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■■ Japan On the Globe(855) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

人物探訪: 近藤亨 ~ ネパールを救った現代の二宮尊徳

 近藤亨さんは70歳の誕生日に単身ネパールの秘境に旅立った。
飢えと寒さに泣いている大勢の子供たちを救うために。
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■1.70歳、単身でネパールへ出発

 ネパールで10数年も国際協力事業団(JICA)の果樹栽培専門家として現地指導をしてきた近藤亨(とおる)さんが定年を迎え、無事に帰国をしたのを祝って、東京で盛大な帰国祝賀会が開かれた。平成3(1991)年のことである。

 ブラジルから駆けつけた学友の佐藤隆・元農相はじめ、各界の名士の祝辞が続いた後、近藤さんが答辞に立った。激励に感謝し、JICA時代の悲喜こもごもの思い出を語った後、最後に威儀を正して、こう言った。

__________
 皆様、私はこれから再び、今度は一個人の奉仕活動としてネパール中でも秘境中の秘境ムスタンへ間もなく旅立ちます。今後はJICAを離れて全く個人の支援活動ですから、何卒(なにとぞ)一層の熱いご支援を賜りたく切に切にお願い申し上げます。

秘境ムスタンでは、この一瞬でも飢えと寒さに泣いている大勢の子供たちが私どもの温かい援助の手を必死で待ち望んでいるのです。どうぞ宜しくお願い申し上げます。[1,p18]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 思いがけない決意表明に、会場は一瞬シーンとなり、やがて満場の拍手が湧き起こったが、それが静まると今度は騒然となった。近藤さんの奥さんと娘さんたちは詰め寄って、これまで何も聞かされていなかった、と憤り、佐藤氏も友人として「家庭を守り頑張ってこられた奥さん娘さんと一緒に人並みな家族生活を営んだらどうか」と切々と苦言を呈した。

 近藤さんは、こうした猛反対を予想して、あえてこの公の場で自らの決心を公表して、退路を断ったのである。家に帰ってから、近藤さんは家族を集めて、声涙下る思いで堅い決意を伝えた。

__________
 このたびの親父の我が儘をどうか黙って許してくれ。必ず、私は秘境の貧しい村人を救うため、立派な仕事をして見せるから。[1,p19]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 決心を変える人間ではないことをよく知っている家族は、半ば諦め、半ばあきれかえった。さらに近藤さんはムスタンでの活動費を捻出するため、先祖伝来の家屋敷や山林まで手放した。

 平成3(1991)年6月18日、家族が見送る中を、近藤さんはムスタンに向けて旅立った。70歳の誕生日であった。


■2.「この一瞬でも飢えと寒さに泣いている大勢の子供たち」

 ムスタンは、ヒマラヤ山脈の北側にある。標高3千~4千5百メートルの高冷地で、毎秒10~20mの強風が一年中、昼から夕刻まで吹き荒れる。さらに年間降雨量が100~150ミリという超乾燥地帯でもある。世界でも希に見る、農業に不向きな土地であった。

 住民が畑で作り、主食としているのは、裸麦、ライ麦、ソバだけで、野菜はソバの緑の葉を茹(ゆ)でて食べる、それがなくなれば、川辺の雑草を食べる。肉や白米は冠婚葬祭の時にしか口に出来ない。これでは栄養も偏り、平均寿命は45歳でしかなかった。

 働き手は男女を問わず、カトマンズや、国境を越えてインド、タイ、シンガポールまで出稼ぎに行くが、自分の名前すら書けないので、どこへ行っても最低賃金の重労働の仕事しか得られない。

「この一瞬でも飢えと寒さに泣いている大勢の子供たち」というのは、誇張ではなく、近藤さんが見てきた現実であった。

 ムスタン地方の貧しさを救うべく、アメリカの自然保護団体が5年の年月と巨費を投じて、植林を試みたが、失敗して3年前に引き上げていた。またネパール政府がリンゴ栽培や畜産などの農業振興に取り組んでいたが、いずれも厳しい気候条件下で失敗していた。

 近藤さんは、そんな秘境の地に、70歳の老齢ながら、単身で乗り込んでいったのである。


■3.黄金の稲穂

 近藤さんが取り組んだプロジェクトの一つに、高地での稲作がある。日本一の水稲王国新潟で生まれ育った近藤さんは、黄金の稲穂をこの地で生み出そうと決心した。

 もともと熱帯性植物であるイネを、品種改良してきたとは言え、高地栽培は日本でも新潟や長野などでの標高1千mが限界だった。それをいきなり標高2750mの河川敷台地で栽培しようとしたのである。成功すれば、世界最高地での記録となる。

 近藤さんは、北海道や青森などの試験場を訪ねて、冷寒用品種の種子を分けて貰い、試しに植えてみた。いずれも、出穂期、穂膨(ばあら)み期までは順調の発育するのだが、最後はすべて「しいな(皮だけで実のないモミ)で終わってしまう。

 そんな時、故郷の農業試験場の専門家から、重要なアドバイスを得た。稲はどんなに立派な穂が出来ても、出穂期に15度以下に気温が下がると、「しいな」になってしまう、というのである。

 それならと、7月の初めから田んぼの上全面にビニールシートを懸けて、保温してみようと思い立った。しかし、問題は毎日吹く風速10~20mの強風である。これに吹き飛ばされないように、ビニールシートを張らなければならない。

 そこで、水田の中に、大量の竹を高さ1mほどに立て、その上に縦、横、×字に竹を指し渡して、ビニールシートをしっかりと固定した。

 3千m近い高地だが、日差しは強い。ビニールシートの下は朝でも水温20度とむっとする温度を保った。毎日、祈る思いで水田を見た。やがて見事な黄金の稲穂が立ち並んだ。どの株も丸々と太り、着粒数も申し分なかった。

 平成8(1996)年9月、苦節4年にして、ネパール人青年スタッフたちと、初めての稲刈りを喜びに沸きながら無事に済ませた。その夜、近藤さんは感激に胸が震えて、いつまでも寝付かれなかった。


■4.石垣ポリハウス

 近藤さんは、この技術を発展させて、標高3千6百mの高冷地ガミ農場で試してみる事とした。富士山頂に近い高さである。

 その矢先に、郷里の米作りのアドバイサーから再び貴重な助言が届いた。ポリエステル波板パネルを使えば、ビニールシートより高価だが、耐用年数は15年から20年に延びるという。

