いつもありがとうございます。

 

昨日はオーストラリアの方と食事に

行ってきました。

 

韓国で生まれ、20歳でオーストラリ

アに行き、システムエンジニアとして

働き、2013年にオーストラリアで

回転寿司を始めました。

 

現在では7店舗を経営されています。

 

従業員はアルバイトを含めて200人

いるそうです。

 

ほとんどがアルバイトとおっしゃって

いました。

 

日本には日本語の勉強のために、

3ヶ月ほど前に来られました。

 

7月の上旬くらいにオーストラリアに

帰ってしまいます。

 

来年もまた来るそうですが、まだ、

場所は決めておらず、北海道に

しようかなということでした。

 

日本語のコミュニケーションで、

全く問題ありません。

 

2ヶ月半とは思えないほど、流暢に

日本語を話されます。

 

話せるのもすごいですが、リスニング

能力がすごい。

 

なんで日本語を学びに来たのか聞くと

「お客さんや従業員と日本語で

コミュニケーションを取りたいから」

とおっしゃっていました。

 

あらゆることに興味津々で、全てを

吸収しているようでした。

 

その国の歴史や文化を知らないと、

言葉が学べないとおっしゃり、

日本の歴史や文化も学んで

いました。

 

日本人は独特な考え方をするそうで

す。

 

世界でも珍しいと話されていました。

 

今回で会うのは2回目ですが、とても

仲が良くなったと、勝手に思って

います。

 

(笑)。

 

私も英語を勉強し、歴史や文化につい

て学んでいきたいと思います。

 

日本語を学ばずに、日本の文化や歴史

を学ばずに英語を話すことは

できません。

 

できないことはないでしょうが、

まず日本語だと思うのです。

 

日本に生まれ、日本で育ち、今現在

日本に住んでいるわけです。

 

まずは自分の母国について学ぶことが

当然のことです。

 

また、海外の方から質問を受けたとき

に答えられないと言うのは恥ずかしい

ことです。

 

「いただきます」と言うのはなぜ?

と質問をされました。

 

他の生命から命をいただいて、生かし

ていただいていることへの感謝を

している。

 

作ってくれた人への感謝、その命を

犠牲にして人間に尽くしてくれて

いる生き物への感謝、生かして

くれているものへの感謝を

「いただきます」という言葉で

表現しているというような

説明をしました。

 

あらゆることに興味を持つことが、

学びの原点だろうなと思います。

 

異文化への尊敬と理解しようとする

心が大切です。

 

もっと色々と話したかったのですが、

英語ができないため深い話が

できませんでした。

 

「日本の介護を世界に」と標榜している

くらいですから、英語くらい話せない

といけませんね。

 

来年には日常会話くらいできるように

なっていたいなと、密かに目標を

掲げていますので頑張ります。

 

長々と前置きを書きましたが、つまり

昨日は楽しかったです、ということ

です。

 

(笑)。

 

さて、がらりと話題は変わります。

 

「立ち向かう人の心は鏡なり」という

言葉があります。

 

他人を見ているようで、実は、他人を

通して自分を見ているということ

です。

 

この言葉の真意の一端を、最近感じら

れるようになってきました。

 

100%の善人、100%の悪人、100%

奉仕、100%自己中、100%〇〇とい

うことは、なかなかないものです。

 

数ヶ月前に自転車が倒れて困っている

女の子を手伝ったことがあります。

 

風がものすごく強い日で、止めてあっ

た自転車が何台も倒れていました。

 

他の自転車で絡んでしまっていて、

立ち往生している様子でした。

 

おそらく日本語学校に通う、フィリピ

ンかミャンマーかベトナムか、どこか

東南アジアの若い女性です。

 

訪問の帰りで特に急いでいたわけでは

なかったので、手伝って自転車を

起こして立ち去りました。

 

その時の心は、奉仕の心もありました

が、「どう、良いことしているでしょ」

という自己顕示欲も混じっていまし

た。

 

奉仕100%でもありませんでしたし、

自己顕示欲100%でもありません

でした。

 

人の行動には、いろいろな想いが

混じりあっているということです。

 

同じ行動を見ても「素晴らしいな、

愛の人だな」と見る人もいれば、

「偽善だ、良く見られたいに

決まっている」と見る人もいます。

 

同じ行動を見ても、違うように見える

のはなぜかと言えば、人の行動を通し

て、各々が自分の心を見ているに

過ぎないからです。

 

自分の心にある部分が、他の人に反映

されるのです。

 

愛の部分が強ければ、他の人の行動を

見て愛を感じるでしょう。

 

疑いの部分が強ければ、他の人の行動

が偽善に見えるでしょう。

 

被害者意識が強ければ、他の人の行動

が自分を責めているように見える

でしょう。

 

「なんでこの人はいつもあんなことを

言うのだろう」「なんであの人はいつも

ああいう行動を取るのだろう」と、

人に対して悪意を持ってしまう

ことがあります。

 

相手の問題、相手の課題と思って

いました。

 

「それがあんたの修行課題やで」と、

上からの目線で思ってしまうことも

あります。

 

そうではないということです。

 

全ては自分の課題であり、自分に責任

があるということです。

 

相手はただ自分の姿を映しているに

過ぎません。

 

そこに醜さを感じるのなら、自分の

中の醜さを反省し、美しいものへと

変えていく必要があります。

 

その行動に愛を感じないのなら、

自分の中に与える愛の要素が

足りないことを教えてくれている

ということです。

 

人に対して悪意を抱かず。

 

悪意が出てきた時、悪く見えた時は、

自分の心を振り返ってみることが

大切なことですね。

 

最後までお付き合いいただき、

ありがとうございました。

 

光の指針

 

~立ち向かう人の心は鏡なり~

 

「『立ち向かう人の心は鏡なり』とい

いますけれども、そういうところは、

やはりあるのです。

 

人間は、親切な人と会うと親切になり

ます。

 

ところが、棘がある人と会うと棘が出

てくるのです。

 

これは一つの法則です。」