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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和2年(2020)6月27日(土曜日)
通巻第6558号 <前日発行>
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「在独米軍を削減する。その兵力をインドへシフトさせる」とポンペオ国務長官
中国の脅威がインド、ベトナム、マレーシアに迫っている
***************************************
「負担が少なすぎる」
かねてからトランプ政権はドイツに苦情を述べてきた。
在独米軍経費の一部を負担せよという要求だが、ドイツは何処吹く風と受け流してきた。先週、トランプ大統領は在独米軍の9500名を削減すると一方的に発表した。ところがEU議会も沈黙、NATOも気にしている様子がない。
6月26日、ポンペオ国務長官は「中国の軍事的脅威がインド、ベトナムなどに迫っている。中印国境のラダック地区では軍事衝突がおきた。在独米軍の削減兵力を、中国の脅威に対応できるために移動する」として、候補地にインド、ベトナムなどをあげた。
米軍の駐留は主権にかかわる大問題であり、ベトナムやインドのようなナショナリズムが強い国が、すんなりと外国軍の駐留を受け入れる筈はないだろう。かのフィリピンだって米軍を追い出したのだから。
ましてや安保条約の締結も必要となる。
あまつさえ米軍の移動は国防省ペンタゴンの管轄であり、国務長官と雖も、この発言は越権行為だが、ポンペオをなじる声は聞こえない。
インドの最有力英字紙『ザ・タイムズ・オブ・インディア』(6月27日電子版)は、一面トップで、この報道を行った。
他方で、ポンペオ国務長官はハワイに於ける米中外交首脳会談が成果なく終わってことを踏まえて、EUと中国を議題とする対話を開始するとした。
☆○▽◇み◎○△□や○△□◇ざ◎○△□き△□☆☆
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集中連載 「早朝特急」(22)
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第二部 「暴走老人 アジアへ」(その2)
第一章 「中国の代理人」=カンボジア
▲シアヌークビルは中国の植民地化していた
十年ほど前まで、プノンペンへの直行便はなく、バンコクか、ハノイ乗換のシェムリアップ行きがほとんどだった。世界遺産のアンコール・ワット、アンコール・トムへの観光が日本人ツアーの主力だった。首都のプノンペンは素通りだったのである。
カンボジアの再建にもっとも貢献したのは日本だった。
いつしか、そのことを忘れ、カネを運んでくれる国にカンボジア政府はなびく。大事なアセアン会議でも中国非難声明を潰すのはきまってカンボジアだ。コロナ騒ぎの時のWHOのテドロス議長に、その行為は似ている。
世界秩序をかき荒らす無法者をフンセン政権はいつも支持する。それゆえ国際社会ではフンセン首相の評判は芳しくないが、国内政治を見やれば、カンボジアは事実上のフンセン独裁だから国民の不満の声は聞こえてこない。
昨今、プノンペンにごっそりとカネをもって来たのは中国だった。
カンボジアの首都、プノンペンへは成田空港から直行便が就航し、ANAで六時間ちょっと、機内はいつも満員に近かった。コロナ前の話である。日本人客は出張客が多いためビジネスクラスが先に満席となる。ツアー客はプノンペンで乗り換えて、シェムリアップへ行く。アンコール・ワット、アンコール・トムが観光の目玉だからで、プノンペンで降りる観光客はやけに少ないのである。いまでは市内に日本経営の「東横イン」もあって、観光客ばかりか、相当数のビジネスマンがいる。そこから900メートルほど歩くとイオンモールだが、目の前のマンション街はチャイナタウンである。