 さっそく調べてみると、幸運にもカトマンズで、昨年からポリエステル生産工場が操業を開始していた。すぐに透明パネル200枚を発注して、車で運べる所まで運んで貰い、そこからは一人10枚づつ背負って、人力でガミ農場まで運んだ。

 パネルは高価なので、少しでも安価に仕上げるために、側面を石垣で囲い、屋根だけポリエステルパネルで張ることにした。石垣は厚さ60センチ、屋根側は2m、裾側は1.5mとして傾斜をつけた。石と石の隙間は泥で密閉した。

 石垣作りは家造りに使われる技術で、この地方の人々にはお手の物だった。大小の岩を鉄のハンマーで打ち砕き、小さい金槌(かなづち)で手頃の大きさに形作る。それを直線に張った縄に沿って、垂直に積み上げるのである。


■5.「こんな高地でよくも素晴らしい稲を実らせたものだ」

 石垣とポリエステルパネルの組合せは威力を発揮した。日中の強烈な太陽光線による輻射熱がハウス内に籠もり、春から晩秋まで最低でも20度以上、最高は35度に達した。深夜、早朝の外気温は10度前後でも、ハウス内は常夏の熱帯~亜熱帯の気候である。

 これに自信を得て、今までの対寒冷用水稲品種ではなく、人気のあるコシヒカリを植えた。石垣ポリハウスの高い保温力で、これまでのビニールよりも稲の草丈も優り、豊かな実をつけた。

 正式な収量測定のために、国立作物試験場のシレスター博士にカトマンズからヘリコプターで来て貰った。早速、石垣ポリハウスに案内すると、博士は驚嘆の声をあげた。「ミスター近藤。こんな高地でよくも素晴らしい稲を実らせたものだ」

 正式な収量調査の結果に、博士は仰天した。「なんと素晴らしいことであろう。10アール当たり600キログラム弱、これはネパール平野部の水田地帯に比べて、50パーセント近く多い収量ですよ」

 石垣ポリハウスは、野菜を作るのにも威力を発揮した。稲の刈り取り後、あるいは通年使う専用ハウスで葉菜類やトマト、ナス、キュウリ、日本カボチャ、メロンなどが次々と見事に実った。真冬でも冬野菜を作って、新鮮な状態で食べることができるようになった。


■6.魚の養殖

 稲作と並行して進めたのが、魚の養殖である。チベット高原を源流として、雪解け水を集めながらムスタンを流れるカリ・ガンダキ川上流は、激流のため魚が住める環境ではなかった。そのため、ムスタンではこれまで魚を見たこともない人たちが大部分であった。

 近藤さんは水稲栽培のために、溜め池を作り、冷たい雪解け水をパイプで引き、そこで太陽光で水を温める事を考案していた。その溜め池で魚を養殖すれば、一石二鳥である。

 ネパールの国立養魚試験場から鯉の稚魚を入手し、ニジマスは日本の十和田湖の水産試験場から受精卵を分けて貰った。飼料は近隣でとれるソバ、ライ麦などに、カルカッタから入る養鶏用の海魚の乾燥魚骨を混ぜて団子状にして与えると上々の食いつきだった。

 稲作が成功した後は、田植えを終えた水田に鯉の稚魚を放し飼いした。ハウス内の高温で育ちも良く、9月上旬までの3ヶ月あまりの間に、2~3センチの稚魚が10センチ前後に成長した。稲刈り直前に鯉をため池に移し、食べたいときに池から捕って、食膳に供する。近所の子供たちも珍しそうに魚を見に来る。

 4年目の11月中旬、試しに食べ頃のニジマスや鯉を100キログラム、市場に出した所、あっという間に売り切れた。牛・豚・鶏の肉を忌み嫌うヒンズー教徒の多いネパールで、魚は貴重な動物性タンパク質源として歓迎されたのである。

 インド国境近くでも、鯉の養殖がJICAの協力で行われていたが、生活汚水などの影響で、味は泥臭さが抜けきれない。しかし、ムスタンの鯉は、ヒマラヤ山麓の水で養殖しているからおいしく、ニジマスも寄生虫の心配がないので刺身でも食べられるのである。


■7.「ムスタンのリンゴ」

 加藤さんはもともと果樹の専門家で、JICA時代にムスタンの状況を調べて、耐寒性の強いリンゴ、アンズ、ブドウ等の果樹栽培を提案していた。その提言に従って、ネパール政府がリンゴ栽培に乗り出したが、失敗していた。指導すべき技師たちが、ムスタンのあまりにも厳しい気候に耐えきれず、定住を拒んだのである。

 近藤さんは、自分の提言は決して間違ってはおらず、失敗の原因は、何がなんでもやり通すという意欲の欠如と、ムスタンの厳しい気象条件を無視した技術指導にある、と考えた。

 おりしも、リンゴ栽培に失敗したドンバ村の人々が、助けて欲しいと依頼してきた。そのリンゴ園を実際に見て、近藤さんは驚いた。8ヘクタールの園地を立派な高い石垣で囲み、一番高い所に大きな貯水池が設けられ、通水路も立派に作られている。

 しかし、葉は未だ9月中旬なのに黄色がかって小さく、所々実がついている木は鈴なりに小さいリンゴが成り放題だった。近藤さんは、2,3年のうちに、立派なリンゴ園に蘇らせてやろうと決心した。近藤さんは村の優秀な若者数人を集めて貰い、手取り足取りの指導を始めた。

__________
 うまい大きなリンゴを栽培するには絶対にこんなに鈴なりにならせてはいけません。一つの花群に一つ、それも一番真ん中の果実のじっくり太った中心の実を一つだけ残し、後は全部間引いて捨てるのです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 さらに丈の高い幹を切って、低い位置で実を成らせ、風にやられないようにする、どの枝にも日光が良く当たるように剪定する事などと教えた。若者たちは理解も早く、近藤さんの手足となって良く働いた。

 数年を経て、立派なリンゴがたくさんとれるようになった。「ムスタンのリンゴ」としてブランド化され、ネパールの高級スーパーでも取り扱われるようになった。[2]


■8.「日本人の根性」

 近藤さんはさらに、松や檜の植林、乳牛の飼育とミルクやバターの生産、小中学校や病院の建設など、八面六臂の活躍を続けている。今も91歳の老齢をものともせず、標高3600mの高冷地の一室に暮らしながら、ムスタンの人々のために尽くしている。

