぎません

が。

 

そう思っていても恐怖心があるのは、

確信がないからでしょう。

 

心のどこかでは、「本当にそうなのか」

という疑問が残っていると思うの

です。

 

だからこそ恐怖心があり、死について

語ることへの躊躇いがあるの

でしょう。

 

いつか必ず死を迎えるのですから、

死について真剣考え、向き合い、

話し合うことは大切なことです。

 

介護士も看護師もケアマネも、

人の最期に関わる大切な

仕事です。

 

1日でも長く生きることが人生の

最終目標なのか。

 

どう生きて、どう死ぬのか。

 

真剣に向き合ってみることが大切な

ことですね。

 

最後までお付き合いいただき、

ありがとうございました。

 

光の指針

 

~「感謝の朝」を迎える~

 

「一日の出発点は朝起きたときです。

 

朝起きたときに、今日、命があった

ことを感謝する気持ちがある人は、

その一日を無駄にすることは決して

ないでしょう。」