さて南西のシアヌークビル港へ行くとなると、ほとんどの日本人は場所さえ知らないのではないか。
中国はこの港を軍港化するために迂回戦術をとって、軍事的覇権の野心を隠し、シアヌークビル大開発に乗り出したのだ。
シアヌークビルの異変は数年前からである。
それまでは静かなリゾートで西洋人が多く、沖合の島には隠れ家を求めるかのようにロッジ、山小屋のような小さな旅籠、ヒッピーのような若者が長期滞在していた。ためしに筆者も家内と行ってみたが、喫茶店もビーチも全員が中国人だった。あの西洋人ヒッピー達は何処へ行ったのだろう。
洒落た喫茶店で珈琲を飲んだ。一杯2ドルだった。高い天井には旧式の扇風機、店員は島の人だろうか純朴で愛想が良い。
かくしてシアヌークビルの景観が変わり、中国人ツアーがやってくると、むしろ西洋人は次の穴場を求めて出て行った。世界のヒッピーが屯するのはベトナムのダナン南にあるホエアンとか、もっと南のニャチャンとかに移動したと聞いている。そうか、ベトナムだけが、中国人観光客が少ない穴場なのだ。
シアヌークビルは、カジノを認めたことが嚆矢となって、どっと中国資本、労働者そして、得体の知れない中国人が入り込んできた。カンボジア政府さえ、実数を掴んでいないが、筆者の見たところ、30万人近くがいるのではないか。
プノンペンからバスで五時間、さきに北のコックンと港町を寄り道し、そこから一日一本しかない長距離バスを五時間のって、シアヌークビルに到着した。コックンはタイとの国境の町で橋を渡ればタイだ。つまりタイの繊維産業が国境に工場を作り、田舎町の若い人たちを安く雇用している。
EUの偵察衛星は、この山の中に中国軍が空港を造成しているとしているが、地元の人も知らなかった。
コックンからのバスは雨の中を疾駆してシアヌークビルの真ん中あたりにあるターミナルに着いた。昼時だったので、バス駅前のレストランにとりあえず入ると、重慶料理。上半身裸の恰幅の良い中国人の男たちが、にこにこと笑いながら注文を取りに来る。
「あんたたち中国の何処から」
「重慶さ、このあたりは重慶人ばっかだよ」
重慶料理はともかく辛い。唐辛子をふんだんに使うので汗を掻く。どうやら地区によって出身地で仕切られているようだが、シアヌークビルは重慶マフィアの本場らしく、そのうえ一軒家を借りて、ヴァーチャルカジノ経営や、あげくはオレオレ詐欺の電話発信拠点としている。手入れがあって容疑者が逮捕される事件は後を絶たない。
すでに市内には50軒のカジノホテルが林立しており、その周囲は高層マンション。どこもここも工事の槌音、ホテルで目覚めて窓を開けると、高層マンションに囲まれて、海に近いのに海が見えない。そういえば、宿泊したホテルも中国資本、フロントでは北京語が通じる。
フロントの中国系とみられる若い男に尋ねた。
「中国人のお客さんが多いのですか?」
「全部ですよ、あなた方のような日本人が来るのは一年に二人くらいです」
▲カンボジアの惨劇は風化していない
カンボジアと聞いて日本人の印象はといえば、アンコール・ワットとポル・ポトの大虐殺くらいかもしれない。都市住民を二百万人とか三百万人も虐殺したのは「仏教国のやることか」と世界が震撼した。
あのような狂気を運んだのは中国だった。
中国共産党に使族(しそう)されたポル・ポトの狂気は原始的は方法で同胞を残酷に虐殺しまくった。
映画にもなった、あの「キリングフィールド」から四十数年、たしかに悪夢は去った。
1975年から五年間で、最大300万人とも言われる人々が虐殺された。だからカンボジアの随所に、頭蓋骨をそのまま積み上げ、ガラスケースの納めた慰霊塔があって、その隣でカンボジアの人々が平常の生活をしている。
だが、本当に恨みは消えたのか
映画にもなったキリングフィールドの「博物館」はプノンペン市内にあるが、本当に気味が悪い、霊気漂う場所である。
この破壊のあと、カンボジアの再建にもっとも貢献したのは日本だった。
和平会議を東京で開催し、費用は我が国の政府が負担した。シアヌーク殿下は、一つ一つ条文がまとまるとシャンパンを飲んだ。