 こうした功績が高く評価されて、2013年にネパール民主政府から最高栄誉となる「スプラバル・ジャナセワスリー1等勲章」を外国人としては初めて受賞した。

 ムスタンでは近藤さんを知らない人はいない。近藤さんがどこに行っても、子どもからお年寄りまで「近藤バジェ(おじいさん)ナマステ(こんにちは)」と笑顔で挨拶してくる。

「真の国際協力は深い人間愛であり、決して物資、金品の一方的供給ではない。支援を受ける人々が心から感謝し、自らが立ち上がる努力をはらう時、初めてその真価が現われるのである」と言い、「ボランティアやNPOもこういう日本人の根性を勉強しなければいけない」と笑う。[2]

 近藤さんの言う「日本人の根性」とは、江戸時代に多くの農村の復興を指導した二宮尊徳を思わせる。その土地の自然に随順しながら、自らの工夫と努力で豊かな生活を作り上げていく。それは自然を守りながら、豊かな生活を作り上げるわが国伝来の道である。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(825) 「ブータン農業の父」、西岡京治
 30年近くもブータンで農業振興に尽くし、国王からダショーという最高の称号を贈られ、死しては国葬に付された日本人。
http://blog.jog-net.jp/201311/article_6.html

b. JOG(765) 朝鮮農村の立て直しに賭けた日本人
 荒廃した朝鮮の農村を建て直そうと、重松は近代的養鶏の普及に取り組んだ。
http://blog.jog-net.jp/201209/article_3.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1.近藤亨『ネパール・ムスタン物語』★★★、新潟日報事業社、H18
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4861321840/japanontheg01-22/

2. 越後ジャーナル「近藤亨さん、ネパール最高栄誉1等勲章受章 ムスタン地区農業開発の功績認められ」
http://www.palge.com/news/h25/1/20130130kondo.htm


■前号「新幹線清掃員のプライド」に寄せられたおたより

■敏行さんより

今日の話は私にはぴったりのテーマです。ここ1年ほど、遊んでいました。仕事をしている間は、暇ができたらあれもこれもやりたい、どこそこに行きたいと思っていましたが、実際にそのような身分になると、何もせずアッと言う間に過ぎてしまいました。

 そこで6月からパート仕事を探しています。老人ホームの清掃を2日間しました。1日4時間でトイレ清掃は11カ所です。それまでデスクワークを40年間、大変でしたが、トイレ掃除自体はなんとも思わず、奇麗になると嬉しいものです。お年寄りが車椅子で近くに来て、見守ってくれていました。

 車で無いと行けない場所にあるため、家内と相談して、たった2日で止めましたが、現在も清掃のパート仕事を探しています。職業に貴賎は無いと教えられています。新幹線の清掃は時間との勝負で大変だろうと思いますが、大きいプライドで頑張ってください、と言いたいです。

■編集長・伊勢雅臣より

 職業を貴くするのは、その人の取り組み姿勢ですね。

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【沖縄県平和祈念公園での台湾出身戦没者慰霊祭のご報告】

沖縄戦終結の6月23日を控えた21日の午前、糸満市の県立平和祈念公園において第2回台湾出身戦没者慰霊祭が行われ、約40人が参加しました。

日本の参加者は、愛知和男元衆議院議員(環境庁長官、防衛庁長官を歴任)を始め日台基金会の発起人7人、多数の沖縄県在住者他、東京、埼玉、大阪、和歌山、山口、熊本などの各都府県から参集いたしました。

一方、台湾から2人の立法委員(日本の国会議員に相当)、台湾高座会、高雄市立戦争與和平紀念館、公益財団法人粟の穂原住民文化基金会の各代表の方々に加え、台北駐日経済文化代表処那覇分処(領事館に相当)職員も参加されました。

一行は「海ゆかば」の楽曲をとともに、祈念公園に入場し、最初に台湾人34名の名前が刻まれた「平和の礎」碑の前で、周倪安、葉津鈴両立法委員が献花、黙とうを行いました。
引き続き国立沖縄戦没者墓苑に移動し、愛知和男元衆議院議員、李雪峰台湾高座会総会長が献花、黙とうを行い「海ゆかば」を斉唱しました。

午後は琉球王国発祥の地、「浦添ようどれ」を見学し、休憩した後に沖縄県立博物館講堂で開催された「日台平和基金会第1回沖縄大会」(参加者約100人)に合流しました。

なお、前日午後には台湾からの訪沖団一行は仲井間沖縄県知事を表敬訪問し、李雪峰台湾高座会総会長は旧交をあたためられました。
これらをふまえ、当面は沖縄現地スタッフが中心となって慰霊施設を建立する用地を確保するとともに、一般非営利活動法人日本台湾平和基金会を設立する取組を強化することを確認しました。

ホームページに画像、映像を掲載しておりますので、ご参照ください。
http://nihontaiwanheiwakikinkai.blogspot.jp/

今後とも皆様にはご支援くださるよう心からお願い申し上げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ホームページ URL: http://nihontaiwanheiwakikinkai.blogspot.jp/
【facebook page】 http://www.facebook.com/from.okinawa.to.taiwan
日本台湾平和基金会設立準備会 発起人一同
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『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html



選挙を通じて台湾の「独立建国」に参与せよ

我々が目指す「独立建国」とは、「中華民国体制」-すなわち、蒋介石集団が我々の祖国台湾に持ち込んで強制してきた誤った思想・制度を一掃し、制憲・正名を行って国際社会から国家承認を得ることである。また中国の脅威から台湾を守ることでもある。そのために、あらゆる手段を用いる必要がある。事実、我々はこれまで半世紀にわたり台湾の民主化に尽力してきたことも、またそのためである。

「中華民国体制」からの脱却を図るべく、台湾の民主化運動によって獲得された民主主義の制度である選挙に参加することがその主要な方法の一つであることは論を俟たない。我々は60年以上も前に消滅した「中華民国」での選挙を行っているのではなく、現在、台湾での選挙を行っているのだ。選挙をボイコットすることは敵を利するばかりではなく、民主主義の破壊にも手を貸すことになる。

我々は、年末の「七合一選挙」、2016年の台湾総統選挙においても、目標実現に資する候補者が当選することを全力で支援しなければならない。選挙を通じて台湾の「独立建国」に参与することは、台湾人の権利であり、責務でもあると確信する。

