いつもありがとうございます。
いま、新幹線に乗っています。
これが配信されるのは20:00頃です
が、現在は17:00です。
明日は埼玉で認知症心理カウンセラー
養成講座を開催します。
10:00開始なので、当日入りは難しい
ということで、前日入りするために
向かっているところです。
時間給をもらって早退しようと思って
いましたが、有給は1日単位という
ことだったので、有給を使わせて
もらいました。
いつも通りに仕事はしましたが、
訪問は1件だけで、ほとんど
事務所で記録を打っていました。
なかなか濃い訪問でしたけどね。
(笑)。
これはまた別の機会にとっておこうと
思います。
後見制度に初めて繋いだケースです。
新幹線に乗るときは、いつも不安が
襲ってきます。
「電気消したかな、鍵閉めたかな、
忘れ物はないかな」。
ケアマネになってからは「連絡し忘れ
ているところはないかな、やり残した
仕事はないかな」という心配が
襲ってきます。
乗ってしまったら、もうどうしようも
ないので「もうどうしようもない」と
手放します。
心配しようと思えば、どこまでも
心配することができます。
心配したところで仕方がないのは
分かっているのですが、心配に
なるのですよね。
そして、心配していたことが発生して
「ほら、やっぱりそうだ」と確認する
わけです。
これは心配し過ぎて、自分で引き寄せ
てしまっていると考えた方が良い
でしょう。
気になるのは分かるのですが、どこか
で手放さなければならないのです。
強く意識して手放そうとしなければ
手放すことはできません。
手放す努力をすると良いですね。
さて、今日はというか、今日も本題を
決めずに書き出してしまったので、
彷徨ってしまっています。
(笑)。
明日は認知症心理カウンセラー養成講
座ですから、関係ある話にしましょう
か。
今朝は朝からイライラしてしまいまし
た。
短期記憶の保持が、かなり難しくなっ
てきている利用者さんがいます。
覚えていること、覚えていないことが
まだらにあります。
電話で話している途中から、1、2分
前の話を忘れてしまいます。
かと思えば、数日前の出来事を覚えて
いることもあります。
一体どういうことが起きているのだろ
うと戸惑いますが、ご本人が一番
戸惑っていることでしょう。
分かってはいるのですが、エンドレス
に繰り返す会話と、切った直後に
掛かってくる電話で1時間くらい
対応しました。
記録が全く進みません。
これがほぼ毎日起きているため、
ついついイライラしてしまいます。
言葉や態度に現れます。
別のケアマネさんだったら、もっと
良い対応ができるのではないか。
もっと良い体制を作れるのでは
ないか。
もっと良い関係が作れるのでは
ないか。
と考えてしまいます。
「小林さんしか頼れる人がいない」とい
う関係性を作ってしまったのは、
私の責任です。
ご本人にとっても苦しいだろうなと
思います。
良いケアマネ、良い支援とは何だろう
と考えますが、答えは出てきません。
昨日、精神疾患の方への支援という
ことで研修会に出てきました。
訪問看護で18年、精神疾患の利用者
さんを見ている、現役の看護師さん
が講師でした。
元々の専門は違ったようです。
最近、自分のやりたいケアをやりたい
ということで、訪問看護ステーション
を立ち上げたということでした。
とても良い研修会だったのですが、
最後の方に、精神疾患の方への
対応のポイントという内容が
ありました。
ご自身が18年間現場を経験している
中で、気がついた項目を20個挙げて
くださっていました。
全て紹介したいのですが、今日は
一つだけ。
正確な言葉は忘れてしまった上に、
資料も忘れてきてしまいました。
「特別な人になるな」というような
言葉だったか忘れてしまいましたが、
こういうニュアンスだったように
思います。
頼られると嬉しくなることが
あります。
「自分がいなければならない」と
思う時もあるでしょう。
これは結構危険なことです。
仕事のやりがい等の中で「ありがと
うと言っていただけることです」、「感
謝されることです」という言葉を聞く
ことがあります。
ちょっと危険だなと感じることが
あります。
たしかに感謝されたら嬉しいですし、
「よしっ頑張ろう」という気持ちに
なることもあるでしょう。
これが強くなると「もっと感謝され
たい」と感謝を求めるような欲求が
出てきます。
感謝を求めるようになるのが、危険な
サインです。
頼られるようになると嬉しいもの
です。
自分だけが特別な1人になると、
自分の重要感が満たされます。
これは行き過ぎると、膨らんだ欲に
なっていきます。
動機や目的が「自分のために」なって
いくのです。
外から見える行動としては、とても
よくやってくれる人、とても良い人に
見えるでしょう。
その中身の部分が、相手のためでは
なく、自分のためになっているの
です。
恐ろしいのは自覚がないことです。
自分の重要感を満たすためにやって
いることが「相手のためにやっている」
と変換されてしまいます。
これが恐ろしいことです。
人にはキャパがありますから、キャパ
を超えたら潰れてしまいます。
あるいは、他の人に代わらなければ
ならなくなったときに、本人も
代わった人も困ります。
「前の人はこういうことをしてくれた」
と言われても、できないものは
できません。
今までやってもらっていたわけですか
ら、断られたらどうしたら良いか
分かりません。
頼まれたところも困ります。
ご本人も困ります。
「〇〇さんじゃないとできない」と
言われたら、重要感も高まります。
ただ、それでは仕事が回っていかない
のです。
誰がやっても困らない支援。
誰に代わっても問題ない支援。
こういう支援も大切だなと
思います。
「ありがとう」と言われて嬉しくなる。
これは自然なことだから良いのです。
目的がすり替わったり、求めるように
なったりしたときに、間違いが
起こってきます。
自己点検するのも難しいことですが、
責められたり、怒られたりした
ときに「こんなにやっているのに」と
怒りが湧いてきたら要注意ですね。
「やってあげている」という思いがある
可能性があります。
やっていること自体は素晴らしいこと
なので、恥じる必要はないのですけど
ね。
相談援助は奥が深いですね。
「人情」を重きに置いたときは、
特別な人になることも
あります。
色々な考え方があるでしょうから、
自分としてはどう思うのかという
ことを考え続けてみると良いですね。
何か考えるヒントがあれば幸いです。
最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。
光の指針
~ただ尽くしたい~
「愛のなかには、無私なる奉仕の
気持ちがあるのです。
無償の奉仕の気持ちがあるのです。
『ただ尽くしたい』という気持ちが
あるのです。
その思いが純粋であればあるほど、
動悸が純粋であればあるほど、
愛は美しいものとなっていくの
です。」