■■ Japan On the Globe(1223)■■ 国際派日本人養成講座 ■■
国柄探訪: ブラジルで花開いた「日本の心」
地球の裏側で苦労しながら、美しい「日本の心」を花開かせている同胞たち。
■転送歓迎■ R03.07.04 ■ 40,541 Copies ■ 7,487,950Views■
無料購読申込・取消: http://blog.jog-net.jp/
https://in.powergame.jp/issj_2106_plc1-1
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■■■YouTube無料セミナー「歴史総合」教科書読み比べ■■■
第2回 「韓国併合」は何のため? 利権か、自衛か?
https://youtu.be/GTaeh2e0b5Y
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■1.「日本移民は日本国がブラジル国に与えた最大の『プレゼント』」
「日本移民は日本国がブラジル国に与えた最大の『プレゼント』です」とは、かつてのサンパウロ州知事、故マリオ・コーバス氏が、上皇上皇后両陛下がかつてブラジルを訪問された時に、歓迎の挨拶で述べられた言葉だそうです。日本移民の勤勉、道徳、信用は、まさしくブラジル国民によきお手本を示しています。
この事は、私もブラジルでいくつかの工場を視察して、実感したことでした。ブラジル国民は楽天的でフレンドリーな反面、物事をきちんきちんと片付けていくという几帳面さに欠けた人が見受けられます。日本企業の現地工場ではこの面で苦労していますが、ある工場では工場長以下の幹部が日系人で、この点を見事に社員教育で補っていました。
この「日本の心」を日本人がどのようにブラジルに持ち込み、継承してきたか、日系二世の村崎道徳(みちのり)さんが、エッセイ集『血胤(けついん)の声を聴け』に書かれています。血胤とは「血筋を同じくするもの、血族」という意味です。ブラジルの日系人は、まさしく我々の血胤です。
村崎さんとは一昨年、ブラジルを訪問した際に、サンパウロでお会いしました。まさに背筋を伸ばしたかつての日本人という御風貌でした。氏のご両親は戦前にブラジルに移住して、氏は昭和六年、四男として生まれました。このエッセイ集からは、戦前の日本人が持っていた「日本の心」がお母様を通じて、どのように二世の氏に伝えられてきたのか、よく窺うことができます。
■2.「ブラジルに来たけれど、お母さんは失敗だったと思う」
戦前の日本から地球の裏側のブラジルに移民するには、現代では想像もつかないほどの覚悟が必要だったでしょう。
__________
行け行け同胞 海越えて/遠く南米ブラジルへ
御国の光 輝かせ/今日の 船出は 頼母(たのも)しや
万歳 万歳 万々歳
この歌は日本移民が海外に移住する時の激励、励ましの歌であります。
私の父母たちも神戸港からブラジルに旅立つとき、商船学校の生徒の皆さんが小船で何処までも後になり先になりして、この歌を歌って見送って下さったそうです。このようにして送られて来た父母たちは、日本の心を忘れてはならない、自分たちは日本を代表しているのだと自覚したそうです。[村崎、p78]
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こうして国を出られたお母様は、しかし、ブラジルに移民してきたことを「失敗した」と思われていたようです。
__________
六十余年前のことですが、母は悩んだそうです。ブラジルに来たけれど、お母さんは失敗だったと思う。何故なら、文化の違いの中にあなた達を投げ込むのが本当に悲しい。「現地人の子等が日本にも月が有るか」と、聞くほどレベルが低いのです。[村崎、p64]
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低い文化の中に自分の子供たちを投げ込むのが「本当に悲しい」。それは立派な「日本の心」を持って、幸せに生きて欲しいと願う親心でしょう。この危機感がお母様を動かしました。その様子を村崎さんは手紙でこう書いてくれました。
__________
サンパウロ州奥地の昼なお暗い原始林の中で・・・母は、私たち兄妹に全情熱を傾けて日本人に育てるぞと覚悟を決めたそうです。村の子供たちも二十人くらいを呼び集め、家の一部屋を開放して学校を始めた。講義は何時も一番大事な、道徳心、約束を守る責任感を育てるために修身教科書に重きを置いて教えた様です。
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文化とは一人ひとりの生き方であり、こういう真摯な努力によって継承されるものです。日本にいれば勝手に日本文化が身につく、というような甘いものではありません。
■3.「人間の生べき行ない、人類の行なうべき道」
文化のレベルの低いところに来た、とお母様は悩まれたのですが、だからと言って、周囲を差別したりしないところに、日本の心が現れていました。
__________
祖父父母たち一世は、人間の生べき行ない、人類の行なうべき道を身を以って指し示している。
