いつもありがとうございます。

 

今日は、実績、電話、メールで

1日が終わってしまいました。

 

忙しかったわけではありません。

 

十分に時間もありました。

 

訪問にも行けるだけの時間的余裕も

ありました。

 

それなのになぜ、1日事務所に

こもっていたのか。

 

「ふぅ」と一息、二息、三息する時間が

長いからです。

 

要するにダラダラしていた

ということです。

 

(笑)。

 

ひと息つくのも大事なのですけどね。

 

ひと息がひと息ではなく、ダラダラに

なってしまってはいけませんね。

 

そういう日があるのも仕方ないとは

思いますが、月の大半がそういう日

なので困ります。

 

(笑)。

 

給料泥棒と言われても「なんだと」と

怒ることもできません。

 

お金をいただいて、仕事をさせて

いただいているということを、

しっかりと自覚して明日から

心を入れ替えます。

 

ケアマネは月の中で挽回ができる

ので、1日単位で考えなくても

良いのですけどね。

 

給付管理が報酬発生の条件ですから、

減算項目をクリアして、給付管理を

すれば一応、仕事としてはオーケー

です。

 

それがケアマネの仕事です、とは胸を

張って言えませんが。

 

ダラダラと書いていますが、ダラダラ

していてごめんなさいということ

です。

 

(笑)。

 

今日は虐待の報告をしました。

 

ご本人から言わないでほしいと

言われていたのですが、

知らんふりはできません。

 

ずっと前から置かれている状況を

知ってはいたのです。

 

事情を説明するのは、極めて難しく、

私自身も十分に把握しているわけでは

ありません。

 

障害者福祉の闇の部分になるのでは

ないかなと思います。

 

全て解決して、全容が分かったら

詳しく話したいなと思います。

 

「特殊な地域だから」と

よく言われます。

 

「どこどこでケアマネをしている」と

言うと、皆に同情的な顔をされます。

 

(笑)。

 

私自身は、他でケアマネをやっていた

わけではないのでよく分かりません。

 

何が標準で、どういうケースが

困難なのかも分かりません。

 

困難かどうかは、極めて主観的です。

 

周りがどう言おうと、自分が困難だと

思っていなければ困難ケースには

なりません。

 

逆もまた然りで、周りがどう言おう

と、自分が困難だと感じれば

困難ケースになります。

 

私の隣で仕事をされている

管理者さんは困難ケース

ばかりを抱えている、

ように見えます。

 

私からは。

 

ご本人も困難を感じている

ケースはあると思います。

 

ただ、全てを困難とは感じていない

のではないかなと思います。

 

事例検討に持って行ったら、

悲鳴があがりそうなケース

ばかりなのですけどね。

 

誰もが頭を抱えてしまう

ケースというのはあると

思います。

 

ただ簡単に困難ケースと片付けて

しまいたくはないなと思います。

 

そんなことを言ったら、ほとんどが

困難ケースになってしまいます。

 

何かしら課題があり、支援が

必要だからこそ、助けを

求めているわけです。

 

全て困難ケースなのです。

 

あとは自分がどう捉えるか、

どう感じるかです。

 

困難と捉えるか、やりがいが

あると捉えるか。

 

何も思わないという人も

いるかもしれませんね。

 

関りによって、困難になったり、

簡単なケースになったりも

します。

 

「福祉用具しか使っていない人

だから、とても楽だよ」と言って

引き継いだケースがあります。

 

私はひねくれていますから、

鵜呑みにはしません。

 

案の定、全然楽では

ありません。

 

浅い関わりをすれば楽になり、

深く関われば難しくなる。

 

悩みがあっても言わない、言えない、

という関係なら困難ケースには

ならないのです。

 

どこまで関わるかということも

あるとは思います。

 

あくまでもケアマネという仕事として

関わっているわけです。

 

どこまでも支援したいという気持ちが

あっても、ケアマネの”分”という

ものがあります。

 

分相応の中で関わる。

 

自分の”分”をわきまえて、その中で

全力で関わる。

 

そのような分相応の関りも大切な

考え方かなと思います。

 

家族問題は難しいですが、やはり、

家族で解決していくことが

大切だと思うのです。

 

もちろんそこに支援の手を

伸ばすことは必要だと

思います。

 

ただ、家族の代わりになる

ことはありません。

 

意味があって家族になって

いるのです。

 

縁があって家族になって

いるのです。

 

そこで起きた問題は、起こるべくして

起きたもの。

 

それを乗り越えることが、その家族に

とって修行でもあるのです。

 

その修行を応援するような

関わりが大切であると

思います。

 

その課題を解決してあげることが、

良いわけではないと

思うのです。

 

解決したら喜ばれますし、

自分としても良いことを

したという気持ちに

なります。

 

ただ、別の視点から見たら、

本来その家族が乗り越える

べき課題を代わりにやって

しまったと見ることも

できるのです。

 

どの視点で見るかで

変わってきますね。

 

やり過ぎず、やらな過ぎず、

自分の分を考えながら

支援する。

 

そんな視点も大切かなと

思います。

 

何か考えるヒントがあれば

幸いです。

 

最後までお付き合いいただき、

ありがとうございました。

 

光の指針

 

~家族は深い縁がある~

 

「『偶然にこの世に生まれ、偶然に結

婚し、偶然に子供をもうけ、偶然に数

十年の人生を歩む』ということは、あ

りえないことです。」