現実を変えうる日々の些細な行動の積み重ね。
少し前に実際にあった出来事です。
最近facebookに見知らぬ美人女性からコメントを頂いてプロフィールを写真を見た感じ、いかにもスパムアカウントっぽいので初めは無視していたのですが、その後しばらくして自分の中にある設定に気づきました。
「美人女性の写真はスパムアカウントに違いない(美人女性=疑わしい)」という設定。
たしかに実際にそういう事実が現実として世の中にあるにしても、冷静に考えてみるとそれはそれで謎の設定です。
これは「大きなお金を持つほどデメリットの方が多い」とか、「長く健康でい続けることは不都合だ」みたいな設定を持っているのとほとんど同じ(相似形の思考)で、本来自分にとって正しいものであって欲しいこと(←健康であったり、豊かなものであったり、そうでありたいと思うもの)が自分にはまるで他人事という設定(偏見、疑い)がまだまだ相当色濃くあることにまたひとつ気づきました。
ここはからは心理学レベルの話でなく、一元論的な現象創造について話。
ここで現実のアップデートの視点から見たひとつポイントがあるとしたら、この時そこにどんな事実があるかどうかはまったく関係ない、ということ。
現実としてそれがスパムアカウントかどうかは関係なく、重要なのはそこで当たり前にある疑い(=世間的な常識)に沿った行動を自分がこれまでと同じように取るのか、それとも、こう在りたい、と思った自分に合わせた行動をそこで取れるかどうかです。
(実際に仮にスパムであっても、友達登録したり、直接メッセージで交流なんてことをしなければ害はないのでそういった一定の境界線はしっかり引きつつ)実際にそこに確かなちゃんとした人がいるという設定で普通に見知った友人にするようにコメント返信しました。
この時、多くの人がそんなこと(まるでただの一人芝居の演技みたいな自己満足的な振る舞い)にどんな意味があるの?と思うかもしれません。
しかし現実が動くのは、当たり前にある信じ込みを越えて行動を取れた時。
この時そこにある事実とされるものはまったく関係なく、こうでありたい、という意図を乗せた行動をとること。更に理想的なのはそうした行動を取ったことすら忘れること、そこでストーリーを完結させる。
つまり、その後の展開に執着しないこと。その穴をもう覗かない。(←ここが一番重要です)
(Photo by Dmitry Ratushny on Unsplash)
ちなみに、いつも上手くいかない人は、我慢できずにその穴をずっと覗き続けているか、更には手まで突っ込んでいるかもしれません。これは完全にアウト。
(Photo by Edge2Edge Media on Unsplash)
目の前にある事実(そこに見えるネガティブな意図)に関係なく、自分がこう在りたいを、損得勘定に支配されずにひたすら体現していく・・・この時のネガティブ意図とは、過去の偏った信じ込みを抱えたままの自分自身。←語弊があるかもしれませんが、その自分自身を徹底的に取るに足らない亡き者として自分が扱うこと。
そうした些細なことを日々積み重ねていくことで、そのまったく新しい自分を中心に辻褄を合わせるかのように後付けで現実のストーリー(事実とされるもの)が変わっていくようなまるで魔法みたいなことが起こり始めます。
この時、大抵事前に小さな穴が日常のどこかに開くのですが、前述の「覗いてはいけない穴」を仮に過去をループする穴だとしたら、こっちの穴は、積極的に覗くべき穴でむしろ積極的に手を突っ込んでいい穴・・・新しい未来に繋がる穴)
以前に書いたこちらの記事。非通知でもとにかく電話に出ろ!(話はそれから)的な実践がまさにそれです。
☞無言電話の正体は?(どこから来てどこへ行くと決めるか)
根本から信じていることを意図を持って上書き出来るこういったチャンスは、日常の些細で至るところにまだまだ無限にありそうです。