被害者も加害者もいないと悟った時、
運命は劇的に書き換わっていく。
これまでずっと対面で開催していた講座をコロナを機にオンラインに切り替え、
昨日は初め7時間半の講座(3ヶ月講座初日)をZoomで開催しました。
実際にやる前は、
Zoomだと上手く伝えたいことが伝わりにくくなるんじゃないか?
集中力が続かないんじゃないか?
受講生の表面からは分かりにくい心の微細な動きや反応をキャッチ出来るだろうか?
いろいろデメリットなども感じていたものの
実際にやってみると長時間のZoom講座でも、
対面と同じように集中力も持続し、
まったく困ることもなく、程よい距離感があるという意味では、
逆にオンラインならではのメリットも沢山発見。
これもコロナ(未来の自分)が教えてくれた、
今までずっとそこにあったのに見えていなかった豊かさ。
そして一年前のあの時、大きいホワイトボード買っていて本当に良かった!と思いました。
👉もう【新しい現実】を選んでも大丈夫。2019/6/4
きっと甲子園を目標(夢)にしていた選手たちはもちろん、甲子園ファンの人たちにとっては本当になんて理不尽な決定だと思えるような出来事だったのではないかと思います。
さらに何故かプロ野球(大人の世界)はOKのまま、という比較でみるとより更に理不尽さが際立つかもしれないでしょう。
大げさに言うなら、「大人の判断の被害に合う子供」 的な構図を連想してしまうこと(←これは典型的なチャイルドの勘違いのテンプレートみたいなものですが)
ただこういう時は、目に見えない潜在意識の領域では、まるで逆のこと(おかげで~)が始まっていることがあります。
これは自分自身が外側への批判(クレーム)や被害者への同情をしている時には決して見えないことが潜在意識下では起こっていて、
その見えない潜在意識の領域では、自分の運命を根本から変わるくらいの素晴らしい奇跡体験の計画が着々と創られているのです。
(新しい運命の浸食が始まり・・・風の谷のナウシカの粘菌っぽいイメージ)
しかしこの時、その素晴らしい奇跡体験の計画はあくまでも可能性の一つであって、それは、見ようとした自分だけ、信じられた自分だけが形として現実にすることが出来るもの。
「理不尽だ!」とクレームを入れたり、「かわいそう!」と同情している自分がそこにいる限り、その素晴らしい奇跡体験の計画は、計画(可能性)のままで実現されることなくずっと隠れたままになること。
だからこそ、彼らのことは決して安易に被害者として扱うことも、同情することにも、やはり一定の疑いを持つ勇気が必要なのです。(可哀そうな自分をそこに投影して、勝手に可哀そうな人たちを外側に創り出して、愉悦を感じていないだろうか?と)
彼ら自身が「自分たちは被害者でない」という意識をもつと同時に、世間からの同情を笑顔で振り払うことで自身の限界を超えてその先に既にある素晴らしい人生を謳歌してくれることを心から願いたいものです。
本当に素晴らしい未来(それ以上=新しい歴史)が待っているよ!
だから大丈夫。
(と自分自身にも同じことを言えたら良いですね)
【思考の錬金術講座に関する過去記事】
👉そうだ!未来に繋がるトンネルを掘ろう!(0=無限の特異点)2019/2/18
👉時空間移動するってどういうこと?(3ヶ月講座)2018/11/14