2014年6月29日
台湾独立建国聯盟日本本部
委員長 王 明理

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呼籲全体台湾人以選挙参与「独立建国」

  吾等以「台湾独立建国」為目標,指的是完全除去「中華民国体制」-蒋介石集団帯到祖国台湾而強迫我們接受之錯誤思想、制度,並在制憲、正名之後,譲国際社会承認台湾為一個正正堂堂的国家。同時也意味在中国威脅之下確保台湾的安全。吾等応該以一切可行的手段来落実此目標。事実上這也是我們長達半世紀的民主化運動的目標。

  為了脱離「中華民国体制」,参与選挙-此台湾民主化所獲得之武器,無疑是主要手段之一。選挙是在台湾進行,絕対不是在那已滅亡超過一甲子之「中華民国」進行。如果有人抵制這些選挙,不但会利敵,甚至会毀滅民主主義。

  無論是年底「七合一」選挙或是2016年台湾総統大選,吾等務必全力支援那些有利於落実我們目標的候選人。吾等確信透過選挙参与台湾之「独立建国」是台湾人的権利也是義務。

2014年6月29日
台湾独立建国聯盟日本本部
委員長 王明理


『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html

2014.6.29 0:12
 
 
 
 
 
 
「河野談話」継承を評価するアメリカ
 
 20日、 有識者による「河野談話の作成過程の検証チーム」が検証結果を発表しました。予想通り「河野談話」は当時の日本政府と韓国政府の、それもごく一部の人間しか関われない「密室」で文言をすり合わせて作成したものであることが判明しました。事実に基づくものではなく、政治的妥協の産物、なれ合いの出来レースだったわけです。「強制性さえ日本が認めてくれたら、あとは悪いようにはしないから」という当時の韓国政府の嘘に河野洋平氏はころっと騙されたわけです。
 河野洋平はこれに対してコメントを出しているのですが、これが何度読んでも意味不明なコメントです。「検証の結果は正しい。まさにこの通りです」と言いながら自分がしでかしたことがどれほど国益を損じたか、の自覚がまったく感じられません。まさに他人事。今、アメリカに住んでいる日本の子供たちが「河野談話」のせいでいじめられている事態をどう考えているのでしょうか? 老醜をさらしている、としか言いよ うがありません。河野洋平をただちに国会に証人喚問すべきです。
 河野洋平のコメントにも呆れたのですが、もっと呆れたのはアメリカの報道官のコメントです。「安倍政権が河野談話を継承するということに注目している」と、アメリカの報道官はコメントを出しました。これって・・意味、分かりますか? 河野談話を継承するということに「注目している」→「評価している」→「撤回しないでほしい」→「撤回するなよ!」という意味なのだと思います。なぜアメリカはここまで内政干渉してくるのでしょうか? 
 かつての日本軍が韓国人女性を強制連行して、慰安婦という「性奴隷」にするような悪逆非道の軍隊でなければアメリカも困るからです。かつての日本が侵略戦争をするような悪い国でなければ困るからです。日本軍が清廉で規律正しい軍隊で、日本が良い国だったとしたら、何の罪もない日本に原爆を2発も落として民間人を虐殺しまくったアメリカこそが悪逆非道な国、ということになってしまうからです。
 アメリカで黒人の参政権が認められたのはなんと! 昭和39年(1964年)です。日本では東京オリンピックが開かれた年です。それ以前はアメリカの黒人に参政権などなかったのです。アメリカこそ奴隷をアフリカから強制連行してきて、奴隷の労働力によって富み栄えた国です。アメリカ人にとって奴隷の存在は当たり前で、奴隷のない国など考えられないでしょうが、わが国は歴史上、奴隷のない、非常に珍しい国なのです。日本人には「人間をお金で売り買いする」ということは感覚的に合わなかったのです。ではアメリカと日本と、どちらが悪逆非道の国なのでしょうか?
 韓国も嘘の歴史で凝り固まっていますが、アメリカも嘘の歴史で「世界の警察官」ヅラをしている国です。嘘がバレそうになると相手を脅して真実を封印しようとするところもよく似ています。しかし、嘘はいつかはバレるものです。去年、安倍総理が靖国神社に行った時もアメリカは「失望している」というコメントを出しましたね。最近、アメリカの嘘も徐々にバレてきたなあ、と報道官のコメントを聞いて思いました。
 
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こんにちは!学生課です。
 
 
なんと、学校長が地上波TVに出演です。
出演自体を喜んでいるわけではなく、TV局の勇気に驚いております。
 
 
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6月30日(月)
14時~
日本テレビ系列「ミヤネ屋」
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で、よく聴いてみたら、VTR出演でした。
 
 
あ、それならヤバイところはカットできますね。 
 
 
 
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こんにちは!学生課です。
 
 
学校長出演情報です。
 
 
雑誌「正論」トークライブ
日本を移民国家にしてよいのか
 
 
【日時】
7月6日(日)
 
 
【場所】
ホテルグランドヒル市ケ谷
 
 
【出演者】 西尾幹二氏(評論家)、関岡英之氏(評論家)、三橋貴明氏(経済評論家)、河添恵子氏(ノンフィクション作家)、坂東忠信氏(元警視庁北京語捜査官)、河合雅司氏(産経新聞社論説委員)
 
 
【主 催】 産経新聞社 雑誌「正論」
 
 
【入場料】 事前予約1,000円(税込)、当日1,500円(税込)(全席自由)
 
 
【申込方法】 観覧希望の方は「トークライブ希望」と書き、郵便番号、住所、氏名、電話番号、ファクス番号、購入する枚数、同伴者がいる場合は同伴者名を明記し、下記の要領でお申し込みください。
 
 
往復はがき:返信用あて名欄もご記入いただき、〒100-8077(住所不要)産経新聞社正論調査室までお送りください。
 
 
ファクス:03-3241-4281までファクスしてください。
 
 
メール:seirontaisho@sankei.co.jpまで送信してください。
 
 
※ 6月23日頃から予約券を返送します。
 
 
当日受付に持参した人に1,000円で入場券を販売します。 当日券は1,500円ですので、どうぞ事前に予約をお願いします。
 
 
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□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2014年6月28日 第1478号 )

              
  ☆☆甦れ美しい日本☆☆


☆☆怒 り を も っ て 自 分 の 目 標 に 向 か っ て い る 人 間 は し つ こ く て 強 い。☆☆
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。☆☆
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━========================
◎佐藤守の新刊 『お国のために 特攻隊の英霊に深謝す 』
http://www.amazon.co.jp/お国のために-特攻隊の英霊に深謝す-佐藤守/dp/4792604974/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1403935573&sr=1-1&keywords=佐藤守


