■■ Japan On the Globe(1203)■■ 国際派日本人養成講座 ■■
国柄探訪: 国難を乗り越えた昭和天皇と国民の絆
~ Live講座(2/21)への予告編
大東亜戦争とその敗戦という危機を乗り越えた天皇と国民の絆。
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■国際派日本人養成講座 LIVE 第4弾「皇室が紡いだ救国の歴史」昭和天皇の祈り 編■
現在の日本の危機を乗り越えるために、先人たちが過去の国難を皇室の祈りを中心に、のりこえてきた歴史を振り返ります。
■開催日時 ★来週です!★ 2/21(日)AM 10:00~11:30
■販売価格:
[一般] ¥4480(税抜)←通常価格¥7,980(税抜)
-「まとめて受講セット」(下記*)は、¥7960(税抜)
詳細・申込 https://in.powergame.jp/isknk1_2101_release_is_gene
[学割] ¥1480
-「まとめて受講セット」は、¥1960(税抜)
詳細・申込 https://in.powergame.jp/isknk1_2101_release_is_stu
*「まとめて受講セット」・・・残り2回のLIVE講座、さらに特典として、フォローアップ講座・PDFレポートをお付けするプランです。
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■1.先人たちがどのような思いで、国を守ってくれたのか。
現在の日本は史上何度目かの国難を迎えつつあります。増大する中国の脅威に対し、アメリカのバイデン政権の姿勢はまだよく見えませんが、トランプ政権の時ですら安倍-トランプの個人的関係に頼っていては、国家百年の安全保障は築けません。やはり、自前の防衛力を整備しつつ、自主独立外交によって自由主義諸国との連帯を構築していかなければなりません。
そのエネルギー源が、国民の気概です。国民が自主独立の気概を持たなければ、自前の防衛力も整備できず、主体的な外交もできません。気概を奮い起こすには、我々の先人が過去の国難を突破してきた歴史を振り返ってみる事が有益です。
歴史は、どのように国を守ればよいのか、という知識を得るためだけではありません。先人たちがどのような思いで国を守ってくれたのか、を知ることによって、我々もまた子孫のために、何としても日本を守らなければ、という気概を育てることにつながります。
来週の日曜日21日から、月1回、3ヶ月にわたってオンライン・ライブ講座「皇室が紡いだ救国の歴史」を開催しますが、その目的はここにあります。今回は、その第1講「大東亜戦争と昭和天皇の祈り」の導入部をご紹介させていただきます。
■2.三者三様の敗戦
先の大戦で、我が国はドイツ、イタリアと三国同盟を結んで戦ったのですが、それぞれの敗戦ぶりは、それぞれのお国柄をよく現していました。
イタリアは、1943年7月、シチリアを連合国軍に占領され、本土への空襲が激しくなると、ムッソリーニは失脚。国王が任命した後継のバドリオ政権は、無条件降伏に基づく休戦協定を連合軍と結びました。
しかし、ムッソリーニはドイツ軍の支援を得て、イタリア社会共和国を設立し、なおも戦いを続けました。バドリオ政権はドイツに宣戦布告をし、同一民族が連合国側とドイツ側に分かれて、同胞相撃つ悲劇が展開されたのです。最終的にはムッソリーニは処刑され、戦後、国民投票によって王室は廃止されました。
ドイツでは、ヒトラーが降伏を拒否して、ドイツ軍を勝ち目のない戦闘に駆り立てていました。ヒトラー暗殺計画は何度も試みられましたが失敗し、また秘密裡の和平工作も実を結びませんでした。最後にはヒットラーは自殺し、他の指導者たちも自殺、逃亡、あるいは逮捕され、ドイツは無政府状態に陥りました。
軍は無統制のまま、各部隊が個別に降伏。全土が連合軍に占領され、その隙にソ連軍が東独を占拠して東西分裂を招いたのです。
三国の中では、日本は昭和天皇の玉音放送に従って、統一を維持したまま条件付き降伏にこぎつけました。内外8百万の軍隊が、わずか一日で降伏を受け入れ、矛を収めたのは、世界史にも例のない整然たる引き際でした。
■3.「日本破れたりとはいへ」
もし日本が、イタリアのように降伏か徹底抗戦かをめぐって国内がまとまらなかったら、どうなっていたでしょうか?
