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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和2年(2020)6月16日(火曜日)
通巻第6538号
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この話は本当か? 米中外交トップがハワイで秘密会談
明日、ポンペオと楊潔チ(国務委員、政治局員)がホノルルへ?
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14日から華字紙が報じていたが、『サウスチャイナ・モーニングポスト』がトップ記事扱い(6月16日、電子版)。
6月17日にハワイでポンペオ国務長官と、中国外交のトップである楊潔チ(国務委員、政治局員)が膝を交えて面談するためにホノルルへ飛ぶ、という。
米中関係は歴史上かってなかった緊張関係にあり、この状態が続くことは両国にこのましいものではない。解決の糸口を会談を通じて模索できるのではないかと観測筋は分析している。
中国外交部のスポークスマンは、「外交チャンネルを通じてお互いのコミュニケーションは密に行っている」としながらも、会談に関してもコメントがなかった。
王毅外相も「お互いに連絡は取っている」としたが、外交首脳同士の会談の実現性には一言も触れなかった。
北京でコロナウィルス第二次感染が発生し、しかも「新しいコロナ」によるもので、北京は再び封鎖の危機にあり、同時にサバクトビバッタが、湖南省と東北地方の穀倉地帯に出現し、農作物を食い荒らし始めた情報がある。
中国政府の農業担当部署は、二月からサバクトビバッタのアフリカからパキスタンへ飛んだ事情に注目し、数回も対策会議を開催して予防措置を取ってきた。
ところが、襲来ルートと予想された新彊ウイグル自治区、雲南省を越えて、もっともアフリカから遠い旧満州地方に出現したことに驚きの色を隠せない。
☆○▽◇み◎○△□や○△□◇ざ◎○△□き△□☆☆
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集中連載「早朝特急」(3) <この連載は毎回10枚前後 80回ほど続きます>
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第一部 「暴走老人 西へ」(3)
第三章 親日派が多い福建省の福州市へ
▼福州市からアモイ(厦門)へ
こんどは福建省を北から南へ縦断した。このルートは2010年十月に開通した。
福建省というと日本人のイメージは鄭成功、客家の土楼(世界遺産)、台湾人のご先祖、金門島。。。。。。
じつは福建省は中国のなかでも珍しいほどの親日派が多い地域である。GDP世界第二位になったとはいえ、福建省では日本人にむしろ憧れ、羨望を抱く人々が多い。距離的な問題より親日国家=台湾が対岸にあり、台湾企業が夥しく福建省に進出したため彼らを通しての近親観がおそらく最大の原因だ。日本人を軽蔑の目で見る上海人とはどえらい違いがある。
卑近な例でも日本のコンビニで働く中国人に上海人、北京人はほとんどいないが、福建人が多い。尋ねてみるとすぐに分かる。
「アンタどこから来たのか」と。
愛国と政治主義を露骨にだす北京人やエリート的スノビズム丸出しにして、「日本なんか相手にしないゾ」と粋がる上海人と、福建人はまったく趣きが違って、人間的にも穏和で親切な人が目立つのだ。
その福建省に新幹線が南北に繋がったので福州から南端のアモイまで早速、乗ってみた。ただこの工事、中国鉄道部の宣伝によれば僅か600日、五万人で完成したと言っているが、もし本当ならそれほどの拙速工事では事故が怖い。
開業から五ヶ月で3000万人を運んだと鼻高々だった頃である。
