先日、「敗戦革命」について書いたら、具体的な例を教えてくれ、とあったので、その例を挙げたい。
敗戦革命というのはレーニンが考え出した戦略で、社会主義国を建設するために大国同士を戦争させる。
負けて君主への信頼が無くなり、軍隊がボロボロになった国で社会主義革命を起こすというものである。
祖国を戦争に追い込み、負けることを待望するから「革命的祖国敗北主義」ともいう。
レーニンは、この戦略を日本とアメリカに適用しようとした。両国が戦えば負けるのは当然、日本であるから、レーニンはまず日本を社会主義国にしようとしたことになる。
その考えで日本共産党の設立が準備された。しかし、レーニンは1922年1月に死亡し、スターリンに代わると、日本と?介石軍を戦争させるに変わった。
両者が戦えば、当時の力関係からして負けるのは?介石軍であったから、その後の内戦で共産党が勝利し、中国を社会主義国とする方針に変わった。そのために第1次国共合作(共産党と国民党の統一戦線、表向きは張作霖の対満州軍閥)をしたのである。
日本共産党の正式な設立は1922年で、日共の綱領はスターリンが書いた。その指導では、日本共産党は、日本を戦争に追い込み、中国で共産党政権ができるよう支援すべしというものだった。
戦前の朝日新聞記者・尾崎秀実は近衛内閣の参謀となり、「?介石は封建的。戦うべし。南へ行けば石油がある」と、戦争推進、南下政策の論陣を張った。その後、ソ連のスパイであることが発覚したが、彼は共産党員をアゴで使っていたというから、ソ連の指導に従う隠れ共産党員だったことになる。
日共が、今でも「自衛隊解消。天皇制廃止。日米安保解消」に固執するのは、スターリン時代の記憶を維持しているからである。
「現行憲法擁護」だけなら、天皇制は現行憲法で「象徴」と位置づけられているし、日米安保も現憲法下で締結したのだから、憲法上おかしい自衛隊解散だけを言うはずである。
そうでないのは、敗戦革命で自国の君主(天皇)への信頼と軍隊をボロボロにし、社会主義にするという計画が依然としてあるからである。
戦後に日本共産党が、武装闘争での政権奪取に走ったのは、中国での社会主義が成功し、今度は日本を社会主義国にするという方針だったからである。敗戦革命の理論に従えば、日本は敗戦したのだから、次には日本を社会主義国にするために闘争するというのは必然であった。
スターリンは1935年の第7回コミンテルン大会で、「ドイツと日本を暴走させよ。しかし、その矛先をソ連に向けさせてはならぬ。
・・・そして戦力の消耗したドイツと日本の前に、最終的に米国を参戦させてたちはだからせよ。日独の敗北は必死である。
そこで、ドイツと日本が荒らしまわって荒廃した地域と、疲弊した日独両国をそっくり共産主義陣営に頂くのだ」と演説した。
これは単なる願望を述べた大言壮語ではなく、具体的な裏付けを伴う策謀をめぐらせた上での発言だったと考えた方がよい。
何故なら、その後の歴史が、アメリカの参戦、東欧や東アジアの社会主義化、ドイツの分割など、ほぼスターリンの演説どおりになったからである。
長くなるので、後は次回としたいが、社会主義・共産主義の全体の思惑と本音を日本人はもっと知った方が良い。
なぜなら先の戦争は、終わってみれば地球の半分近くを社会主義国にする結果となった。
世界統一政府(ワンワールド)の考えは、戦争を通じて地球の半分を社会主義国として統治する計画だったかのようであるし、隣の中国は依然として社会主義国である。
日本のリベラル層も、まだまだ日本共産党の影響力が強い。
現代の戦争は武器を持っての戦いではなく、歴史戦争、情報戦争、サイバー戦争の時代である。
とりわけ相手のウソと本音を見抜き、歴史戦と情報戦に強くならないと「強い日本」とならないのである。
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敗戦革命というのはレーニンが考え出した戦略で、社会主義国を建設するために大国同士を戦争させる。
負けて君主への信頼が無くなり、軍隊がボロボロになった国で社会主義革命を起こすというものである。
祖国を戦争に追い込み、負けることを待望するから「革命的祖国敗北主義」ともいう。
レーニンは、この戦略を日本とアメリカに適用しようとした。両国が戦えば負けるのは当然、日本であるから、レーニンはまず日本を社会主義国にしようとしたことになる。
その考えで日本共産党の設立が準備された。しかし、レーニンは1922年1月に死亡し、スターリンに代わると、日本と?介石軍を戦争させるに変わった。
両者が戦えば、当時の力関係からして負けるのは?介石軍であったから、その後の内戦で共産党が勝利し、中国を社会主義国とする方針に変わった。そのために第1次国共合作(共産党と国民党の統一戦線、表向きは張作霖の対満州軍閥)をしたのである。
日本共産党の正式な設立は1922年で、日共の綱領はスターリンが書いた。その指導では、日本共産党は、日本を戦争に追い込み、中国で共産党政権ができるよう支援すべしというものだった。
戦前の朝日新聞記者・尾崎秀実は近衛内閣の参謀となり、「?介石は封建的。戦うべし。南へ行けば石油がある」と、戦争推進、南下政策の論陣を張った。その後、ソ連のスパイであることが発覚したが、彼は共産党員をアゴで使っていたというから、ソ連の指導に従う隠れ共産党員だったことになる。
日共が、今でも「自衛隊解消。天皇制廃止。日米安保解消」に固執するのは、スターリン時代の記憶を維持しているからである。
「現行憲法擁護」だけなら、天皇制は現行憲法で「象徴」と位置づけられているし、日米安保も現憲法下で締結したのだから、憲法上おかしい自衛隊解散だけを言うはずである。
そうでないのは、敗戦革命で自国の君主(天皇)への信頼と軍隊をボロボロにし、社会主義にするという計画が依然としてあるからである。
戦後に日本共産党が、武装闘争での政権奪取に走ったのは、中国での社会主義が成功し、今度は日本を社会主義国にするという方針だったからである。敗戦革命の理論に従えば、日本は敗戦したのだから、次には日本を社会主義国にするために闘争するというのは必然であった。
スターリンは1935年の第7回コミンテルン大会で、「ドイツと日本を暴走させよ。しかし、その矛先をソ連に向けさせてはならぬ。
・・・そして戦力の消耗したドイツと日本の前に、最終的に米国を参戦させてたちはだからせよ。日独の敗北は必死である。
そこで、ドイツと日本が荒らしまわって荒廃した地域と、疲弊した日独両国をそっくり共産主義陣営に頂くのだ」と演説した。
これは単なる願望を述べた大言壮語ではなく、具体的な裏付けを伴う策謀をめぐらせた上での発言だったと考えた方がよい。
何故なら、その後の歴史が、アメリカの参戦、東欧や東アジアの社会主義化、ドイツの分割など、ほぼスターリンの演説どおりになったからである。
長くなるので、後は次回としたいが、社会主義・共産主義の全体の思惑と本音を日本人はもっと知った方が良い。
なぜなら先の戦争は、終わってみれば地球の半分近くを社会主義国にする結果となった。
世界統一政府(ワンワールド)の考えは、戦争を通じて地球の半分を社会主義国として統治する計画だったかのようであるし、隣の中国は依然として社会主義国である。
日本のリベラル層も、まだまだ日本共産党の影響力が強い。
現代の戦争は武器を持っての戦いではなく、歴史戦争、情報戦争、サイバー戦争の時代である。
とりわけ相手のウソと本音を見抜き、歴史戦と情報戦に強くならないと「強い日本」とならないのである。
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