No.709 穴沢利夫大尉(1/3) 【日本の心を伝える会】 | My Flame

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日本の心を伝える会
メールマガジンNo.709
 2013/10/1

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■□【1】会ひたい、無性に 穴沢利夫大尉(1/3)
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上の写真↑は、昭和20(1945)年4月12日に、知覧航空基地から特別攻撃隊「第二十振武隊」が飛び立つときのものです。桜のひと枝を手に見送る知覧高女の女生徒達が手前に写っています。
この写真で、いままさに飛び立とうとしているのが、穴沢利夫大尉の隼です。

機体の下に、250キロ爆弾が見て取れます。
この日、穴沢機を含む第二十振武隊は、沖縄洋上で見事、米駆逐艦に体当たりし、散華されました。

出撃の模様を、この写真で手を振って見送っている前田笙子さんが、日記に遺されています。
~~~~~~~~~
昭和20年4月12日
今日は晴れの出撃。
征きて再び帰らぬ神鷲と私達をのせた自動車は、誘導路を一目散に走り飛行機の待避させてあるところまで行く。

途中「空から轟沈」の唄の絶え間はない。
先生方と隊長機の偽装をとつてあげる。
腹に爆弾をかかへた隊長機のプロペラの回転はよかつた。
本島さんの飛行機も、ブンブンうなりをたててゐる。

どこまで優しい隊長さんでせう。
始動車にのせて戦闘指揮所まで送られる。
うしろを振り返れば可憐なレンゲの首飾りをした隊長さん、本島さん、飛行機にのつて振り向いていらつしやる。

桜花に埋まつた飛行機が通りすぎる。
私達も差上げなくてはと思つて兵舎へ走る。

途中、自転車に乗つた河崎さんと会ふ。
桜花をしつかり握り、一生懸命馳けつけた時は出発線へ行つてしまひ、すでに滑走しやうとしてゐる所だ。

遠いため、走つて行けぬのが残念だつた。
本島機が遅れて目の前を出発線へと行くと隊長機が飛び立つ。

つづいて岡安、柳生、持木機、97戦は翼を左右に振りながら、どの機もどの機もにつこり笑つた操縦者がちらつと見える。
二〇振武隊の穴沢機が目の前を行き過ぎる。
一生懸命お別れのさくら花を振ると、につこり笑つた鉢巻き姿の穴沢さんが何回と敬礼なさる。
パチリ。後を振り向くと映画の小父さんが私達をうつしてゐる。

特攻機が全部出て行つてしまふと、ぼんやりたたずみ南の空を何時までも見てゐる自分だつた。
何時か目には涙が溢れ出てゐた。
~~~~~~~~

文中にある穴沢利夫大尉(出撃時少尉、没後二階級特進で大尉)は、会津(福島県那麻郡)の出身です。
大正11(1922)年2月12日生まれで、幼い頃からたいへんな読書好きな方でした。
彼の幼いころの夢は、故郷に児童図書館を作ることです。
そのために彼は、文部省図書館講習所を卒業し、中央大学に進学しました。

穴沢利夫大尉
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当時、親の仕送りで遊んで暮らせる学生なんていうのは、まずいません。
穴沢大尉も、お茶ノ水にある東京医科歯科大学の図書館で司書としてアルバイトをしながら、勉強していました。

昭和16年夏といいますから、穴沢大尉が19歳になったばかりの頃です。
バイト先の図書館に、図書館講習所の後輩たちが実習にやってきました。

その中に、後に婚約者となる孫田智恵子さんがいました。
これが運命の出会いでした。

お二人は、昭和16年の暮れ頃から交際をはじめられたそうです。
けれど当時は、大学生の男女が付き合うなどということは「はしたないこと」とされた時代です。
ですからデートなんてできない。
お二人は、もっぱら手紙のやりとりばかりをされていたそうです。

~~~~~~~
智恵子様へ
半年前、あなたがグラジオラスを持ってきて図書館の花瓶に生けてくれた日の夜、僕は誰もいない図書館でそれを写しました。
~~~~~~~
手紙には、繊細なタッチで模写したグラジオラスの絵が添えられていました。

お返しに智恵子さんが、手紙で

 たまゆらに
 昨日の夕(ゆふべ)
 見しものを

と上の句を手紙にしたためます。
すると穴沢大尉が、

 今日(けふ)の朝(あした)に
 恋ふべきものか

と下の句を返す。

この歌は、柿本人麿呂の歌です。
意訳すると、
=====
あなたとは、
昨夜、お会いしたばかりなのに、
一夜が明けると
もうこんなにもあなたが恋しい。
=====
となるのでしょうか。