◎西村真悟 鹿島神宮の壮大な神威

 深い感銘を受けたので記しておきたい。
 六月二十六日、常陸国の鹿島神宮に参拝した。

 以前、奈良の藤原氏の氏神である春日大社に参ったとき、この神社は、常陸国の鹿島神宮からご神体のご分霊を受けて造立されたと説明されていた。
 その時、関西人らしく、奈良は日本の一番古いところという思い込みがあったので、春日大社の前に遙か東の常陸の国に、さらに古い社があることに意外の感がした。
 それで一度、機会があれば、鹿島神宮を訪れたいと思っていた。
 二十六日に、その機会が訪れた。

 呆然とするほど荘厳で森厳で奥深く広大な神社だった。
 このような社は、奈良や京都でみたこともない。
 何しろ造立は皇紀元年即ち紀元前六百六十年頃である。
 しかも、この造立に至る話は、さらに気が遠くなるほど昔だ。

 武甕槌大神、読み方が分からない大神であるが、たけみかつちのおおかみ、という、この大神が、天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受けて、出雲の国に向かわれて国譲りを成就され、皇孫の国たるべき日本の建国に挺身され、特に東国における功績はきわめて大きかった。
 これ、神代の昔のことである。
 
 そこで、遙か後の神武天皇が、東征の半ばで窮地に陥ったときに、この大神の神威により救われたことから、神恩に感謝され、自らの即位の年にこの大神を鹿島の地に勅祭された。
 これが、皇紀元年のこの神社の造立であるという。

 従って、この鹿島の森厳な森の中で何を実感できたか。
 それは、ちまちました奈良や京都では、実感できない、
 「皇孫の国たるべき日本の創造」における構想の雄大さである。

 従って、春日神社造立における疑問も霧消した。
 これは、都の奈良へ、田舎から神さんをお迎えしたのではなく、大化の改新で中大兄皇子に従って功を上げた中臣鎌足という成り上がり者の息子と孫達が、鹿島の神様の権威にすがって(利用して)、都の中心部に自分たちの氏神を造ったということだ。
 明治維新の前には、雨の日にも下駄を履けなかった下級氏族が、維新の功績によって成り上がり、帝都の中心部に大庭園を造るようなものだ。

 また、鹿島神宮で印象に残ったことは、この神宮は、国難の時に武士達の武運長久を祈願する社となったことだ。
 鎌倉時代の元寇の祭、多くの武者達は、鹿島神宮のかつて神武天皇を助けられた武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)に必勝を祈願して遙か西の博多と玄界灘に赴いた。

 とにかく、鹿島神宮の森の中にいて、
 日本の計り知れない底の深さを感じ、
 日本に生まれたありがたさを感じ、
 黒い雲と白い雲とその間の青空が錯綜する空の下を走って東京に帰った。

 その東京では、集団的自衛権に関する自民と公明の牛のヨダレのような協議、そして、東京都議会でのセクハラ野次に関する双方の演技会と、野次った方と野次られた方のお粗末な実態、が報道されていた。
 なんとも、みみっちく、やりきれん。
 このままでは、雹が降ったが、槍も降るかもしれん。
 ソドムのように、海が裂けたが、地が裂けるかもしれん。


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目次
 ◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 463」

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 ◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 463」

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アメリカがフィリピンに進出したのは1898年の米西戦争であり、スペインに勝って植民地にするのだが、前述したようにスペインとは金銭上の「密約」を結んでいて、フィリピンの独立を認める気は毛頭なかった。そこでフィリピン独立の志士たちが米陸軍に抵抗したのだが、米国は陸軍力では弱小国を自認していたにもかかわらず、続々と増援軍を送り込んでいる。相手が“後進国”であり対抗する陸軍力を持たないと知ると、支那大陸の列強と同じく力で抑えつけようとしたのである。

これには組織力も武器も持たないフィリピンの独立運動家たちはたまらず敗退せざるを得なかった。捕えられたアナギルドは米国に忠誠を誓わされ、リカルテ等は国外追放になる。こうして独立の夢は消えたかに見えたが、この米国の横暴さに怒ったのが我が国の闘士達であった。

「強きをくじき、弱きを助ける」という武士道の精神は失われていなかったのである。しかし近代文明国家の仲間入りをした手前もあり、米国に対する外交上の配慮から、表立った支援活動はできなかった。

そこで当時日本に滞留していた支那の孫文らの仲介で、多くの政財界人や軍人らが陰でフィリピン独立運動に手を貸すことになる。

中には何人かの義勇壮士たちがフィリピンに直接渡って戦闘に参加しているし、在留邦人約300人も戦闘に加わっているのである。

その主体は、大アジア主義を唱える壮士たちだったといわれるが、当時の日本人男子の心意気の大きさには圧倒される思いがする。

彼らは、何度か米軍を窮地に追い込んだこともあったというから、言い換えればこの時から日米戦争は始まっていたのだといえないこともない。つまり100年前の日米戦争である。この戦乱で、フィリピンの人口は10分の一まで減ったといわれるほど、“弱体”米陸軍のフィリピン人に対する弾圧はひどかった。

米国が新大陸に“移住”してきて原住民を駆逐した時、彼らは建国時の「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」をスローガンにしたように、フィリピン人も米大陸の先住民であったインディアンと同様な気分で弾圧していったものと思われる。白人の人種差別のすさまじさが伺えるではないか。

日本国内では、犬養毅、川上操六参謀総長など実力者の決断もあって、小銃、弾薬を満載した布川丸がフィリピンへ向かうが、1899年7月21日に、増田忍夫近衛兵曹長らとともに、上海沖で台風の高波を受けて雄図虚しく沈没し、フィリピン独立の夢は消える。

しかしこの時の我が日本の義挙は、当時の多くのフィリピン人らの心に刻み込まれたにもかかわらず、大東亜戦争終結後は、米軍の横暴さは忘れ去られて、日本軍の横暴だけが喧伝されている。歴史のねつ造であり、日本人の戦後教育の偏向ぶりが問われる一つだが、この時のフィリピン軍政総督がD・マッカーサー元帥の父親のA・マッカーサーである。元帥自身も父の副官として随行していたというから、「100年後に日本と戦争するという点では《奇しき因縁》だったというべきか。

米比戦争は、1899年から1906年まで、つまり日露戦争直前から、終結までの期間続いているから、日露戦争を控えた微妙な時期でもあった。したがって日本政府としては米国と表だって事を荒立てることはできなかったと思われる。