路線は海岸部から山寄りを平均時速200キロでつっ走る。山岳、高原だからトンネルばかりだが、248キロを出す。カーブは緩やかで、そこでも160キロほど出す。途中の駅は殆どが新築、旧市内とのアクセスが悪いのは他の新幹線と同様である。
上海から延々と新幹線を乗り継ぎ、浙江省の南端、温州から福州南駅へ着いた。上海からアモイへ直行する新幹線もあるが、それはアモイ南駅までしか行かない。
このため福州南駅でいったんおりて、旧駅へ行かないと正式の「福建省縦貫新幹線」に乗ったことにはならない。こうした情報は日本ではわからない。現地で実際にのって確かめるしかない。
新駅の福州南駅からバスで一時間、福州市内へ入り旧駅(福州駅)へとたどりついた。バス路線「K2」の料金は2元(30円)だった。
福建省の省都でもある福州には前にも密航者の取材で来ている。景観ががらりと変貌していて新しい街になっていた。
二十年ほど前に或るシンポジウムで隣り合ったモバンフが言っていた。「半年行かないと、違う街にきたと錯覚しますよ」。
摩天楼が林立し地下鉄工事も始まっている。驚くほどの新都心ではないか。駅前にビジネスホテルが数軒、軒を競っている。そこで一番高層のホテルへ投宿。一泊は388元(5200円ほど)。
翌朝、散歩がてら駅まで歩いて自動販売機でチケットをさきに買ったが、すぐに席はとれた。ただし一等。
和諧号は定刻に福州をでて青田、泉州、晋江、アモイ北、アモイへと僅か一時間四十二分。遅れもなく快適な旅だった。
車掌以下、公安も背が高く、女性乗務員は痩身の美女が多い。しかしながら日本のように優しい笑顔はない。おしぼりも呉れない。車内の電光掲示には所謂ニュースがない、天気予報もない。「ただいまxx駅を通過」の案内もなく、現在230キロとかのスピード表示のみ。じつに即物的だ。
車窓からみた茶褐色の河川には大型の浚渫船、橋梁を渡り、絶壁とトンネルを越え、すぐ側を農道が走り樹木が生い茂り、新駅のすぐ脇はあぜ道、舗装されていない道が農村に繋がっていた。
ここで福建省のややこしい地形を簡単に説明しておきたい。
日本の東北部を襲ったマグネチュード9の地震と未曾有の大津波、あれと同じ地形のリアス式海岸が福建省を南北に貫いており、むしろ隣町との連絡が悪く、交通手段は迂回路しかない。これまでは隣町へ行くのに「U」の字をひっくり返したルートに頼らざるを得なかった。一昔前まで八戸から久慈、宮古、釜石、陸前高田、大船渡、牝鹿半島、石巻の縦貫路が殆ど無く、西へルートがそれぞれ繋がっていたように。
この典型の地形が浙江省の温州なのである。温州は三方を山で囲まれているため海へ出るルートしかない。山越えは峻険な稜線ゆえに、軍隊が攻め入るにも難しい。それでも危機が迫ると南宋の頃から海へ出た。明代がピークとなった。
海? そうだ、かれらこそが後期倭寇の主役でもあり、また東南アジア一帯をおさえてフィリピン、タイ、マレーシア、インドネシア、ベトナムそして台湾へ渡った華僑の源流なのである(米国への苦力貿易で渡った広東勢の華僑と福建勢の華僑とはまったく異なる)。
日本の東北本線を頭に想い描いていただきたい。
岩手県久慈から西の盛岡を繋ぐ山田線は東西の山々を越える。そして久慈から南の石巻、気仙沼への海岸線を走る汽車は難工事、需要もすくなかった(あの震災から九年後に、三陸リアス海岸を走る列車が再通した)。
石巻は仙台との東西ルートの方が便利だった。つまり南北の交流は不便このうえなく交易は東西間でおこなわれ、手段は川を渡る船だった。これと同様な不便さが福建省の沿海部にはあり、川を挟んで明らかに文化が違った。所謂「ビン北」と「ビン南」はビン江が南北の文化をわけ、南のビン南語が海峡を渡って台湾語となった(「びん」は門構えに虫)。
改革開放政策以後、高速道路が造られたが、南北の直線箇所は少なく、山側へ迂回するためにカーブの多いルート自動車道となった。新幹線はこれらの難点を克服した。したがって、これからは文化が急激に変化すると予測出来る。
▲「蛇頭」の拠点だった長樂の変貌ぶり