中国大陸にはほとんど無傷の陸軍120万人がいました。本土が降伏しても、これだけの将兵が中国大陸でゲリラ戦を続けていたら、ベトナム戦争と同様、米軍といえども何年も手を焼いたはずです。その間、荒廃した日本本土は放置され、急速な戦後復興などは夢のまた夢だったでしょう。
また、ドイツのように最後まで徹底抗戦を続けていたらどうなったでしょう。ソ連軍が北海道、東北地方に入り込んで、ドイツのように分割占領となった可能性が大です。
こう考えると、日本の整然たる降伏は、急速な戦後復興と、その後の高度成長を可能にしたものであると言えます。中華民国国民政府の外交部長(外務大臣)王世杰(おうせいけつ)は、こう語っています。
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日本破れたりとはいへ、その国民性は決して軽視することができぬ。例へば日本国民の皇室に対する忠誠、敗戦後における威武不屈、秩序整然たる態度はわが国の範とするに足る[JOG(034)]
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■4.「すみやかに原爆を落とせ」
しかし日本の降伏は幾多の苦難を乗り越えて、辿り着いたものでした。
1945年7月16日、アメリカでは原爆実験が成功していました。アイゼンハワー連合軍最高司令官ほか米陸海軍トップは「原爆は不要」「日本は降伏しようとしている。条件を示して降伏させるべき」と主張していました。ソ連軍が東欧を占領した失敗を極東で繰り返してはならないという思いからです。
7月26日、ポツダム宣言が発せられましたが、原案にあった立憲君主制容認条項をトルーマン大統領が削除しました。トルーマンは日記に「やつらは降伏しないであろう」と書き、「すみやかに原爆を落とせ」と命令しました。トルーマンは原爆が日本を降伏させたという形を作り、それによってソ連に対して優位に立とうとした、と推察されています。[JOG(099)]
8月6日、広島が原爆攻撃を受け、9日にはソ連が満洲侵攻を開始し、また第二の原爆が長崎に落とされました。この9日深夜、昭和天皇の御前で最高戦争指導者会議が開かれました。「天皇の国法上の地位を変更しない」という条件のみをつけて受諾しようというものが東郷外相ら3名。阿南陸相ら3名は、さらに占領、武装解除、戦犯処置に関する3条件の追加要求を主張しました。
このまま鈴木首相が前者に賛成すれば、4対3の多数決で決議できます。しかし、鈴木はあえてそうせずに、静かに真っすぐに陛下の前に進み、大きな体を低くかがめて礼をしてから言いました。
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遺憾ながら3対3のまま、なお議決することができません。この上は、まことに異例でおそれ多いことでございますが、御聖断を拝しまして、本会議の結論といたしたいと存じます。
後に昭和天皇は次のように述べている。
いまや何人の権限を犯すこともなく、また何人の責任にもふれることなしに、自由に私の意見を発表して差し支えない機会を初めて与えられた。・・・私と肝胆相許した鈴木であったから、このことができたのであった。[小堀,p252]
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鈴木が多数決の形をとらなかったのは、それでは軍の強硬派が納得すまいと考えたからでしょう。
■5.「私自身はいかになろうとも、私は国民の生命を助けたいと思う」
天皇はこう述べられました。
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空襲は激化しており、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れ、文化を破壊し、世界人類の不幸を招くのは、私の欲していないところである。私の任務は祖先から受け継いだ日本という国を子孫に伝えることである。
今となっては、一人でも多くの国民に生き残っていてもらって、その人たちに将来再び立ち上がってもらうほか道はない。・・・私は涙を飲んでポツダム宣言受諾に賛成する。[半藤,p350]
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鈴木は御聖断をもって最高戦争指導者会議の結論とし、さらに閣議の決定を行いました。よく誤解されますが、御聖断と言っても、昭和天皇が決定を下したわけではありません。あくまで日本政府の正式な決定であり、その際に昭和天皇のご意見を伺ったという事です。法的には「御聖断」というより「御聖旨」というべきでしょう。
日本政府は、この決定に従い、「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解のもとに」ポツダム宣言を受諾すると回答しました。それに対する連合国の返答は「最終的の日本国の政府の形態は・・・日本国国民の中に表明する意志により決定されるべきものとす」というものでした。
これでは「天皇の国家統治の大権」を変更しない、という保証になっていないと大本営は反対し、二度目の御前会議が8月14日に開かれました。各人の意見陳述の後、昭和天皇は「私自身はいかになろうとも、私は国民の生命を助けたいと思う」と述べられました。これで最終的な決定が下されました。
そして、翌8月15日、昭和天皇が直接ラジオで国民に呼びかけられる玉音放送がなされ、陸海軍が矛を収めました。この御聖断により、我が国はイタリアのような内戦も、ドイツのような徹底抗戦も避けることができたのです。
■6.「天皇陛下さまと一緒に私も頑張ります」
終戦の半年後、昭和21年2月から昭和天皇は全国ご巡幸を開始されます。昭和29年まで8年半続き、総旅程は3万3千キロ、沖縄を除く全都道府県をご訪問になりました。
その動機を、昭和天皇は次のように語られています。
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この戦争により先祖からの領土を失ひ、国民の多くの生命を失ひ、たいへん災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればよいのかと考へ、また退位も考えた。
しかし、よくよく考へた末、全国を隈無く歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちがらせる為の勇気を与へることが自分の責任…
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