しかし言い換えれば、そんな時期であったにも関わらず、政財界はもとより軍人の中からも米国に抵抗した人物がいたということは記憶されてしかるべきあろう。

大東亜戦争後に中国共産党が台湾に逃げ込んだ蒋介石一派に戦闘を仕掛けた時、蒋介石に乞われて台湾に密航し、台湾の危機を救った白団の行動を彷彿とする。

蒋介石から救援依頼を受けた元支那派遣軍総司令官・岡村寧次大将は、富田尚亮陸軍少将を筆頭に、軍事顧問団を編成して台湾に送り込み、蒋介石を支援したのだが、そのおかげで台湾は中共軍の攻撃に耐えて独立を保てたのであった。

にもかかわらず日本人はこの義挙を知らない。台湾の白団の業績と共に、フィリピン独立に参加した日本人がいたことも忘れてはならないであろう。

このような勇気ある日本人の行動を戦後いっさい教えなかったのだから、日本人がどんどん自信と勇気を失っていくのは避けられなかったといえる。

この当時の米国大統領はマッキンリーだったが、1901年には、日露戦争で日本に“好意的だった”とされているセオドア・ルーズベルトが大統領に就任した。

ことと次第によっては、日露戦争で、米国を敵に回す恐れがあったのだから、日本外交はかなり苦労したことであろう。しかし、今では考えられないほど、当時の外交は「正義」を中心に、腹の据わった外交活動をとったといえよう。

他方、義和団の乱に参加した米軍指揮官・シャフィー将軍は、自国軍のレベルの低さをしっかりと感じ取っていたし、日本軍の福島少将の優秀さに感心していた。その上、この戦いに参加したジョセフ・ディックマン大尉は、「イギリス人を除くヨーロッパ人は信用できないということ」を学んでいて、「我々アメリカ人の高潔さや一本気な性格では、ヨーロッパ人の二枚舌や子狡さにはとても太刀打ちできない。我々は海外勢力との付き合いの経験に欠けている」。更に、「…アメリカ軍と日本軍の兵士の間には強い友情のような感情が芽生えていた。士官レベルの関係も実になごやかなもの(the pleasantest kind)であった」と報告していた。勿論、日本人も東洋人である以上、「他のアジア人同様信用ならない」と感じてはいたが…。

戦後の自衛隊と米軍との関係においてもこのことは通用する。外交を外交官だけに任せる時代は、航空機や通信手段が多様化した今では既に終わったのであり、国民の一人一人が「外交官」だという意識を持たねばならないと痛感する。

その点では、日米安保条約に基づいて共同訓練している自衛隊員が、正義感に燃えたサムライの後継であることを米国人に示すことは重要なことなのである。(元空将)

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西村眞悟の時事通信
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鹿島神宮の壮大な神威

No.980 平成26年 6月28日(土)

 深い感銘を受けたので記しておきたい。
 六月二十六日、常陸国の鹿島神宮に参拝した。

 以前、奈良の藤原氏の氏神である春日大社に参ったとき、
この神社は、常陸国の鹿島神宮からご神体のご分霊を受けて造立されたと説明されていた。
 その時、関西人らしく、奈良は日本の一番古いところという思い込みがあったので、春日大社の前に遙か東の常陸の国に、さらに古い社があることに意外の感がした。
 それで一度、機会があれば、鹿島神宮を訪れたいと思っていた。
 二十六日に、その機会が訪れた。

 呆然とするほど荘厳で森厳で奥深く広大な神社だった。
 このような社は、奈良や京都でみたこともない。
 何しろ造立は皇紀元年即ち紀元前六百六十年頃である。
 しかも、この造立に至る話は、
 さらに気が遠くなるほど昔だ。

 武甕槌大神、読み方が分からない大神であるが、
 たけみかつちのおおかみ、という、
この大神が、天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受けて、
出雲の国に向かわれて国譲りを成就され、
皇孫の国たるべき日本の建国に挺身され、
特に東国における功績はきわめて大きかった。
 これ、神代の昔のことである。
 
 そこで、遙か後の神武天皇が、
東征の半ばで窮地に陥ったときに、この大神の神威により救われたことから、神恩に感謝され、
自らの即位の年にこの大神を鹿島の地に勅祭された。
 これが、皇紀元年のこの神社の造立であるという。

 従って、この鹿島の森厳な森の中で何を実感できたか。
 それは、ちまちました奈良や京都では、実感できない、
 「皇孫の国たるべき日本の創造」における構想の雄大さである。

 従って、春日大社造立における疑問も霧消した。
 これは、都の奈良へ、田舎から神さんをお迎えしたのではなく、
大化の改新で中大兄皇子に従って功を上げた中臣鎌足という成り上がり者の息子と孫達が、
鹿島の神様の権威にすがって(利用して)、都の中心部に自分たちの氏神を造ったということだ。
 明治維新の前には、雨の日にも下駄を履けなかった下級氏族が、維新の功績によって成り上がり、帝都の中心部に大庭園を造るようなものだ。

 また、鹿島神宮で印象に残ったことは、この神宮は、国難の時に武士達の武運長久を祈願する社となったことだ。
 鎌倉時代の元寇の際、出撃する多くの武者達は、鹿島神宮のかつて神武天皇を助けられた武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)に必勝を祈願して遙か西の博多と玄界灘に赴いた。

 とにかく、鹿島神宮の森の中にいて、
 日本の計り知れない底の深さを感じ、
 日本に生まれたありがたさを感じ、
 黒雲と白雲そしてその隙間から見える青空が錯綜する空の下を走って東京に帰った。

 その東京では、
 集団的自衛権に関する自民と公明の牛のヨダレのような協議、
そして、東京都議会でのセクハラ野次に関する双方の演技会と、
野次った方と野次られた方のお粗末な実態、が報道されていた。
 なんとも、みみっちく、やりきれん。
 このままでは、雹が降ったが、槍(ミサイル)も降るかもしれん。
 ソドムのように、海が裂けたが、地も裂けるかもしれん。
 









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お問い合わせ:西村眞悟事務所
TEL:03-3508-7505 E-mail:tokyooffice@n-shingo.com
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【台湾vsシナ】張志軍氏、住民との対話中止