もう一つ特筆すべき変化とは次の事態である。
福建省北部の福州を囲む長楽、連江、福清の三大都市が、ある時期、密入国を斡旋する「蛇頭」の拠点だった。
筆者は密出国の現場をみようと十五年ほど前、クルマにガードマン兼ガイドを雇って福清と長楽へ行った。
長楽はドーバー海峡を渡った冷凍車のなかで密航者五十三人が窒息死していたという痛ましい事件が英国で発生し、世界に悪名が轟いた地である。往時、新鮮な驚きだったのは漁村に林立する「豪邸」だった。
三階建て、四階建ての農家群。ガイドに聞くと海外へ出稼ぎにいき、立派な家を建てるのが、この地方の生き甲斐であり、競って豪邸を建てて見せびらかすのが長楽や福清の習俗だと聞かされた。
いまや四階建ては常識、なかには六階建てという豪壮な邸宅(農家)がある。そして蛇頭に大金を支払ってまでの命がけの密航はなくなり、インチキ戸籍をでっち上げたり、ニセ学生になりすまし、平然と飛行機で日本にやってくる。かれらは「故郷に錦を飾る」(中国では「老家に還る」という)という伝統的価値観を忘れ、渡航先に定住する。となると豪邸のならぶ福建省の漁村も、農村も著しいスピードで過疎村へと転落し、昼間歩くと人っ子、一人いない、犬がうろうろとするだけのゴースト・ビレッジになっていたのだ。
福建省を南北に結んだ新幹線「和諧号」の各駅停車を意図的に選んだ。
一等車では座席の上に電源があり、携帯電話、パソコンを使用できるが、車両の設備の安直さ、リクライニングは故障のまま動かない。
乗客はといえば品がなく、お喋りに夢中、隣町へ行く客が圧倒的なため一駅、二駅だけを利用する乗客が目立つ。日本の「こだま」のように各駅でどっと乗り降りがある。客が駅ごとに変わる。
福州市内ではシャングリラホテルの近くに毛沢東の新らしい石像が傲然と建ち、周囲を睥睨している。
ぶらぶら歩いていると日本料理屋に遭遇、ちょっと湯豆腐に焼酎をつまむ。客は単身赴任のエンジニアが多いようだ。
「この街に常駐する日本人は二百五十人ほど電気関係で定年退職したエンジニアが中国企業に雇われるケースが多いですよ。関空と福州に直行便があるので関西出身者が多い気がします」
とたまたま臨席だった初老の某電気メーカーOBの弁…
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明日、ポンペオと楊潔チ(国務委員、政治局員)がホノルルへ?
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14日から華字紙が報じていたが、『サウスチャイナ・モーニングポスト』がトップ記事扱い(6月16日、電子版)。
6月17日にハワイでポンペオ国務長官と、中国外交のトップである楊潔チ(国務委員、政治局員)が膝を交えて面談するためにホノルルへ飛ぶ、という。
米中関係は歴史上かってなかった緊張関係にあり、この状態が続くことは両国にこのましいものではない。解決の糸口を会談を通じて模索できるのではないかと観測筋は分析している。
中国外交部のスポークスマンは、「外交チャンネルを通じてお互いのコミュニケーションは密に行っている」としながらも、会談に関してもコメントがなかった。
王毅外相も「お互いに連絡は取っている」としたが、外交首脳同士の会談の実現性には一言も触れなかった。
北京でコロナウィルス第二次感染が発生し、しかも「新しいコロナ」によるもので、北京は再び封鎖の危機にあり、同時にサバクトビバッタが、湖南省と東北地方の穀倉地帯に出現し、農作物を食い荒らし始めた情報がある。
中国政府の農業担当部署は、二月からサバクトビバッタのアフリカからパキスタンへ飛んだ事情に注目し、数回も対策会議を開催して予防措置を取ってきた。
ところが、襲来ルートと予想された新彊ウイグル自治区、雲南省を越えて、もっともアフリカから遠い旧満州地方に出現したことに驚きの色を隠せない。
☆○▽◇み◎○△□や○△□◇ざ◎○△□き△□☆☆