爾来、「民主カンボジア」などと国名を変えてはみたものの、いつのまにか王制に復帰していた。シアヌーク前国王の葬儀はきらびやかな葬列が続いた。王制には1993年に復帰、またシアヌーク国王の葬儀は2013年2月で日本から秋篠宮殿下が列席した。
そのプノンペンはフランス植民地時代の瀟洒なビルが王宮の周りに残る。王宮広場には幾つかの仏教施設があり、鳩がおびただいく群がって、なにやら優雅な雰囲気を醸し出している。
夕暮れ時に涼を求めて市民が集まってくるのだ。
▲顕著な転換期にはいった
プノンペン新興地区には建設ラッシュが湧いており不動産ブームが起きている。
投資している企業は、これまではベトナム、タイだったが、この数年は圧倒的に中国資本である。ランドマーク的な、ペンギンのかたちをした複合ビルも中国資本、台湾華僑も多少はいるが、あまりの中国からの投資に、台湾系が目立たなくなった。
ベトナムとの国境へは日本が援助したハイウエイが通じている。大型トラックが激しく行き交い、沿線にはカジノ、ラブホも建ち並び、これもまた多くが中国人経営である。カンボジアは中国人が嫌いなはずだが、一番きらいなのはベトナムなので、中国人の横暴も見て見ぬふりをするのだ。
日本人は大使館ならびにJICA関係者と商社マンくらいしかプノンペンに駐在しておらず、そもそも労賃が安いと言っても工業団地もすくなくカンボジアの若者はタイへ出稼ぎに行く。
それでもカンボジアは顕著な変動期を迎えていた。
プノンペンとベトナムの商都ホーチミンを結ぶ高速道路はメコン川をフェリーで渡るため八時間以上かかった。このメコン川に大きな橋を架けた日本の無償援助(85億円)という貢献はネアックル橋(全長5・4キロ)に代表された。開通後、ホーチミンまで六時間に短縮された。南シナ海への出口が拡大されるとカンボジアの輸出産業が活気づいた。
筆者は1017年の11月にもカンボジアを取材している。雨期で、着くなり豪雨に見舞われた。まさに「沛然と降…
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通巻第6558号 <前日発行>
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「在独米軍を削減する。その兵力をインドへシフトさせる」とポンペオ国務長官
中国の脅威がインド、ベトナム、マレーシアに迫っている
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「負担が少なすぎる」
かねてからトランプ政権はドイツに苦情を述べてきた。
在独米軍経費の一部を負担せよという要求だが、ドイツは何処吹く風と受け流してきた。先週、トランプ大統領は在独米軍の9500名を削減すると一方的に発表した。ところがEU議会も沈黙、NATOも気にしている様子がない。
6月26日、ポンペオ国務長官は「中国の軍事的脅威がインド、ベトナムなどに迫っている。中印国境のラダック地区では軍事衝突がおきた。在独米軍の削減兵力を、中国の脅威に対応できるために移動する」として、候補地にインド、ベトナムなどをあげた。
米軍の駐留は主権にかかわる大問題であり、ベトナムやインドのようなナショナリズムが強い国が、すんなりと外国軍の駐留を受け入れる筈はないだろう。かのフィリピンだって米軍を追い出したのだから。
ましてや安保条約の締結も必要となる。
あまつさえ米軍の移動は国防省ペンタゴンの管轄であり、国務長官と雖も、この発言は越権行為だが、ポンペオをなじる声は聞こえない。
インドの最有力英字紙『ザ・タイムズ・オブ・インディア』(6月27日電子版)は、一面トップで、この報道を行った。
他方で、ポンペオ国務長官はハワイに於ける米中外交首脳会談が成果なく終わってことを踏まえて、EUと中国を議題とする対話を開始するとした。
☆○▽◇み◎○△□や○△□◇ざ◎○△□き△□☆☆