【編集長の一言】そもそもヤクザ国家との対話などは要らない。



2014.6.28 産経ニュースより


 【高雄=田中靖人】台湾で対中政策を主管する行政院大陸委員会は28日未明、訪台中の中国国務院台湾事務弁公室の張志軍主任(閣僚級)が同日午前に南部・高雄市内で予定していた漁民との対話など一部日程を中止すると発表した。警備上の理由とみられる。

 張氏が前日夜、高雄市内で大陸委員会の王郁●(=王へんに奇)主任委員(同)と非公式会談に臨んだ際、抗議の民衆が会場敷地内に乱入。男女2人が投げつけたペンキが張氏の警護官や車列にかかるなどしていた。





『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html





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【にわか日本好きが選ぶ、気になるニュース】

『ルーズヴェルト・ゲーム』最終回17.6%、
次は、台湾代表で甲子園出場した映画『KANO』だ!
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(心配なニュース)

〇空き地にネコの胴体だけの死骸 16日には頭だけ…
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/06/26/kiji/K20140626008449320.html

26日午前7時15分ごろ、北海道北斗市押上の空き地で、頭がなく、胴体だけの猫の死骸を近くに住む男性(41)が見つけた。
函館中央署が動物愛護法違反と器物損壊の容疑で調べている。

--

このニュースを観て、神戸連続児童殺傷事件のいわゆる『酒鬼薔薇事件』を思い出しました。。

というのも、先日、こちらの対談を見たからです。

●藤井聡×浜崎洋介
「近代における築土構木(前編:風土と近代社会の乖離)」
https://www.youtube.com/watch?v=v1QARVOm_SE&list=UUlvjXNqy-EY9P_tlY3gozlA

文芸批評家の浜崎洋介さんがニュータウンに住んでいた時期、
酒鬼薔薇事件もニュータウンの街でありました。。

色々なことを考えさせられました。

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●● 2014年6月28日 気になったニュース ●●

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本日、一番気になったニュースはこちらです。

~★~★~

■『ルーズヴェルト・ゲーム』最終回17.6%、
次は、台湾代表で甲子園出場した映画『KANO』だ!
http://kopiruakkun.blog.fc2.com/blog-entry-4399.html


ドラマ『ルーズヴェルト・ゲーム』は、
最終回17.6%だったそうです。

半沢直樹の後で、ちょっと食傷気味な感じで観始めましたが、
社会人野球のドラマとあわさり、最後は熱く観てしまいました。


やっぱ、日本人はハマりますね。「部活もの」


さて、次は、今春、台湾でヒットした映画『KANO』ですね。

台湾映画ですが、監督役の永瀬正敏など日本人俳優もたくさん出演しています。

『KANO』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=pmG6LuRxilw

『三橋貴明の「新」日本経済新聞』  2014/06/27号、
【施 光恒】昭和六年の暑い夏」の記事は、
とても面白かったです。


何故、日本人は「部活もの」が好きなのか、、

中国や韓国などでは、儒教文化の影響のためか、
運動部などの部活動にはあまり重きが置かれず、不活発。

米国の部活動は「少数エリートの競技活動」

英国の場合は「一般生徒のレクレーション」

だそうです。


日本人の良さとして残したいですね。

さて、橋下さんは高校時代はラグビー部で大活躍されていました。
そんな橋下さんにも読んでもらいたい記事です。


是非どうぞ↓

■□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□


『三橋貴明の「新」日本経済新聞』  2014/06/27

【施 光恒】昭和六年の暑い夏
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/06/27/%E3%80%90%E6%96%BD-%E5%85%89%E6%81%92%E3%80%91%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%85%AD%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%9A%91%E3%81%84%E5%A4%8F/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


おはようございま~す(^_^)/

サッカーのワールドカップは残念でしたが、今度は高校野球の季節ですね。昭和生まれらしく(?)野球好きの私は、高校野球の予選が沖縄と北海道から始まったというニュースを耳にして、もうすぐ夏だなあと思いました。

ということで今回は高校野球にちなんだ話題を。

ご存知のかたも多いと思いますが、今春、台湾でヒットした映画に『KANO』があります。カノウとは「嘉農」、つまり台湾にあった嘉義農林学校の略称です。

戦前は、日本本土だけでなく、日本の統治下にあった台湾、朝鮮、満州の学校も参加して、甲子園の大会(全国中等学校野球大会)が開催されていました。嘉義農林は、昭和6年(1931年)の大会に台湾代表として甲子園に初出場し、みごと準優勝に輝きました。『KANO』は、嘉義農林を指導した熱血日本人監督と、選手たちとの交流を軸に、その史実を描いた台湾映画です。

台湾映画ですが、監督役の永瀬正敏など日本人俳優もたくさん出演しています。

『KANO』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=pmG6LuRxilw

日本での公開は、まだ先になるらしく、実は私もまだ見ていないのですが、各種のサイトや新聞によると、次のようなあらすじのようです。

***
1920年代、台湾代表として全国中等学校優勝野球大会へ出場するのは、毎回、日本人のみで構成された台北商業。

一方、のんびりしたチームの嘉義農林学校野球部は連敗続き。しかし新しい監督として着任した日本人の近藤兵太郎監督による厳しくも愛情ある指導と、それに答えた部員の猛練習により、嘉義農林は徐々に強くなり、甲子園を本気で目指すようになった。

1931年(昭和6年)、ついに台湾商業を決勝で下し、嘉義農林は甲子園に初出場。

大会前の下馬評は芳しくなかったが、ふたを開けてみると、「打撃に長けた台湾人、韋駄天の如く足の速い高砂族、守備がうまい日本人」の各選手がそれぞれの長所を活かし、一致団結し、抜群の結束力を見せて相手チームを投打に圧倒。初出場で夏の甲子園大会決勝戦まで勝ち抜いていく。

決勝の相手は、東海地方代表の中京商業。結末はいかに…。
***

嘉義農林を率いた日本人監督・近藤兵太郎氏は選手に大変慕われていたようです。近藤氏は、1888年(明治21年)松山市の生まれ。松山商業から早稲田大学と野球名門校でプレーし、松山商業の監督に就任。その後、台湾に渡り、1928年(昭和3年)から嘉義農林を指導しています。

近藤監督は、「魂のある野球」がモットーで、「情熱、純情、友情」「球は霊(たま)なり」という言葉を好んだそうです。スポ根ですね~。
(^_^)

嘉義農林が準優勝した昭和六年夏の甲子園大会の様子を、当時の新聞で調べてみました。当時は、都道府県別ではなく、北海道、奥羽、東北、北関東、南関東、東京、甲信静、信越…といった地域別の区分けで、22校の代表校が戦う形でした。