お二人は一緒に歩いたこともない。デートしたこともない。手も触れたことがない。
けれどお二人の心と心、情感と情感、教養と教養がお二人の愛をはぐぐみました。
二人は結婚を望みました。

穴沢利夫さんと智恵子さん(昭和17年春)
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けれど、穴沢大尉の郷里の兄が猛反対しました。
当時は、よくあったのです。都会の娘なんて信用できないというのです。
それにひきずられて両親も結婚に反対しました。

時は大東亜戦争の真っ只中です。

穴沢大尉は、昭和18年10月1日、戦時特例法によって大学を繰り上げ卒業となりました。
そして陸軍特別操縦見習士官第一期生として、熊谷陸軍飛行学校相模教育隊に入隊します。

穴沢大尉は、入隊の時点で死を決意されていたようです。
~~~~~~~~~~
智恵子様へ
僕が唯一最愛の女性として選んだ人があなたでなかったら、こんなにも安らかな気持ちでゆくことはできないでせう。
どんなことがあっても、あなたならきつと立派に強く生きてゆけるに違ひないと信じます。
昭和18年9月6日夜
~~~~~~~~~~~

穴沢大尉が、まだ内地で厳しい訓練にいそしんでいる頃、昭和19年7月に、サイパンが陥落しました。
同年10月、神風特別攻撃隊が編成されました。

そして、昭和19年12月8日、飛行第二四六戦隊に配属されていた穴沢大尉のもとに、特別攻撃隊第二〇振武隊員選抜の知らせが届きます。

そのとき、大尉の任地である三重県の亀山兵舎に、智恵子さんが訪ねて来てくれました。
東京から、夜行列車に乗っての旅です。
当時は、そうやってやってくるだけでも、たいへんなことでした。

同僚達は気をきかせて、二人を旅館に送りだしました。
けれど穴沢大尉は、連日の猛訓練の疲れで、寝てしまったそうです。

二人は清い交際のままででした。
~~~~~~~~
わかれても
またも会ふべく思えば
心 充たれて
わが恋かなし

智恵子
~~~~~~~~~~~

昭和20年3月8日、穴沢大尉は、隊長から出撃前の特別休暇をもらって帰郷しました。
彼は、両親を説得しました。
私は、特攻隊として、この戦争で死にます。
けれど、死ぬ前に、どうしても智恵子さんと一緒になりたいのです。

覚悟の出征です。
「利夫がそこまでいうのなら、先様さえそれで良いのなら・・・」
ご両親は、穴沢大尉の説得に応じます。

穴沢大尉は、翌9日には、さっそく東京の智恵子さんの家を訪ねました。
そして、智恵子さんのご両親にも結婚したい旨を告げ、ご了解をいただきました。

喜んだ穴沢大尉は、その日は、目黒にある大尉の親戚の家に泊まりました。
翌朝の明け方、大事件が起こりました。
東京の3分の1を焼き尽くした3月10日の東京大空襲です。
死者は、8万人以上となりました。

東京大空襲
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智恵子さんの無事を心配した穴沢大尉は、まだ夜が明けないうちに親戚の家を飛び出し、智恵子さんの実家へと焼け跡も生々しい町を、徒歩で向かいました。

ちょうど同じ頃、穴沢大尉の身を案じた智恵子さんも、夜明けとともに目黒に向かっていたのです。
いかなる偶然なのでしょう。
それともお二人の引き合う気持ちがなせるわざだったのか、二人は、大鳥神社のあたりで、バッタリと出会いました。

互いに生きていた。
いまどきなら、そこでハグでもしそうなところですが、当時はそんなんじゃありません。
互いの姿を見て、互いに生き残ったことを喜び合いました。
それだけです。

穴沢大尉は、そうした戦火の中にあっても、当日は任務で大宮の飛行場に帰らなければなりません。
智恵子さんは、穴沢大尉を送って、二人で国電に乗りこみました。

ところが空襲の直後のことです。
国電は空襲のあとで避難する人があふれかえって超満員です。
あまりの混雑で智恵子さんは息苦しくなり、穴沢大尉の勧めもあって池袋駅で電車を降りました。

そしてこれが、二人の永遠の別れとなりました。




※明日のメルマガに続く


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