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集中連載 「早朝特急」(22)
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第二部 「暴走老人 アジアへ」(その2)
第一章 「中国の代理人」=カンボジア
▲シアヌークビルは中国の植民地化していた
十年ほど前まで、プノンペンへの直行便はなく、バンコクか、ハノイ乗換のシェムリアップ行きがほとんどだった。世界遺産のアンコール・ワット、アンコール・トムへの観光が日本人ツアーの主力だった。首都のプノンペンは素通りだったのである。
カンボジアの再建にもっとも貢献したのは日本だった。
いつしか、そのことを忘れ、カネを運んでくれる国にカンボジア政府はなびく。大事なアセアン会議でも中国非難声明を潰すのはきまってカンボジアだ。コロナ騒ぎの時のWHOのテドロス議長に、その行為は似ている。
世界秩序をかき荒らす無法者をフンセン政権はいつも支持する。それゆえ国際社会ではフンセン首相の評判は芳しくないが、国内政治を見やれば、カンボジアは事実上のフンセン独裁だから国民の不満の声は聞こえてこない。
昨今、プノンペンにごっそりとカネをもって来たのは中国だった。
カンボジアの首都、プノンペンへは成田空港から直行便が就航し、ANAで六時間ちょっと、機内はいつも満員に近かった。コロナ前の話である。日本人客は出張客が多いためビジネスクラスが先に満席となる。ツアー客はプノンペンで乗り換えて、シェムリアップへ行く。アンコール・ワット、アンコール・トムが観光の目玉だからで、プノンペンで降りる観光客はやけに少ないのである。いまでは市内に日本経営の「東横イン」もあって、観光客ばかりか、相当数のビジネスマンがいる。そこから900メートルほど歩くとイオンモールだが、目の前のマンション街はチャイナタウンである。
さて南西のシアヌークビル港へ行くとなると、ほとんどの日本人は場所さえ知らないのではないか。
中国はこの港を軍港化するために迂回戦術をとって、軍事的覇権の野心を隠し、シアヌークビル大開発に乗り出したのだ。
シアヌークビルの異変は数年前からである。
それまでは静かなリゾートで西洋人が多く、沖合の島には隠れ家を求めるかのようにロッジ、山小屋のような小さな旅籠、ヒッピーのような若者が長期滞在していた。ためしに筆者も家内と行ってみたが、喫茶店もビーチも全員が中国人だった。あの西洋人ヒッピー達は何処へ行ったのだろう。
洒落た喫茶店で珈琲を飲んだ。一杯2ドルだった。高い天井には旧式の扇風機、店員は島の人だろうか純朴で愛想が良い。
かくしてシアヌークビルの景観が変わり、中国人ツアーがやってくると、むしろ西洋人は次の穴場を求めて出て行った。世界のヒッピーが屯するのはベトナムのダナン南にあるホエアンとか、もっと南のニャチャンとかに移動したと聞いている。そうか、ベトナムだけが、中国人観光客が少ない穴場なのだ。
シアヌークビルは、カジノを認めたことが嚆矢となって、どっと中国資本、労働者そして、得体の知れない中国人が入り込んできた。カンボジア政府さえ、実数を掴んでいないが、筆者の見たところ、30万人近くがいるのではないか。
プノンペンからバスで五時間、さきに北のコックンと港町を寄り道し、そこから一日一本しかない長距離バスを五時間のって、シアヌークビルに到着した。コックンはタイとの国境の町で橋を渡ればタイだ。つまりタイの繊維産業が国境に工場を作り、田舎町の若い人たちを安く雇用している。
EUの偵察衛星は、この山の中に中国軍が空港を造成しているとしているが、地元の人も知らなかった。
コックンからのバスは雨の中を疾駆してシアヌークビルの真ん中あたりにあるターミナルに着いた。昼時だったので、バス駅前のレストランにとりあえず入ると、重慶料理。上半身裸の恰幅の良い中国人の男たちが、にこにこと笑いながら注文を取りに来る。
「あんたたち中国の何処から」
「重慶さ、このあたりは重慶人ばっかだよ」