例えば、あの頃の物資不足の時、近所のブラジル人が米がない塩がないと言って来れば、黙って分け与えていたのだ。母は産婆の資格があって、遠い道も厭わず、又、四十度を越す炎天下でも、唯ひたすら無報酬で赤ちやんの誕生を手伝っていた。アフリカ系の黒人婦人も、イタリア系ドイツ系の婦人にも愛の手を差し伸べていた母。その母が一言、私ら兄弟に戒めたことが有ります。
「貴方達はブラジルに育ちブラジル語を習うのですが、日本語を忘れてはいけません。何故なら日本語の中に日本精神が有り大和魂が有るのですよ。明治天皇さまが定められた教育に関する勅語の中に、太陽が自然を育むように、人間としての道、人類が助け合つてこの世に生きる根本の意味が書き記して有るのです」、五十年前の母の言葉で有ります。[村崎、p55]
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お母様の言われる「日本精神」「大和魂」は、「日本の心」ということです。これらの言葉から、すぐに「軍国主義だ」と短絡的な条件反射をしてしまう現代日本人も多いのですが、村崎さんのお母様は、こうも補足されています。
__________
和とは大和の心、即ち大和魂であります。大和魂は戦争を好む心ではありません。人々を平和の心で大きく包み、強く導いて行く心だと母に言い聞かされました。[村崎、p88]
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お母様が40度を超す炎天下でも黒人や白人のお産を助けに行かれた姿勢こそ「日本の心」であり、「人々を平和の心で大きく包み、強く導いて行く心」です。そして、それは日本人だけの専有物ではなく、「人間の生べき行ない、人類の行なうべき道」なのです。
■4.「日本語の中に日本の心が生きて居るのです」
お母様が「日本語の中に日本精神が有り大和魂が有る」と言われた点にも留意しましょう。
日本語教育に関しては、弊誌1122号「川村真倫子先生 ~ 美しい日本語をブラジルの子供たちに伝えて60年」[JOG(1122)]でご紹介した中に、次のような一節があります。川村先生は1953年に最初の日本語学校「松柏(しょうはく)塾」を開いた時に、戦前の国語教科書を使い始めました。周囲からは古臭いと揶揄されたましたが、こんな一節がありました。
__________
「あさのひかり、おはよう! おはよう! みんなともだち」
日本語の教科書は、まるで一つの映像を映し出すように、人としての大切なことを、子どもたちに優しく語りかけてくれます。・・・
言葉を覚えながら、太陽の輝きや木々のたたずまい、水の流れを感じ、その生命と交わす挨拶を覚え、人と仲良くすることを覚える。日本の国語の教科書は、人生の生命そのものなのです。[川村,p27]
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村崎さんは、日本語教育に関してお手紙でこう書かれています。
__________
如何に日本の心を伝えるか、日本の方は実感が分からないと思いますが、外国で生きるとき日本の心を伝えるのは日本語より他には有り得ません。其れも教育勅語の精神が元でなければ意味が有りません。我が家では子供たちに家庭内では全て正確な日本語の発声法と正しい日本語を話させました。・・・
例えば貴方達は日系人ですが日系人は何時までも日本人の血を受け継いだ純粋な日本人で有ると自覚してブラジルの大地に活躍するのですと。十二三歳の甥や姪は素直にコックリ頷いて私の意見を聞いてくれた。私は三代に渡り母の心のバトンをこの子らに渡した思いがして嬉しかった。
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思えば、村崎さん、川村先生とその教え子さんたちは折り目正しい、美しい日本語を話されていました。その見事な一例が、川村先生の教え子、高校生・宮崎真優(まゆ)さんの「天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い」でのスピーチです。ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=sx0wsjmdre4&ab_channel=carlosyukito
■5.「僕はお祖母さんの講話が大好きだよ」
__________
さて、私は子供の頃日本人とは何か、西洋人との考えの違いや信念の違いを子供心に疑問に思い母に問い質しました。母は日本人にはその昔、神代時代があり神の国を生活していました。日本人は正直に愛深く助け合って生活していたので、嘘を言う必要も他人の物を取る必要もなかった、と話してくれました。
また明治の初め頃、人類を育む愛深い「教育勅語」と言う素晴らしい教えが日本に生まれて、日本人を正しく世界の人々のモデルに成るように諭してあるのが「教育勅語」の心ですとも教えてくれました。[村崎、p26]
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こういう「日本人」の一例を、村崎さんは本の中で挙げています。
日系三世の西沢幸一少年です。西沢少年は、夜学の帰りにバス停に来たら、5、6人の不良青年たちが、日系少女の髪を掴んで引き回し、金品を盗もうとしていました。バス停で14、5人の人が待っていましたが、怖くてだれも手を出さない。西沢少年は柔道で、不良たちをなぎ倒しました。彼らが拳銃を持っていたら、撃ち殺されたかも知れませんが、幸いでした。
