いつもありがとうございます。

 

本日の神戸は、朝から激しく雨が

降っています。

 

そろそろ梅雨明けかなと思っていまし

たが、まだまだ、梅雨明けとは

ならないようです。

 

水には癒しの効果があると言います

が、雨には憂鬱になる効果がある

ように思います。

 

(笑)。

 

雨の音を聞きながらの読書は、

たしかに癒されます。

 

外に出ることを考えると憂鬱に

なります。

 

そのうち止むと分かっているから、

気分を切り替えることができます。

 

何日も雨が降り続き、「いつまで降る

のだろう」と思うと、憂鬱になって

きます。

 

結局は、自分の心次第、自分の捉え方

次第なのでしょうね。

 

「雨が降らなければ、作物が育たな

い。

 

雨が降らなければ、生活用水の確保

も、飲料水の確保も難しい」。

 

そのように考えれば、恵みの雨に感じる

ことができますね。

 

ちょっと激しすぎますが。

 

さて、今日は、心の平静というお話を

させていただきたいと思います。

 

心の中は、湖面として例えられる

ことがあります。

 

平静とは、穏やかで、落ち着いて

いて、波がない、鏡のような

状態を指します。

 

1日を心穏やかに終えた日は、なんと

も言えない幸福感があります。

 

心の湖面が波立たず、終始、平かな

状態で1日を終えた時、幸福感に

包まれて1日を終えることが

できます。

 

人生における幸福とは、手の届かない

どこか遠くにあるものではないの

でしょう。

 

とてもシンプルで身近に存在している

のかもしれません。

 

1日を心穏やかに過ごすことの難しさ

を、私たちは知っています。

 

自分以外のものはコントロールが

できないからです。

 

不測の事態や、思いもよらぬ「もらい

事故」、他の人との衝突。

 

心配事や悩み事、負の感情も心の湖面

を波立たせます。

 

喜びや楽しみなど、プラスの感情に

思えるものも、行き過ぎると、

湖面に波立ちを作ります。

 

小さな石ころ一つで、私たちの湖面は

簡単に波立ってしまいます。

 

石が投げ込まれなくても、自ら風を

吹かせ、まるで台風がきたかのように

湖面を波立たせてしまうことも

あります。

 

ときには、「これでもか、これでもか」

と、大量に石が投げ込まれてくる

ことがあります。

 

小さな石から、大きな石まで。

 

風雨、雷雨、石が投げ込まれること

自体は、私たちにコントロールは

できません。

 

波立ちを鎮めることと、より大きな波

立ちを作ることは、自由にコントロー

ルができます。

 

波紋を小さな波紋にすることも、嵐吹

き荒び、荒れ狂った状態にすることも

自由です。

 

できた波紋を一瞬で消すことも、

三日三晩波立たせることも

自由なのです。

 

究極になると、何が起きても波立ち

自体が起きないという状態になるの

かもしれません。

 

それは目指すべき境地ではあります

が、最終地点と言って良いでしょう。

 

その状態を称して「悟った」と言うの

かもしれません。

 

その状態は最終的な状態ですので、

まずは波立ちは起きるものとして、

受け入れることが大切です。

 

波立たせてしまったことに対する

罪悪感、自責の念、これ自体が

波立ちの原因となります。

 

そうではなく、波立つことは仕方ない

と受け入れてしまうことです。

 

そして、いかに波を小さくするか、

いかに短い時間で波立ちを抑えるか、

ここに尽力すべきでしょう。

 

波立ちを小さくすること、短い時間で

波を抑えていくことは、努力して

いけばできるようになってきます。

 

瞬間湯沸かし器だった私が言うのだか

ら、間違いありません。

 

(笑)。

 

カーッとなる怒りを抑えきれず、

苦しんでいた時期があります。

 

いまは、そうした石が投げ込まれなく

なっただけかもしれませんが、カッと

なる怒りはゼロに近くなってきまし

た。

 

苛立ちの感情、怒りの感情、こうした

感情がなくなったわけでも、感じなく

なったわけでもありません。

 

それは小さなものとして捉えること、

引きずらずに鎮めていくこと、表に

出さないようにすること。

 

こうしたことが、徐々にできるように

なってきました。

 

これは、「怒(いか)らない」と決めて、

日々努力した成果と言えるかも

しれません。

 

寝不足や疲労など、体の調子がよく

ないときは、コントロールが

かなり難しいのは事実です。

 

「色心不二(しきしんふに)」という言葉

の通り、心身は切っても切れない

関係にあります。

 

色は体、心は心です。

 

波立ちを小さくする、あるいは、

短い時間で平らかにするには、

努力が必要です。

 

怒りに関して言えば、呼吸を調える

ことです。

 

本質的ではないかもしれませんが、

大切なことです。

 

精神統一するときにも、まず、呼吸を

調えるところから始めます。

 

「色心不二」とも関わってくるところ

ですが、呼吸の乱れと心の乱れは、

大きく関係するのです。

 

非常に簡単ですが、非常に効果的です

から、すぐにでも試してほしいこと

です。

 

怒りの感情が湧いてきたり、つい何か

言ってしまいそうになったときは、

グッと堪えて呼吸を調えることに

のみ意識を向けます。

 

それだけでも、湖面の波立ちは穏やか

になるでしょう。

 

怒りの言葉を口にしないことは、

重要です。

 

不思議なことに、自分が口にした

言葉で余計に怒りが増すのです。

 

怒りの自家発電です。

 

(笑)。

 

その怒りが、人を守る怒り、世界を

守る怒りなら良いでしょうが、そうで

ないのなら努力して鎮めることが

大切です。

 

心の湖面の平静さを取り戻すために

は、物事の捉え方を変えていく、

自らの価値観、考え方を変えていく、

ということが必要でしょう。

 

石が投げ込まれたときに、大きな波紋を

作ってしまうのは、「大きなこと」として

捉えてしまうからです。

 

石の大きさは、伸縮自在です。

 

石の大きさは絶対的ではなく、

相対的なのです。

 

ある人にとっては、直径1cmの小さな

小石でも、ある人にとっては、直径

1mの大きな岩石になってしまう

ことがあります。

 

石の問題ではなく、その石に対する

見方、捉え方の問題だということ

です。

 

自分の心を湖面として捉え、「常に、

鏡のような湖面を維持しよう」と、

決意するところから始めてみると

良いですね。

 

何かヒントになることがあれば

幸いです。

 

最後までお付き合いいただき、

ありがとうございました。

 

光の指針

 

~平らかな湖面を守るために~

 

「私たちは心のなかに鏡を持っていま

す。

 

これを日々磨くという行為は、反省と

いう行為でもありますが、磨くという

ことのみならず、この湖面を決して波

立たせないという工夫が大事なので

す。」