いつもありがとうございます。

 

今日は事務所で、ちょっとした作業を

行いました。

 

9月から事務所で、居宅介護支援事業

所を開設する予定です。

 

その準備を少し行いました。

 

わたしは、まだ、研修を受けていない

ため、介護支援専門員の資格が

ありません。

 

試験に合格した年、休みがほとんど

なく仕事をしていたため、調整が

難しい状態でした。

 

というのは、正当性のある言い訳で、

実際には「まだいいや」という気持ちが

強かったのでしょう。

 

一度機会を逃すと、なかなか、

その機会は巡ってこない

ものです。

 

「あの時、なんとしてでも、研修を

受けておくべきだった」と後悔して

おります。

 

「今日できることを、明日に回すな」

というお言葉もあります。

 

「今日できることは今日のうちに」、

「いまできることは今のうちに」。

 

時間を生かす意識を常に持っていたい

ですね。

 

成長、発展のためには、時間を未来へ

投資することが必要です。

 

未来への投資に、多くの時間を割けた人が、

その後発展していきます。

 

「いま必要ない」という視点も大切です

が、「将来への投資」という視点も

同時に持っておきたいなと思います。

 

さて、今日は、まえがきと全く異なる

お話です。

 

(笑)。

 

昨日は、両親への反省と感謝を深める

ことで、人間関係が変わってくる

というお話をしました。

 

読み返してみると、「なかなか良いこ

とを言うなあ」ということを感じま

す。

 

(笑)。

 

今日は、反省と感謝の実践編という

ことで、具体的な参究方法をお伝え

したいなと思います。

 

「参究」という言葉は聞き馴染みがない

かもしれません。

 

心静かに自分と向き合い、テーマに

ついて考えてみるということです。

 

「坐禅」というのがありますが、なんの

ために、坐禅を組むのかと言えば、

参究をするためです。

 

ただ、座っているだけの修行では

ありません。

 

精神統一をして、考えを深めることが

大切なのです。

 

そうして考えを深めていくことで、

本当の自分を垣間見ることが

できます。

 

昨日も少し触れたところではあります

が、反省と感謝には順番があります。

 

「反省」があって、「感謝」があります。

 

そして、その先には「与える愛」という

愛を与える行為があります。

 

愛を与える行為自体は、素晴らしいこ

とです。

 

ただ、反省を深めずに与える愛を実践

すると、その与える愛は、反対の奪う

愛になってしまうことがあるのです。

 

反省が深まっていくと、それが相手へ

の感謝へと繋がっていきます。

 

そして、感謝が深まっていくと、

「なんとしてでもお返しをしたい」、

「恩に報いたい」という「報恩の思い」

が出てきます。

 

この報恩の思いから出発した愛は、

見返りを求めません。

 

見返りを求めないとは、相手の反応に

左右されないということです。

 

愛を与えた結果、相手が喜ぼうとも、

怒ろうとも、無反応であろうとも、

関係がないということです。

 

なぜなら、愛を与える行為そのものが

喜びであり、目的だからです。

 

反省せず、感謝の思いが深まっていな

い愛は、見返りを求めます。

 

自分の行為の結果、相手が喜ばなかっ

たり、お礼を言わなかったりすると、

怒りの心が出てきます。

 

「せっかくやってあげたのに」、「あり

がとうくらい言えばいいのに」、「お礼

もできないのか」。

 

こういう心です。

 

これは、与えているようで、実際には

奪っています。

 

「お礼」や「ありがとうという言葉」、あ

るいは「感謝」を求め、奪っているの

です。

 

そうした見返りを求める奪う愛になら

ないためには、反省と感謝を深めて

いくことが重要なのです。

 

では具体的な方法論として、どのよう

にしていけば良いかということです。

 

様々な方法がありますが、今日は、

「愛のバランスシート」を紹介させて

いただきます。

 

まず、反省と感謝を深めたい相手を

決めます。

 

人間関係の源流である、お父さん、

あるいはお母さんが良いかと

思います。

 

そして、紙に十字の線を引き、

左に与えていただいたもの、

右に自分が与えたものを書いて

いきます。

 

与えていただいたものとは、必ずしも

物体ではないでしょう。

 

例えば叱っていただいたこと、産んで

いただいたこと、毎日ご飯を作ってく

れたこと。

 

こうしたことも、与えられたもので

す。

 

生まれた時から書き出すと、結構な

量が出てきます。

 

それに対して、自分が与えたものは

なんだろうと考えてみるのです。

 

わたしは、自分が与えたものは、

全く出てきませんでした。

 

自分が生まれたことで、喜んでもらえ

たことが、与えたと言えば、与えたと

言えるかもしれません。

 

時間を決めて、書き出してみると

よいでしょう。

 

そうすると、多くの場合、もらって

ばかりだということに気が付く

はずです。

 

その事実に気がついた時に、反省が

深まり、恩に報いたいという感謝の

思いが溢れ出てきます。

 

感謝の思いが溢れ出てきて、「ありが

とう」と伝えるだけでも十分なのです

が、具体的な報恩行として何をするか

を決めてしまうことも大切です。

 

そして、決めるだけでなく、実際の

行動に移していくことです。

 

反省や感謝についての参究は、

一回やってみて終わりとするのでは

なく、定期的に行っていくことが

大切です。

 

簡単にできることではないからです。

 

繰り返し、繰り返し行っていくこと

で、表面的な反省や感謝から、本物の

反省と感謝ができるようになって

いきます。

 

この参究をするためには、静寂な時間

が必要です。

 

一人静かな時間を取ることです。

 

反省は心の掃除です。

 

家の中を綺麗にするように、心も定期

的に綺麗にしていくことが大切です。

 

たまには、スマホやテレビを離れて、

自分の心を見つめる時間をとって

みることも大切ですね。

 

最後までお付き合いいただき、

ありがとうございました。

 

何かヒントになることがあれば

幸いです。

 

光の指針

 

~愛の貸借対照表~

 

「『与えられた愛』と『与えた愛』、

この両方を貸借対照表に書いて比較し

てみたとき、与えられた愛は非常に多

くとも、与えた愛は少ないことを反省

させられるのが常です。」