この西沢少年は、ポルトガル語と日本語で村崎さんにこう言ったことがあるそうです。
__________
人間は“見て呉れ”ではない、内面つまり「心」「精神」を大事にせねばならないよね、小父さん、僕はお祖母さんの講話が大好きだよ。修身の教えは、人類共通の大事な教えだと思う。[村崎、p61]
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彼のお祖母さんは…
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「日本移民は日本国がブラジル国に与えた最大の『プレゼント』です」とは、かつてのサンパウロ州知事、故マリオ・コーバス氏が、上皇上皇后両陛下がかつてブラジルを訪問された時に、歓迎の挨拶で述べられた言葉だそうです。日本移民の勤勉、道徳、信用は、まさしくブラジル国民によきお手本を示しています。
この事は、私もブラジルでいくつかの工場を視察して、実感したことでした。ブラジル国民は楽天的でフレンドリーな反面、物事をきちんきちんと片付けていくという几帳面さに欠けた人が見受けられます。日本企業の現地工場ではこの面で苦労していますが、ある工場では工場長以下の幹部が日系人で、この点を見事に社員教育で補っていました。
この「日本の心」を日本人がどのようにブラジルに持ち込み、継承してきたか、日系二世の村崎道徳(みちのり)さんが、エッセイ集『血胤(けついん)の声を聴け』に書かれています。血胤とは「血筋を同じくするもの、血族」という意味です。ブラジルの日系人は、まさしく我々の血胤です。
村崎さんとは一昨年、ブラジルを訪問した際に、サンパウロでお会いしました。まさに背筋を伸ばしたかつての日本人という御風貌でした。氏のご両親は戦前にブラジルに移住して、氏は昭和六年、四男として生まれました。このエッセイ集からは、戦前の日本人が持っていた「日本の心」がお母様を通じて、どのように二世の氏に伝えられてきたのか、よく窺うことができます。
■2.「ブラジルに来たけれど、お母さんは失敗だったと思う」
戦前の日本から地球の裏側のブラジルに移民するには、現代では想像もつかないほどの覚悟が必要だったでしょう。
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行け行け同胞 海越えて/遠く南米ブラジルへ
御国の光 輝かせ/今日の 船出は 頼母(たのも)しや
万歳 万歳 万々歳
この歌は日本移民が海外に移住する時の激励、励ましの歌であります。
私の父母たちも神戸港からブラジルに旅立つとき、商船学校の生徒の皆さんが小船で何処までも後になり先になりして、この歌を歌って見送って下さったそうです。このようにして送られて来た父母たちは、日本の心を忘れてはならない、自分たちは日本を代表しているのだと自覚したそうです。[村崎、p78]
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こうして国を出られたお母様は、しかし、ブラジルに移民してきたことを「失敗した」と思われていたようです。
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六十余年前のことですが、母は悩んだそうです。ブラジルに来たけれど、お母さんは失敗だったと思う。何故なら、文化の違いの中にあなた達を投げ込むのが本当に悲しい。「現地人の子等が日本にも月が有るか」と、聞くほどレベルが低いのです。[村崎、p64]
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低い文化の中に自分の子供たちを投げ込むのが「本当に悲しい」。それは立派な「日本の心」を持って、幸せに生きて欲しいと願う親心でしょう。この危機感がお母様を動かしました。その様子を村崎さんは手紙でこう書いてくれました。
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サンパウロ州奥地の昼なお暗い原始林の中で・・・母は、私たち兄妹に全情熱を傾けて日本人に育てるぞと覚悟を決めたそうです。村の子供たちも二十人くらいを呼び集め、家の一部屋を開放して学校を始めた。講義は何時も一番大事な、道徳心、約束を守る責任感を育てるために修身教科書に重きを置いて教えた様です。
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文化とは一人ひとりの生き方であり、こういう真摯な努力によって継承されるものです。日本にいれば勝手に日本文化が身につく、というような甘いものではありません。
■3.「人間の生べき行ない、人類の行なうべき道」
文化のレベルの低いところに来た、とお母様は悩まれたのですが、だからと言って、周囲を差別したりしないところに、日本の心が現れていました。
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祖父父母たち一世は、人間の生べき行ない、人類の行なうべき道を身を以って指し示している。
例えば、あの頃の物資不足の時、近所のブラジル人が米がない塩がないと言って来れば、黙って分け与えていたのだ。母は産婆の資格があって、遠い道も厭わず、又、四十度を越す炎天下でも、唯ひたすら無報酬で赤ちやんの誕生を手伝っていた。アフリカ系の黒人婦人も、イタリア系ドイツ系の婦人にも愛の手を差し伸べていた母。その母が一言、私ら兄弟に戒めたことが有ります。