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第一部 「暴走老人 西へ」(3)
第三章 親日派が多い福建省の福州市へ
▼福州市からアモイ(厦門)へ
こんどは福建省を北から南へ縦断した。このルートは2010年十月に開通した。
福建省というと日本人のイメージは鄭成功、客家の土楼(世界遺産)、台湾人のご先祖、金門島。。。。。。
じつは福建省は中国のなかでも珍しいほどの親日派が多い地域である。GDP世界第二位になったとはいえ、福建省では日本人にむしろ憧れ、羨望を抱く人々が多い。距離的な問題より親日国家=台湾が対岸にあり、台湾企業が夥しく福建省に進出したため彼らを通しての近親観がおそらく最大の原因だ。日本人を軽蔑の目で見る上海人とはどえらい違いがある。
卑近な例でも日本のコンビニで働く中国人に上海人、北京人はほとんどいないが、福建人が多い。尋ねてみるとすぐに分かる。
「アンタどこから来たのか」と。
愛国と政治主義を露骨にだす北京人やエリート的スノビズム丸出しにして、「日本なんか相手にしないゾ」と粋がる上海人と、福建人はまったく趣きが違って、人間的にも穏和で親切な人が目立つのだ。
その福建省に新幹線が南北に繋がったので福州から南端のアモイまで早速、乗ってみた。ただこの工事、中国鉄道部の宣伝によれば僅か600日、五万人で完成したと言っているが、もし本当ならそれほどの拙速工事では事故が怖い。
開業から五ヶ月で3000万人を運んだと鼻高々だった頃である。
路線は海岸部から山寄りを平均時速200キロでつっ走る。山岳、高原だからトンネルばかりだが、248キロを出す。カーブは緩やかで、そこでも160キロほど出す。途中の駅は殆どが新築、旧市内とのアクセスが悪いのは他の新幹線と同様である。
上海から延々と新幹線を乗り継ぎ、浙江省の南端、温州から福州南駅へ着いた。上海からアモイへ直行する新幹線もあるが、それはアモイ南駅までしか行かない。
このため福州南駅でいったんおりて、旧駅へ行かないと正式の「福建省縦貫新幹線」に乗ったことにはならない。こうした情報は日本ではわからない。現地で実際にのって確かめるしかない。
新駅の福州南駅からバスで一時間、福州市内へ入り旧駅(福州駅)へとたどりついた。バス路線「K2」の料金は2元(30円)だった。
福建省の省都でもある福州には前にも密航者の取材で来ている。景観ががらりと変貌していて新しい街になっていた。
二十年ほど前に或るシンポジウムで隣り合ったモバンフが言っていた。「半年行かないと、違う街にきたと錯覚しますよ」。
摩天楼が林立し地下鉄工事も始まっている。驚くほどの新都心ではないか。駅前にビジネスホテルが数軒、軒を競っている。そこで一番高層のホテルへ投宿。一泊は388元(5200円ほど)。
翌朝、散歩がてら駅まで歩いて自動販売機でチケットをさきに買ったが、すぐに席はとれた。ただし一等。
和諧号は定刻に福州をでて青田、泉州、晋江、アモイ北、アモイへと僅か一時間四十二分。遅れもなく快適な旅だった。
車掌以下、公安も背が高く、女性乗務員は痩身の美女が多い。しかしながら日本のように優しい笑顔はない。おしぼりも呉れない。車内の電光掲示には所謂ニュースがない、天気予報もない。「ただいまxx駅を通過」の案内もなく、現在230キロとかのスピード表示のみ。じつに即物的だ。
車窓からみた茶褐色の河川には大型の浚渫船、橋梁を渡り、絶壁とトンネルを越え、すぐ側を農道が走り樹木が生い茂り、新駅のすぐ脇はあぜ道、舗装されていない道が農村に繋がっていた。
ここで福建省のややこしい地形を簡単に説明しておきたい。
日本の東北部を襲ったマグネチュード9の地震と未曾有の大津波、あれと同じ地形のリアス式海岸が福建省を南北に貫いており、むしろ隣町との連絡が悪く、交通手段は迂回路しかない。これまでは隣町へ行くのに「U」の字をひっくり返したルートに頼らざるを得なかった。一昔前まで八戸から久慈、宮古、釜石、陸前高田、大船渡、牝鹿半島、石巻の縦貫路が殆ど無く、西へルートがそれぞれ繋がっていたように。
