毎日のニュースでコロナ疲れが見えるので、今回は日本人の価値観について。

日本の価値観を単純な言葉で表わすと、「礼・和・魂」の3つではないかと考える。

これは令和の時代になって思い至ったのであるが、「礼」とは、言わずとしれた儒教的価値観である。
同時に、武士道は「礼に始まり、礼に終わる」というように、武士道の基本でもある。

儒教的価値には「孝」や「忠」も含まれるが、それが外部からも容易に認識出来るという意味では、「礼」が最も基本的な価値ではなかろうか。

次に「和」である。これは聖徳太子が17ヶ条の憲法の第1条で「和をもって貴しとなす」と言ったように、仏教的価値の代表例であろう。
また、第2条では「篤(あつ)く三宝を敬え」とある。三宝とは「仏・法・僧」であるから、聖徳太子は仏教的価値を強力に推し進めた。

大和朝廷の創世期にあって天皇を頂点とする中央集権体制を築くのに、天皇を超え、宇宙との調和までを語る仏教を広めるというのは相当な決断である。

神道を奉ずる物部氏との戦いがあったが、仏教勝利のお陰で漢字やお寺、仏教的世界観が入り、日本の文化が豊かになったことは間違いがない。感謝する次第である。

次は「魂」である。日本では古来から「八百万の神」が信じられてきた。これは自然の山、川、森、動物、植物、ヒトにまで神々が宿る。
古神道においても、職人が精魂こめてつくり上げた道具には魂が宿ると考える。

この考えの大元は縄文文化であろう。縄文前期から中期の青森県・三内丸山遺跡に行くと、「モノ送り場」というのがある。
これは使い終わったり、壊れたモノの魂を神の元に返す場所であり、ゴミ捨て場ではない。
また、その時代、幼くして亡くなった子供の遺体は、家の出入り口付近に埋めた。
早く亡くなった子供は転生するのが早く、元の家に戻って来れるようにとの願いからである。

つまり縄文人はヒトにもモノにも魂があり、転生することを知っていたわけである。
ちなみに、この考えはアイヌ人と一緒である。それはアイヌ人が縄文時代から続く血統の持ち主である証拠である。

この「礼・和・魂」に象徴される儒教、仏教、縄文の教えが、日本人にはアイデンティテイとして継承されてきた。

最近、儒教を批判的に捉える書物を目にするが、儒教には「トップに徳を求める」など儒教の良さがある。
しかし、単一の価値だと長い間にはマイナス面が目立ってくる。

神々の教えにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教、マルクス教、グローバル教など色々あるが、外国はほとんどの国が1神教である。
1神教では、他を優劣で位置付け、排除の論理を持ちやすい。
その中で、多分、日本だけが、複数の価値観を同居させて独自の精神文化、価値観を築いてきた。

コロナに限らず、時代は大きな転換期にある。この転換期に道しるべを示すのは、1神教徒では無理である。

魂の実在を知って、心の中の神と対話しながら行動する。
それが出来るのは西洋的価値と東洋的価値を知り、魂の実在と転生を知る日本人と思われる。

令和の時代が、まさにその時代となることを願うものである。

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