「貴方達はブラジルに育ちブラジル語を習うのですが、日本語を忘れてはいけません。何故なら日本語の中に日本精神が有り大和魂が有るのですよ。明治天皇さまが定められた教育に関する勅語の中に、太陽が自然を育むように、人間としての道、人類が助け合つてこの世に生きる根本の意味が書き記して有るのです」、五十年前の母の言葉で有ります。[村崎、p55]
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お母様の言われる「日本精神」「大和魂」は、「日本の心」ということです。これらの言葉から、すぐに「軍国主義だ」と短絡的な条件反射をしてしまう現代日本人も多いのですが、村崎さんのお母様は、こうも補足されています。
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和とは大和の心、即ち大和魂であります。大和魂は戦争を好む心ではありません。人々を平和の心で大きく包み、強く導いて行く心だと母に言い聞かされました。[村崎、p88]
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お母様が40度を超す炎天下でも黒人や白人のお産を助けに行かれた姿勢こそ「日本の心」であり、「人々を平和の心で大きく包み、強く導いて行く心」です。そして、それは日本人だけの専有物ではなく、「人間の生べき行ない、人類の行なうべき道」なのです。
■4.「日本語の中に日本の心が生きて居るのです」
お母様が「日本語の中に日本精神が有り大和魂が有る」と言われた点にも留意しましょう。
日本語教育に関しては、弊誌1122号「川村真倫子先生 ~ 美しい日本語をブラジルの子供たちに伝えて60年」[JOG(1122)]でご紹介した中に、次のような一節があります。川村先生は1953年に最初の日本語学校「松柏(しょうはく)塾」を開いた時に、戦前の国語教科書を使い始めました。周囲からは古臭いと揶揄されたましたが、こんな一節がありました。
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「あさのひかり、おはよう! おはよう! みんなともだち」
日本語の教科書は、まるで一つの映像を映し出すように、人としての大切なことを、子どもたちに優しく語りかけてくれます。・・・
言葉を覚えながら、太陽の輝きや木々のたたずまい、水の流れを感じ、その生命と交わす挨拶を覚え、人と仲良くすることを覚える。日本の国語の教科書は、人生の生命そのものなのです。[川村,p27]
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村崎さんは、日本語教育に関してお手紙でこう書かれています。
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如何に日本の心を伝えるか、日本の方は実感が分からないと思いますが、外国で生きるとき日本の心を伝えるのは日本語より他には有り得ません。其れも教育勅語の精神が元でなければ意味が有りません。我が家では子供たちに家庭内では全て正確な日本語の発声法と正しい日本語を話させました。・・・
例えば貴方達は日系人ですが日系人は何時までも日本人の血を受け継いだ純粋な日本人で有ると自覚してブラジルの大地に活躍するのですと。十二三歳の甥や姪は素直にコックリ頷いて私の意見を聞いてくれた。私は三代に渡り母の心のバトンをこの子らに渡した思いがして嬉しかった。
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さて、私は子供の頃日本人とは何か、西洋人との考えの違いや信念の違いを子供心に疑問に思い母に問い質しました。母は日本人にはその昔、神代時代があり神の国を生活していました。日本人は正直に愛深く助け合って生活していたので、嘘を言う必要も他人の物を取る必要もなかった、と話してくれました。
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こういう「日本人」の一例を、村崎さんは本の中で挙げています。
日系三世の西沢幸一少年です。西沢少年は、夜学の帰りにバス停に来たら、5、6人の不良青年たちが、日系少女の髪を掴んで引き回し、金品を盗もうとしていました。バス停で14、5人の人が待っていましたが、怖くてだれも手を出さない。西沢少年は柔道で、不良たちをなぎ倒しました。彼らが拳銃を持っていたら、撃ち殺されたかも知れませんが、幸いでした。
この西沢少年は、ポルトガル語と日本語で村崎さんにこう言ったことがあるそうです。
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人間は“見て呉れ”ではない、内面つまり「心」「精神」を大事にせねばならないよね、小父さん、僕はお祖母さんの講話が大好きだよ。修身の教えは、人類共通の大事な教えだと思う。[村崎、p61]
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彼のお祖母さんは…
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