嘉義農林は打棒爆発だったようで、2回戦から出場し、神奈川商工(甲信静代表)を3対0、札幌商業(北海道代表)を19対7、小倉工業(北九州代表)を10対2と破って、決勝に進出しています。

決勝では、自慢の打線が抑えられ、0対4と中京商業に敗れてしまいましたが、判官びいきもあってか、甲子園では嘉義農林は大人気だったようです。

嘉義農林の特徴は、「あらすじ」でも触れましたが、台湾人、台湾の先住民である高砂族、そして日本人の三民族の混成チームだったことでした。

決勝戦のオーダーは下記のとおりですが、エースで4番だった呉明捷投手の戦後のインタビュー記事(『朝日新聞』1978年5月19日付朝刊)によると、「平野、上松、東、眞山の各選手は高砂族、呉、蘇の両選手は台湾人、あとは日本人」だったそうです。そうだとすれば、高砂族4人、台湾人2人、日本人3人となりますので、まさに混成チームです。

一番(レフト)平野
二番(センター)蘇
三番(ショート)上松
四番(ピッチャー)呉
五番(キャッチャー)東
六番(サード)眞山
七番(ファースト)小里
八番(セカンド)川原
九番(ライト)福島

呉選手のこのインタビュー記事によると、呉選手は、バッテリーを組んだ東捕手に毎日600球受けてもらうという猛練習の末、コントロールを鍛えたそうです。(さすがにこれは投げすぎで肩に悪いでしょうが…)。(^_^;)

中京商業の優勝と嘉義農林の健闘をたたえる決勝戦翌日の新聞(『朝日新聞』昭和6年8月22日付)に、作家の菊池寛が、「涙ぐましい… 三民族の協調」と題する観戦記を寄せています。なかなか名文なので、少し引用してみます。

***
僕はラジオを通じて甲子園の野球は放送される限り聞いておる。(略)

僕は嘉義農林が神奈川商工と戦った時から嘉義びいきになった。内地人、本島人、高砂族というかわった人種が同じ目的のため協同して努力しているということが何となく涙ぐましい感じを起こさせる。

実際甲子園に来てみるとファンの大部分は嘉義びいきだ。優勝旗が中京に授与されたのと同じ位の拍手が嘉義に賞品が授与される時に起こったのでもわかる。ラジオで聞いているとどんなドウモウな連中かと思うと決してそうではない。皆好個の青年である。

そして初めて内地に来て戦っているせいか何となく遠慮深いというところがあるようだった。(略)

連日の成績を見ると甲子園の優勝旗なるものはくじ運もあるがしかし実力を具備したナインが粒々辛苦の末ようやく取り得るものだという事がしみじみわかった。(後略)
***

菊池寛も「甲子園に来てみるとファンの大部分は嘉義びいきだ」と書いているように、嘉義農林は大変人気があったようです。特に、エースで4番の呉明捷選手が打席に立つと、「GO、GO、呉君」という「呉コール」で球場が沸いたそうです。

日本人は、今も昔も判官びいきで、また一致団結して努力する姿勢を好むのでしょうね。

日本では現在でも変わらず「部活もの」のマンガや映画、ドラマは根強い人気があります。

普段、我々はあまり意識しませんが、学校の部活動は日本独特のものです。日本では、多くの一般生徒が普通にスポーツや文化活動に打ち込み、学校側も部活動を大切な「教育の一環」であり「人間形成の場」だと捉えますが、これは日本に特有の現象です。

中国や韓国などでは、儒教文化の影響のためか、運動部などの部活動にはあまり重きが置かれず、不活発です。

欧米の学校も、日本とはだいぶ違うようです。部活動の研究をしている中澤篤史・一橋大講師によると、日本の運動部の部活動は「一般生徒の教育活動」として特徴づけられますが、米国の部活動は「少数エリートの競技活動」、英国の場合は「一般生徒のレクレーション」だそうです(中澤篤史「学校運動部活動研究の動向・課題・展望──スポーツと教育の日本特殊的関係の探求に向けて」『一橋スポーツ研究』第30巻、2011年)。

米国では、運動部はシーズンごとに組織され、毎シーズンごとにトライアウトによって参加できる生徒が選抜されるという形態をとるところが多いのです。つまりその種目に秀でた一部の生徒による競技活動という位置づけになります。英国の学校の部活動も、日本のように教育や人格形成の一環としてはみなされず、レクレーションの一つという位置づけです。

戦前の日本人は、日本独特の教育とスポーツの捉え方を台湾に持ち込んだわけです。日本的な「部活動」を通じた成長物語である『KANO』が現在の台湾で人気を博し、多くの台湾の人々の共感を呼んだということは嬉しいことですね。

部活動では、「皆がコツコツ努力して自分を磨くこと」、「皆で心を一つにし、協力し、助け合うこと」「団結心や組織力を学ぶこと」などが強調され、身に付けることが期待されています。これらは、半ば無意識に、日本人が次世代を担う子どもたちに大人になるために身に付けてもらいたいと願ってきた事柄でしょう。

ですが、これ、今後はどうなってしまうでしょうかね。

新自由主義的改革がますます進むこれからの日本社会では、「コツコツ努力すること」や「協調性」「助け合い」「団結心」などは、あまり評価されなくなってしまうかもしれません。自己主張が強く、要領がよく、少々強欲な「グローバル人材」のほうが好まれるようになったりしそうです。

また、「部活動に打ち込んだ子」よりも、「TOEFL」の点数が高く英語の発音がネイティブみたいな子のほうがエラいと思われるようになってしまうんじゃないでしょうか。そもそも大学入試のTOEFLとか大学の英語で行う講義に対応するために、高校生の短期の語学留学などが今後流行るでしょうから、部活動に打ち込む子が減ってしまうかもしれないですね。

私は、「コツコツ努力すること」や「協調性」「助け合い」「団結心」を身に付けた子が評価される日本の経済社会を作ることのほうが大切だと思います。

しかし実際は、「国際競争力の強化」「グローバル人材の育成」のための「中等教育の抜本的改革」とかが始まってしまうんじゃないでしょうか。やですね。
f(^_^;)

だらだら長文、失礼しますた…
<(_ _)>


PS
日本人は中国共産党の幹部をなめすぎていないか?
本当は怖い中国の話を三橋貴明が解説中
http://youtu.be/ns-sXQ-Iey0



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(転載終了)
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以上です。

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