いつもありがとうございます。

 

今日はいい天気でしたね。

 

自転車で山登りを

しました。

 

小学校低学年くらいの

自転車集団に

襲われました。

 

(笑)。

 

「はあ、はあ」と息を

切らしながら登って

いると、小学生の集団が

いました。

 

追い抜くと後ろから

声が聞こえてきます。

 

「大人に追いつけ」。

 

「大人」とは私のこと

でしょう。

 

スイッチが入った私は、

自転車と自分のギアを

チェンジし、猛スピードで

坂を登りました。

 

「大人すげぇ」「大人はえぇ」

と声が聞こえてきます。

 

そうなのです。

 

私は大人気ないのです。

 

(笑)。

 

子どもにわざと負けてあげる

大人がいます。

 

私は昔からそれは

しませんでした。

 

勝負の厳しさ、大人との力の差、

人生の厳しさを伝えるためです。

 

甥っ子に対しても、そのような

教育をしたため、「叔父さんは

すごい人」という認識が、

甥っ子にはあるようです。

 

加減はしますが、真剣に

向き合います。

 

遊ぶ時も「遊ぶなら真剣に

遊べ」「本気で遊べ」と

言っていました。

 

もはや遊びではないですね。

 

(笑)。

 

子どもに厳しさを伝える

ことも大人の役割では

ないかなと思っています。

 

しょうもない前置きを書いて

いたら、今日書く内容を

忘れてしまいました。

 

思い出せそうにないので、

昨日感じたことを

書きましょう。

 

ある事業所の管理者さんと

お話をしました。

 

新しくお願いしたところです。

 

「あの人がこう言っていた」、

ああだった、こうっだったと

色々とお話ししてくださり

ました。

 

「裏表がないから、何でも

言ってしまう」とおっしゃって

いました。

 

わたしも、あまり裏表はない方だと

思っています。

 

陰でコソコソ言われるより、

ずっと良いですね。

 

ただ、裏表がなく、何でも

言うことが、イコール良いこと

ではないと思うのです。

 

その言葉が人を傷つけることも

あるでしょう。

 

その言葉で人の元気が失われる

こともあるでしょう。

 

裏表がないことは良いこと。

 

何でも思ったことを言うのは

良いこと。

 

ただ、裏も表も良い言葉を

使いたいものだなと思うのです。

 

言い方の話しではありませんよ。

 

どれだけ丁寧な言葉でも、

人は傷つくことはあります。

 

せっかく裏表なく、何でも

思ったことを言ってしまうのなら、

裏も表も人を元気付けること、

人をやる気にさせることを

言いたいものだなと思います。

 

私も人を傷つけること、人の

やる気を奪ってしまうことが

あります。

 

その度に反省するのですが、

それでも伝えるべきと思った

ときには伝えます。

 

ここは難しいところですね。

 

相手のことを考えた末に、

厳しいことを言わなければ

ならない場面もあります。

 

それによって、相手が傷ついたり、

やる気がなくなってしまったり

することもあります。

 

心から相手のためなのか、

自分の感情をぶつけている

だけではないのか。

 

これを点検して、真実語である

と確信が持てたのなら良いの

です。

 

少しでも濁りがあった場合は、

反省が必要です。

 

裏表がないのは良い。

 

陰でコソコソ話さずに、相手に

直接伝えるのも良い。

 

あとは、一点の曇りなく、

無我であると言い切れるかです。

 

ただ、自分の感情をぶつけるだけ、

自分の言いたいことを言うだけ

なら、見直しが必要ですね。

 

私自身、気を付けなければ

ならないことです。

 

何か感じることがあれば

幸いです。

 

最後までお付き合いいただき、

ありがとうございました。

 

光の指針

 

~愛の心に忠実に生きる。~

 

「『悪を犯さず、善を取る』とは、

愛の心に忠実に生きるという

ことである。」