いつもありがとうございます。

 

数百年前に大航海時代がありました。

 

大丈夫です。

 

いま、話題の出来事を取り上げようと

しているわけではありません。

 

(笑)。

 

そもそも詳しく知りませんからね。

 

人類が大海原に出て、新たな大陸を

発見していった時代です。

 

現代もある意味で大航海時代だと

思うのです。

 

宇宙時代もそろそろ幕開けするかも

しれません。

 

いま、現在で言えば、情報の大航海時

代だと思うのです。

 

ネットサーフィンというように、情報

とは海の如く膨大な量です。

 

インターネットの普及によるところが

大きいでしょう。

 

一般の人でも、簡単に様々な情報を

手に入れることができるように

なりました。

 

いまでは子どもでもスマホを持ってい

る時代ですから、子どもの情報量も

すごいですね。

 

情報を得ることができるようになった

だけでなく、発信まで容易になりまし

た。

 

少し前までは、情報発信といえば、

メディアの専売特許だった

ところがあります。

 

いまはでは子どもたちでさえ、自由に

情報が発信できるようになりました。

 

それで収益を得ている人もいるのです

から、すごいことですよね。

 

「自由に」情報発信はできていますが、

「自由な内容か」と言えば疑問符が

つきます。

 

情報を得るのも、発信するのも、

本当に自由かと言えば、

「分からない」ということが

本当のところです。

 

「Googleで何でも調べられるでは

ないか」と思われるかも

しれません。

 

その情報がコントロールされていない

と言い切ることはできるでしょうか。

 

民間企業であっても、自分達の情報が

検索上位に上がってくるように

コントロールができるのです。

 

何らかの意図を持つ団体が、自分達の

都合の悪い情報を消したり、検索して

も出てこないようにすることだって

簡単にできるでしょう。

 

情報発信も自由とは言え、検閲が

されています。

 

わたしの何てことない動画が

検閲に引っかかったことが

あります。

 

大した内容ではなかったのに加え、

公には公開しておらず、限定的な

グループのみへの公開でした。

 

情報を鵜呑みにすることは、

非常に危険です。

 

情報には1次情報、2次情報、3次情報

等があります。

 

実際の定義は分かりませんが、

自分なりに捉えているところが

あります。

 

1次情報は、自分が体験や実験等を

通して得た情報です。

 

自分の目で見て、耳で聞いて、肌で

感じた情報が1次情報です。

 

2次情報とは、誰かから聞いた情報、

誰かが発表した情報です。

 

その誰かにとっては1次情報でも、

それが発信されたところから、

2次情報になります。

 

3次情報は、2次情報を加工して作っ

た情報です。

 

編集をしたり、自分なりの解釈を

入れたり、自分の感想を入れたり

した情報です。

 

4次、5次に行くほど、加工や編集、

曲解などが入りやすくなって

いきます。

 

私たちが普段「根拠がある」と思ってい

るものも、2次情報以下の情報である

ということです。

 

テレビの言うことは正しいでしょう。

 

新聞の情報は正しいでしょう。

 

インターネットで調べたのだから

正しいでしょう。

 

というのは思い込みであると

言えます。

 

「これは論文に載っていた」「文献を

調べた」「〇〇博士が言っていた」

と言っても、それも2次情報です。

 

自分の見聞き、体験したものしか、

信じるな、と言いたいわけでは

ありません。

 

1次情報であっても、鵜呑みにすべき

ではないというのが実際です。

 

「何もかも疑いましょう」「疑心暗鬼に

生きましょう」という勧めでは、

もちろんありません。

 

それはもう大変な世界です。

 

(笑)。

 

ただ、そういう認識を持って生きる

ことが重要だと思うのです。

 

これだけ情報が溢れかえっている時代

は、初めてかもしれません。

 

その中で無防備に、警戒心なく、

浮き輪で浮かんで遊んでいたら、

いつの間に沖に流され、海底に

沈められ、取り返しのつかない

ことになることもあるでしょう。

 

情報は鵜呑みにしないこと。

 

あらゆる角度から調べてみること。

 

調べた内容であっても、文献に載って

いても、論文に載っていても、

公的な情報であっても、

それは2次情報であることを

意識すること。

 

それは何らかの意図を持って、意図す

る方向に誘導可能な情報である

ということです。

 

最後は「何を信じるか」であろうし、

「後悔しない選択を自らの責任でする」

ということになるかと思います。

 

日本人はとにかく無防備すぎる。

 

お人好しも時代によっては

悪になります。

 

人を信じることは大切ですが、

それはその人の光り輝く宝石の

部分を信じるということであって、

宝石についている塵や埃を信じる

ということではありません。

 

力強く生きていきたいですね。

 

何か考えるヒントになれば

幸いです。

 

最後までお付き合いいただき、

ありがとうございました。

 

光の指針

 

~探求する心~

 

「科学とは、『探求する心』でもあり

ます。

 

『未知なるものを否定せず、未知なる

ものを追い求める心』でもあるので

す。

 

それは、決して現代の知識時代に反す

ることや恥ずかしいことなどではな

く、未来を向いての新しい科学なので

す。

 

そのことを知っていただきたいと思い

ます。」