いつもありがとうございます。

 

昨日は雹がすごかったです。

 

ガラスが割れるのではないかと

思うほどでした。

 

変な気候ですね。

 

今日は快晴で暑い暑い

一日でした。

 

頑張った臭いがしています。

 

要するに汗臭くなっています。

 

(笑)。

 

今日は全部自転車移動を

しました。

 

車も使えるのですが、

駐車場のことを考えると、

中々乗る気になりません。

 

もちろん、経費精算で、

自分の負担にはならないの

ですが、気にはなります。

 

自分の負担ではないと

いっても、最終的には、

会社の売上に影響を

与えます。

 

会社の売上が下がれば、

当然、お給料にも影響を

与えます。

 

自分の負担ではないから

良いという考えは危険なのです。

 

地元であれば、大体、自宅に

駐車場があります。

 

駐車場がなかったとしても、

どこかに停めることが

できます。

 

駐禁の見回りも

ありません。

 

神戸は駐車料金が高い上に、

車を停めても迷惑にならない

ような場所もほとんど

ありません。

 

そのため車で移動する

ときは、コインパーキングを

利用することになります。

 

なるべくコインパーキングを

使わないようにと思うのですが、

使わざるを得ない場所が

多いのが実際です。

 

今日は7件訪問に行ったの

ですが、全てコインパーキングが

必要になる場所でした。

 

そのため自転車を選択して

回ってきました。

 

身体を動かすのは好きなので、

とても良いのですが、体力は

確実に落ちています。

 

中途半端に時間が空いて

しまうときは、事務所に

戻るのですが、ついつい

ウトウトしてしまいます。

 

昔は体力おばけだったの

ですが。

 

やはり、継続して運動を

続けていないと、体力は

確実に落ちますね。

 

今後もなるべく自転車で

回るようにしていこうと

思います。

 

健康は一日にしてならず。

 

健康を害してから、健康に

気を付けても手遅れになる

ことがあります。

 

健康の時から健康に気を

付けることが、やはり、

重要ですね。

 

お腹のお肉もだいぶ気になる

ので、自転車ダイエットに

励もうと思います。

 

さて「わたし間違ったこと

言っていますか?」と

言われることが

あります。

 

男女差別に敏感な時代

ですが、女性に言われる

ことが多いのが実際です。

 

あまり男性から言われたことは

ありません。

 

「わたし間違ったこと

言っていますか?」の

裏には「私は間違って

いない」という主張が

隠されています。

 

なぜ、そのような主張をするのか。

 

自信がないからだと

思うのです。

 

本当に自信のある人は、

周りに確認をしません。

 

周りに自分の意見を

押し付けることも

ありません。

 

自分に自信がない、

自分の言動に自信が

ないと確認をします。

 

強く確認をします。

 

押し付けることもあります。

 

間違っていますかと聞かれると

非常に困ります。

 

正解も不正解もないから

です。

 

100%正しいことも

100%間違っている

こともありません。

 

少なくとも人間にそれは

判断ができないでしょう。

 

普遍であり不変の真実も

あるでしょうが、それは

人間心には分からないものです。

 

悪は自由の相克から生まれる

と言われます。

 

自分しか存在しなければ

悪はありません。

 

他の人との関係の中で、

悪が生まれるのです。

 

全ての人に自由が与えられて

います。

 

その自由と自由がぶつかり

合ったところに争いが生まれ、

悪が生まれます。

 

その言動そのものが悪なの

ではなく、他の人を害す、

他の人の自由を侵害する、

そこに悪が生まれるという

ことです。

 

絶対悪も確かにありますが、

多くは相対的な悪です。

 

「間違っていますか?」と

聞かれても「間違っていない

と思いますよ」と答えざるを得ません。

 

その時のその人にとっては、

それが正しいと思って取った

行動でしょうから。

 

ただ、私の目から見て

適切ではない、あるいは、

自分であればそういう判断、

言動はしないということが

あります。

 

それが正しいということ

でもありません。

 

「私にとっての正しさ」に

過ぎません。

 

絶対的な善があることも

確かですが、考えに執着

しているときは、絶対善

でない可能性が高い

でしょう。

 

絶対的な善とは「自分」が

入らないものです。

 

自分にとってどうかは、

関係がないのです。

 

自分というものに執着して

いるときは相対的な善で

あることがほとんどではない

でしょうか。

 

正しさを求めて苦しくなる時、

心がざわつく時は、自分に否が

あることがほとんどです。

 

「価値観は人それぞれだよね」

開き直ってしまうことも

危険なことです。

 

絶対善の追及、絶対善への

考察を放棄した思考停止

状態になるからです。

 

答えはいつも考え続ける中に

しかないと思うのです。

 

試行し続けるのは大変な

ことです。

 

大変なことだから安易な道に

流れていきやすいのです。

 

安易な道とは、安易に結論、

答えを出すことです。

 

そしてその答えに執着する

ことです。

 

それが自分だと思い込み、

否定されると激しい怒りに

変わります。

 

考え続けることです。

 

その時々で結論を出さなければ

ならないこともあるでしょう。

 

そこに執着しないことです。

 

あくまでも一つの結論として、

捉えておくことです。

 

考え続けることは大変な

ことではありますが、とても

とても重要なことです。

 

なんだかよく分からない

内容になってきたので、

ここまでにしましょう。

 

何か考えるヒントがあれば

幸いです。

 

最後までお付き合いいただき、

ありがとうございました。

 

光の指針

 

~人間としての正しい道~

 

「『人間としての生き筋として

正しいのか。

 

正しい道なのかどうか』

ということを常に問うことが

非常に重要であり、それは、

『真・善・美』全体の追及にも

なるのです。」