重慶料理はともかく辛い。唐辛子をふんだんに使うので汗を掻く。どうやら地区によって出身地で仕切られているようだが、シアヌークビルは重慶マフィアの本場らしく、そのうえ一軒家を借りて、ヴァーチャルカジノ経営や、あげくはオレオレ詐欺の電話発信拠点としている。手入れがあって容疑者が逮捕される事件は後を絶たない。
すでに市内には50軒のカジノホテルが林立しており、その周囲は高層マンション。どこもここも工事の槌音、ホテルで目覚めて窓を開けると、高層マンションに囲まれて、海に近いのに海が見えない。そういえば、宿泊したホテルも中国資本、フロントでは北京語が通じる。
フロントの中国系とみられる若い男に尋ねた。
「中国人のお客さんが多いのですか?」
「全部ですよ、あなた方のような日本人が来るのは一年に二人くらいです」
▲カンボジアの惨劇は風化していない
カンボジアと聞いて日本人の印象はといえば、アンコール・ワットとポル・ポトの大虐殺くらいかもしれない。都市住民を二百万人とか三百万人も虐殺したのは「仏教国のやることか」と世界が震撼した。
あのような狂気を運んだのは中国だった。
中国共産党に使族(しそう)されたポル・ポトの狂気は原始的は方法で同胞を残酷に虐殺しまくった。
映画にもなった、あの「キリングフィールド」から四十数年、たしかに悪夢は去った。
1975年から五年間で、最大300万人とも言われる人々が虐殺された。だからカンボジアの随所に、頭蓋骨をそのまま積み上げ、ガラスケースの納めた慰霊塔があって、その隣でカンボジアの人々が平常の生活をしている。
だが、本当に恨みは消えたのか
映画にもなったキリングフィールドの「博物館」はプノンペン市内にあるが、本当に気味が悪い、霊気漂う場所である。
この破壊のあと、カンボジアの再建にもっとも貢献したのは日本だった。
和平会議を東京で開催し、費用は我が国の政府が負担した。シアヌーク殿下は、一つ一つ条文がまとまるとシャンパンを飲んだ。
爾来、「民主カンボジア」などと国名を変えてはみたものの、いつのまにか王制に復帰していた。シアヌーク前国王の葬儀はきらびやかな葬列が続いた。王制には1993年に復帰、またシアヌーク国王の葬儀は2013年2月で日本から秋篠宮殿下が列席した。
そのプノンペンはフランス植民地時代の瀟洒なビルが王宮の周りに残る。王宮広場には幾つかの仏教施設があり、鳩がおびただいく群がって、なにやら優雅な雰囲気を醸し出している。
夕暮れ時に涼を求めて市民が集まってくるのだ。
▲顕著な転換期にはいった
プノンペン新興地区には建設ラッシュが湧いており不動産ブームが起きている。
投資している企業は、これまではベトナム、タイだったが、この数年は圧倒的に中国資本である。ランドマーク的な、ペンギンのかたちをした複合ビルも中国資本、台湾華僑も多少はいるが、あまりの中国からの投資に、台湾系が目立たなくなった。
ベトナムとの国境へは日本が援助したハイウエイが通じている。大型トラックが激しく行き交い、沿線にはカジノ、ラブホも建ち並び、これもまた多くが中国人経営である。カンボジアは中国人が嫌いなはずだが、一番きらいなのはベトナムなので、中国人の横暴も見て見ぬふりをするのだ。
日本人は大使館ならびにJICA関係者と商社マンくらいしかプノンペンに駐在しておらず、そもそも労賃が安いと言っても工業団地もすくなくカンボジアの若者はタイへ出稼ぎに行く。
それでもカンボジアは顕著な変動期を迎えていた。
プノンペンとベトナムの商都ホーチミンを結ぶ高速道路はメコン川をフェリーで渡るため八時間以上かかった。このメコン川に大きな橋を架けた日本の無償援助(85億円)という貢献はネアックル橋(全長5・4キロ)に代表された。開通後、ホーチミンまで六時間に短縮された。南シナ海への出口が拡大されるとカンボジアの輸出産業が活気づいた。
筆者は1017年の11月にもカンボジアを取材している。雨期で、着くなり豪雨に見舞われた。まさに「沛然と降…
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