この典型の地形が浙江省の温州なのである。温州は三方を山で囲まれているため海へ出るルートしかない。山越えは峻険な稜線ゆえに、軍隊が攻め入るにも難しい。それでも危機が迫ると南宋の頃から海へ出た。明代がピークとなった。
海? そうだ、かれらこそが後期倭寇の主役でもあり、また東南アジア一帯をおさえてフィリピン、タイ、マレーシア、インドネシア、ベトナムそして台湾へ渡った華僑の源流なのである(米国への苦力貿易で渡った広東勢の華僑と福建勢の華僑とはまったく異なる)。
日本の東北本線を頭に想い描いていただきたい。
岩手県久慈から西の盛岡を繋ぐ山田線は東西の山々を越える。そして久慈から南の石巻、気仙沼への海岸線を走る汽車は難工事、需要もすくなかった(あの震災から九年後に、三陸リアス海岸を走る列車が再通した)。
石巻は仙台との東西ルートの方が便利だった。つまり南北の交流は不便このうえなく交易は東西間でおこなわれ、手段は川を渡る船だった。これと同様な不便さが福建省の沿海部にはあり、川を挟んで明らかに文化が違った。所謂「ビン北」と「ビン南」はビン江が南北の文化をわけ、南のビン南語が海峡を渡って台湾語となった(「びん」は門構えに虫)。
改革開放政策以後、高速道路が造られたが、南北の直線箇所は少なく、山側へ迂回するためにカーブの多いルート自動車道となった。新幹線はこれらの難点を克服した。したがって、これからは文化が急激に変化すると予測出来る。
▲「蛇頭」の拠点だった長樂の変貌ぶり
もう一つ特筆すべき変化とは次の事態である。
福建省北部の福州を囲む長楽、連江、福清の三大都市が、ある時期、密入国を斡旋する「蛇頭」の拠点だった。
筆者は密出国の現場をみようと十五年ほど前、クルマにガードマン兼ガイドを雇って福清と長楽へ行った。
長楽はドーバー海峡を渡った冷凍車のなかで密航者五十三人が窒息死していたという痛ましい事件が英国で発生し、世界に悪名が轟いた地である。往時、新鮮な驚きだったのは漁村に林立する「豪邸」だった。
三階建て、四階建ての農家群。ガイドに聞くと海外へ出稼ぎにいき、立派な家を建てるのが、この地方の生き甲斐であり、競って豪邸を建てて見せびらかすのが長楽や福清の習俗だと聞かされた。
いまや四階建ては常識、なかには六階建てという豪壮な邸宅(農家)がある。そして蛇頭に大金を支払ってまでの命がけの密航はなくなり、インチキ戸籍をでっち上げたり、ニセ学生になりすまし、平然と飛行機で日本にやってくる。かれらは「故郷に錦を飾る」(中国では「老家に還る」という)という伝統的価値観を忘れ、渡航先に定住する。となると豪邸のならぶ福建省の漁村も、農村も著しいスピードで過疎村へと転落し、昼間歩くと人っ子、一人いない、犬がうろうろとするだけのゴースト・ビレッジになっていたのだ。
福建省を南北に結んだ新幹線「和諧号」の各駅停車を意図的に選んだ。
一等車では座席の上に電源があり、携帯電話、パソコンを使用できるが、車両の設備の安直さ、リクライニングは故障のまま動かない。
乗客はといえば品がなく、お喋りに夢中、隣町へ行く客が圧倒的なため一駅、二駅だけを利用する乗客が目立つ。日本の「こだま」のように各駅でどっと乗り降りがある。客が駅ごとに変わる。
福州市内ではシャングリラホテルの近くに毛沢東の新らしい石像が傲然と建ち、周囲を睥睨している。
ぶらぶら歩いていると日本料理屋に遭遇、ちょっと湯豆腐に焼酎をつまむ。客は単身赴任のエンジニアが多いようだ。
「この街に常駐する日本人は二百五十人ほど電気関係で定年退職したエンジニアが中国企業に雇われるケースが多いですよ。関空と福州に直行便があるので関西出身者が多い気がします」
とたまたま臨席だった初老の某電気メーカーOBの弁…
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